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ただの出来事
以前、地元の知人と晩飯を食べた時のこと。彼と会うのは5、6年ぶりくらいだった。特に仲が良いわけでも無いんだけどね。
私が「この世には意味も、価値も無い」と言うと、「そんな事は無いと思うけどね」と鼻で笑われてしまった。
そう思うのも無理は無い。彼には愛すべき奥さんも子供もいるからね。それに対し「無意味、無価値」なんて考えたくも無いだろうさ。
...確かに、私も以前はそう思っていた。
「真理探究こそが、私の使命だ。それこそが、私の存在証明なんだ!」と息巻いていた。有料記事の最初の方では、まだそんな感じだったはずなんだよ。
だがね...真理探究を続けるうち、色々と分かって来た事がある。
それでも言うが、どうやらこの世には特に意味も価値も無い。
いや...「舞台」で動く人形たちには役割ってモンがある。そう言う意味では存在意義はあるだろう。「この世」を成立させるために存在しているって事。ただ、それ以上でも、それ以下でも無い。
...儚い?そうかね?
自由意志を否定するたび、高確率で批判されてしまう。その都度私が言い返す事としては...
それでも特に、あなたに不利益は生じないんだよ。また明日から、「自由を錯覚しつつ」いつも通り過ごす事が出来るはずだ。再び「自由」を叫びながら過ごすと良い。
なぜ、ここを必死になって否定したがるのか、理解に苦しむ。だって、証明方法は存在しないんだよ?つまり、否定する時点で感情論に過ぎないと言う事さ。
自分の人生に意味を見出したがる。...まぁ気持ちは、分かる。
音楽やってる人、スポーツやってる人、サラリーマンやって家庭持ってる人...色々いるよね。
「それぞれの人生に意味など無い?そんな考え方はナンセンスだ!ひどい!」と思うのが、一般的には普通なんだろう。
...なら、そう主張する人に問いたい。
何かに向けて頑張っている人が、志半ば、交通事故で亡くなったとする。
じゃあ、その人の人生は「ミッション失敗」って事で良いのか?バッド・エンドだった...って事で大丈夫かい?
こう言うと多分、「そう言う事じゃない」と言うだろう。いや、そう言う事になるのだよ。
「それでも、そこで散った命には意味があったのだ」と主張する人がほとんどじゃないかな?「意味が無かった、なんて事は無いでしょう。不謹慎だ!」、と。
でも...そう言える理由は?
自分の人生に「意味」を見出し、「使命」と主張していたものを達成出来ずに散ったその命に対し、「それでも意味があった」とする根拠は?
ちなみに、ほとんどの人がそうやって消えていくんだよ。老衰なんてごく稀でね。大体の人は突然、死ぬ。
ずーっと苦しんだまま生き、そして死んだアフリカ難民村の子供たちや、家庭の暖かさを知らないまま事件に巻き込まれて死んだストリート・チルドレンは?彼らにも少なからず、「夢」や「目標」があったはずだ。そこに「意味」や「使命感」を見出していた。なら...彼らの人生も「バッド・エンド」だったって事だよね?
...私は可哀想過ぎて、そんな酷い思想は持てないな。
感情論のみで「それでも生きる事に意味がある!!」と力説する方が、私としてはよほど暴力的で怖いよ。ある意味、「究極の平和ボケ」と言えるかもしれん。
意味や価値など、所詮は何かしらの基準によって生じた概念に過ぎない。そしてその価値基準も結局、ヒトが決めたものだ。そして我々は幼少期から、それがあたかも真理であるかの様に、潜在下に刷り込まれている。
世のコンテンツなんて大体、そうじゃないか。特にエンタメ。
ゲームや映画などは概ね、「グッド・エンド」か「バッド・エンド」に分かれる。「良い結果」か「悪い結果」。その影響で皆、フラットな目線で物事を見れなくなっている。
だからいつまで経っても、生きる事も、死ぬ事も怖い。
本来、どちらにも特に大きな意味など無いのに...。
生も死も大いなる流れの一部であり、「ただの出来事」に過ぎない。
そこに気付き、理解出来た方が、よっぽど人生を快適に過ごせるのだよ。
「失敗したらどうしよう...まぁいいか。死ぬだけだし。」的になる。本当なんだ。何と言うか、腹をくくるのが早くなる。故に、色々試せる...って、これは私だけかもしれんな(笑)。
まぁとにかく、どんな場面でも比較的心音が静かになり、人生がフラットに近づくのは確かだよ。
「意味」や「価値」、「使命」なんて言葉に縛られるから、「死は最悪だ、悲しいものだ」と言う固定概念に縛られるのだ。
実際、ほとんどの人は「志半ばで死ぬなんて、考えられない!」と思ってるでしょう?
じっくり観察すれば、そういった考えがいかに暴力的で「驕り」と言えるのかが分かる。「平和、和平」とはほど遠いよ。
我々には自由意志が無い。全て、決まっている。そして、この世の本質は特に意味を持たない...
そこに到達すると、色々な苦しみがバカらしくなり、「なーんだ。大した事無いじゃん。」...ってならないかね?
ただ、在る。
ただ、消える。
そして...また「在る」へ。
あぁ、死が待ち遠しい。
もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。