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すべては、ひとつ

今日、今年初めてのクモが部屋の中を走った。

やぁ、こんにちは。

それにしても…いかにウチがボロとはいえ、こいつら毎回毎回、どっから湧いて出てくるのだ。

いや…知ってるには、知ってるよ。卵から孵るものもいれば、朽木の中で冬を過ごす個体もいることを。

でも最近、この稼業を始めてから、新しい考察に至る様になった。

私が見ていない間、無数に存在するこの虫たちは、本当に存在していると言えるのだろうか。

例えば、公園や砂浜付近で転がっている朽木を割れば、中から冬眠中のクモやらカナブンやら、その幼虫やらが出てくるだろうさ。

そりゃあ、そうよ。ほじくれば、こんなんいくらでも出てくる。

でも、それってどっちが先なんだろうか。

最初から、そこにいた?

もしくは「無」だった空間に、「私」という存在の人生ドラマの辻褄を合わせる為、朽木を割ってから具現化した…?

もしくは…その両方でも無い…?

私が言いたいのは、「シュレーディンガーの猫」ってことじゃない。「視認するまでその空間の事象は決まっていない」とか、そういう事を言いたいわけじゃないんだ。

だって、私の見解だと「見る」とは眼球で外的要因を観察する事…だけではないのだから。

その辺をトータルで考え、真ん中の理屈をピックアップすると…どうだろう。

やっぱり全ては決まっていて、とある設定通りに展開している…って事にならないだろうか。

朽木を割る前から全て、決まっていた。そこに虫がいる事も、いない事も。

その方が、余計なメモリの負担も無い。それにどのみち我々「ヒト」は…それでも自由を錯覚出来るので問題無い。

「結果」が決まるのが先か、後か。

そんな所に拘って考察するから、ややこしくなるんじゃないのか…?

本来、「時間」など、無い。

ならば…「いつ、結果が決まるのか」など…無い。その考え自体が間違いということ。

そんなもの…無い。多分。

すべては、ひとつだ。最初から。

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