■ 第八章 : ナザレ
【はじめに】
前回の時点で、私の真理探究は大きく前進したと言って良いだろう。「イエス・キリスト」の固定概念を覆した。
こんなもん、存在しない。だが、ある意味存在する。もはや、「イエス」と言う名前自体が怪しい(便宜上そう呼ぶが)。だが、我々「Jarosびと」が崇拝すべき対象を探すとしたら、それはまさしく、これだ。
イエスは聖書によると、ナザレ出身とされている。ナザレは、イスラエル北部の中心都市だ。
イエスはここで生まれ、そして育った。生涯をナザレで過ごしたイエスは、聖書でしばしば「ナザレのイエス」と紹介される。
しかし...私は前回である意味、「聖書のイエス」を否定してしまった。なら、この「ナザレのイエス」の表現も疑って然るべきだろう。
「ナザレ」は恐らく、イスラエルのナザレの事では無い。なら一体、何を指す単語なのか...?
いつも通り、近所を歩きながら考える。そうしているうち、ある事に気が付いた。ウォーキングは脳を活性化させる。皆さんにも是非、オススメしたい。
...この世の理は逆転している。
なら、「イエス」の逆を考えてみることにしたのだ。
つまり、「ノー」。
...バカらしい?確かに。
だが真実は時として、冗談みたいな所から見つかるものなのさ。
ここから先は
16,266字
/
98画像
¥ 444
もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。