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タイでのエピソード・その13
「最近は トランプ詐欺が多いので気をつけて下さい(笑笑笑)」
…私のFacebookアカウントのタイムラインには、早速Hからの「いじり」が加えられていた。あの野郎...
実際、前回のエピソードを奴に伝えると、まるで欲しいおもちゃが手に入った子供のような目で私を見るようになった。
完全にいじられキャラになってしまったな…もともとそういう立ち位置はあんまり好きじゃないんだけど。まぁいいか。
それにしてもあの夜は大変だった。
帰りはKLセントラルの周りの宿泊先を見つけることができなかったので、駅の中で寝ることになった。
最後の1泊が非常にきつく、 暇を持て余して駅前にいるホームレスとずっと話をしていた(笑)
そんなろくでもない思い出を作って、私はクアラルンプールでビザを作って帰ってきたのだ。まぁ、人生何とかなるもんである。
ビザの書類を会社に提出し、同時期に入った仲間たちと一緒にワークパーミットの申請に行くことになった。
私との同期は確か5、6名ほど。 ほとんどが男性だったが、女性が1人いた。もう40歳にはなるであろう女性だったが、見た目は割と綺麗な人だった。
その時の私にこんなことを言う資格は全くないが、どの人もうだつが上がらない感じで、日本に居場所がないようなイメージがあった。
少なくとも、全員仕事ができるようには見えなかった。
そんな中でも、会社での私に対する「当たり」は優しく、どうやら私が1番まともに見えたらしい。
決して自慢では無いので勘違いせず聞いて欲しいのだが、会社の中でも一応、私は「頭の良い存在」と言うことで有名だった。 私としてはHの方がはるかに頭が良いと思っていたので意外だったが、そこは奴も認めていたようだった。
それはそれでウザいんだけどね...。
「マサヤン君ならこれくらい出来るよね?」的な。「うるせぇよ」ってずっと思ってたっけ。
ワークパーミットを取得するためには、当然書類の提出も必要だが、その後にかなり長い時間待たされる。
その間、気まずい雰囲気を打破するかのごとく、一人一人が話し始めた。
まぁ、割とすんなりと仲良くなったと思う。なんだかんだ言って皆、悪い人ではなかった。
うまくやっていける。普通にそう思った。
いくら「ユルい」タイと言っても、 ワークパーミットを取得する際には、革靴を履いてネクタイを締めて行かなければならない。要はフォーマルな格好をしなければいけないのだ。その格好でなくては書類が受理されないこともある(ネクタイは無くても可。また、背広は着なくとも良い。暑くてやってられない)。
にもかかわらず、私と同時期に入ったうちの1人は、待ち合わせ現場でフォーマルな格好してこなかった。なので、書類を申請している間、近くの店で服を購入し、着替えることになった。
日本では考えられないでしょう?もう30越えたいい歳ですよ。要は、そういった人間たちが集まる会社と言うこと。
...にしても、なんて良心的な会社なんだ。私ならその時点で不採用にするけどね(笑)。
どんなにクズばかり集まる会社といっても、簡単にビジネスビザとワークパーミットを取得させてもらえることは、非常に大きな魅力だった。
というか、それだけのためにこの会社に入る人ばかりだと思う。
基本給は月給32,000バーツ。日本円にして大体8万円くらいといったところ。
それでも、当時のタイの物価なら十分に暮らしていけるだけのお金だった。今だとちょっと厳しい(出来ない事も無い)。
「 明日から具体的な研修が始まるので、皆さんよろしくお願い致します。」
人事部の人からそう言われた我々は、現地で解散した。
同期の男性1人、そして女性に飲みに誘われたので、親睦を深めるといった意味で私は断らずについていった。
2人ともとても良い人で、すぐに仲良くなった。男性はビリヤードがとても上手で、慣れたファランとやりあっても勝てるくらいの腕前だった。
彼は元々、バンコクの街に慣れていた。来た理由は単純。「タイが好きだから」。というか、それが当たり前なんだけどね…。
初海外で初居住を決めたのなんて、その中でも私位だ。
帰りに女性の方と二人っきりになった。「まだ帰りたくなーい」と言われたので、ジャズ&ブルーズが聴けるミュージックバーに足を運び、2人で飲んだ。
私の家の近くにあった「Saxophone(サックスホン)」と言うお店。
ジミヘンやスティーヴィー・レイ・ヴォーンが好きな人が集まる、クラブミュージック好きばかりのバンコクではかなり貴重なお店。
ところで彼女は、どう考えても私を食うつもりのようだった(笑)。おいおい、初日から飛ばすねぇ。
それなりの年齢とは言え、まぁ年齢よりは若く見えたが...私は遠慮するかのようにそそくさと帰らせてもらった。
...一人、夜道を歩く。
…一緒にいる仲間たちは別に悪い奴らじゃない。でも、申し訳ないが一緒にいると私自身がダメになる。その頃から、そういった思いは私の中にあった。
どいつもこいつも、「日本に居場所が無いからここにいる」と言うだけの存在だった。まぁ…私もそうだったんだけどね。
恐らく、ずっといるべきような所ではない。 早くどこかで見切りをつけないと...。
そう思った私は、家に帰った後もしばらくタイ語の教科書、そして英語の教科書とにらめっこし、密かに語学の勉強を続けた。
—その14へ続く—
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