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すべては、ひとつ
今日、今年初めてのクモが部屋の中を走った。
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やぁ、こんにちは。
それにしても…いかにウチがボロとはいえ、こいつら毎回毎回、どっから湧いて出てくるのだ。
いや…知ってるには、知ってるよ。卵から孵るものもいれば、朽木の中で冬を過ごす個体もいることを。
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でも最近、この稼業を始めてから、新しい考察に至る様になった。
私が見ていない間、無数に存在するこの虫たちは、本当に存在していると言えるのだろうか。
例えば、公園や砂浜付近で転がっている朽木を割れば、中から冬眠中のクモやらカナブンやら、その幼虫やらが出てくるだろうさ。
![](https://assets.st-note.com/img/1647346779264-JIyTbTeA4R.jpg)
そりゃあ、そうよ。ほじくれば、こんなんいくらでも出てくる。
でも、それってどっちが先なんだろうか。
最初から、そこにいた?
もしくは「無」だった空間に、「私」という存在の人生ドラマの辻褄を合わせる為、朽木を割ってから具現化した…?
もしくは…その両方でも無い…?
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私が言いたいのは、「シュレーディンガーの猫」ってことじゃない。「視認するまでその空間の事象は決まっていない」とか、そういう事を言いたいわけじゃないんだ。
だって、私の見解だと「見る」とは眼球で外的要因を観察する事…だけではないのだから。
その辺をトータルで考え、真ん中の理屈をピックアップすると…どうだろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1647347232467-Ej7SBttCVU.jpg?width=1200)
やっぱり全ては決まっていて、とある設定通りに展開している…って事にならないだろうか。
朽木を割る前から全て、決まっていた。そこに虫がいる事も、いない事も。
その方が、余計なメモリの負担も無い。それにどのみち我々「ヒト」は…それでも自由を錯覚出来るので問題無い。
「結果」が決まるのが先か、後か。
そんな所に拘って考察するから、ややこしくなるんじゃないのか…?
本来、「時間」など、無い。
ならば…「いつ、結果が決まるのか」など…無い。その考え自体が間違いということ。
そんなもの…無い。多分。
すべては、ひとつだ。最初から。
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