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メアリー・アニング: 古代の世界を明らかにした女性科学者

"a painting of Mary Anning" by B. J. Donne from 1847


 偉人サイエンティスト紹介シリーズです。
 今まで二人の偉人を紹介してまいりました。

 今回もまた偉大な科学者を紹介してみたいと思います。

 私ですが、歳の小さい息子がおります。車や動物や色々なものが好きなのですが、特に恐竜が好きで日々「ダイナソー」と叫んでいたりします。ゆえに恐竜の種類や恐竜が生きた古代の歴史に詳しくなっている昨今なのですが、恐竜が生きた古代の生物たちや世界がどうであったかという研究には、一人の女性科学者の偉大な貢献があることはあまり日本人には知られていないような気がします。その人物の名は、メアリー・アニングです。


 メアリー・アニングは、1799年に生まれ、1847年に亡くなっています。イギリスの化石収集家であり、化石の商売人であり、古生物学者です。彼女が発見した化石の中には2億年前のものもありました。まさに恐竜の時代です。その最も重要な発見は、崖からのジュラ紀の古代海洋生物の化石の発見です。今日、彼女は人類の歴史観、世界観を変えた偉大な化石ハンターとして、そして科学者として、その業績を高く評価されています。

 メアリーは、イギリス南部沿岸の貧しい家に生まれました。父は家具大工でしたが、化石を採集し、それを観光客に売ることで生計を立てていました。ですがその父は彼女が11歳の時に化石収集の最中に崖から滑り落ちて亡くなり、家庭は更に困窮したそうです。それゆえ、彼女は小さい時に父から習った、古代の動物や植物がそのまま石の中に保存されている、美しい化石の見つけ方を活かし、それを売ることで家計の足しにしていました。メアリーは南部沿岸のライムリージス村沿岸の崖で、特に冬の期間、地滑りで化石がむき出しになっているところを狙い、化石を採集していました。

 そして、彼女は数多くの重要な発見をします。12歳の時に、世界で最初に ichthyosaur (魚竜)の正確に識別可能な全身骨格を発掘しました。この半分魚で半分トカゲの生物の発見は世の中に衝撃をもたらしました。また、22歳の時に、世界で最初に、10メートルにも及ぶ二体の完全な plesiosaur(首長竜)の骨格も発見しています。更に、29歳の時に、dimorphodon (翼竜)を発見しています。発見された魚竜も首長竜も翼竜もそれぞれジュラ紀に生きていた種であり、その時代の生物の姿を明らかにしました。

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ichthyosaur (魚竜) CC-BY-3.0


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plesiosaur(首長竜) CC-BY-2.0


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dimorphodon (翼竜)”Restoration of a pair of D. macronyx” by Dmitry Bogdanov under CC-BY-3.0

 発見の中にはいくつかの重要な魚類の化石も含まれ、化石化した貝殻も発掘しました。また彼女の鋭い観察眼は、例えば、未消化の食べ物が化石になったのか、それとも糞が化石になったのかを識別し、古代の生物が何を食べていたのか、そしてそもそも化石がどのようにできるのか、という化石の詳細な研究に大きな役割を果たしました。

 このような化石の発掘、特に絶滅した種の化石の発掘は古代の生物への正しい理解を導きました。当時の人々はある特定の種が絶滅するということがあるなど思いもしませんでした。これにはキリスト教的な考え方が関係していて、父なる神が、自らが創造した生物の種を絶滅させるわけがないと考えていたためです。それゆえ、メアリーによる現代には生きていない生き物や貝の化石の発見は、絶滅した生き物たちがいたことの証明となり、また現代の科学的な思考法の確立に影響を与え、先史時代の我々の世界観を変えたのです。彼女の仕事はチャールズ・ダーウィンによる進化論の理論形成にも一部影響を与え、1859年の「種の起源」の出版へとつながっていきます。

 メアリーは、(当時の科学者は男性中心であるという風潮もあってか)19世紀イギリスの科学的なコミュニティに参加せず、支援も受けてなかったので、人生を通して財政的に困窮していました。彼女は自らの店を設け、化石や貝を売って生活を続けました。ですが、彼女の度重なる活躍はアメリカ、ヨーロッパの地質学の集まりで知られるところとなり、世界中から化石の収集だけでなくその分析に関して相談を受けるようになりました。それでもやはり、女性であるという理由で、ロンドンの地質学のコミュニティには参加する資格を有せず、彼女の科学、特に古生物学における業績は、100%全て科学コミュニティにおいて認識されたわけではありませんでした。彼女自身もある人物にあてた手紙に「世界は私を雑に使っているので、誰彼にも私は猜疑心をもつようになっていしまったのではないかと恐れている」と書いています。
 1847年彼女は乳がんにより47歳の若さで亡くなります。その死後、彼女の化石発掘に捧げられた生涯は人々の関心を集めることになりました。最も有名なものは、イギリスのソングライターである テリー・サリバンが1908年に書いた歌の中にある、早口言葉の一節「She sells sea shells by the sea shore.(彼女は海岸で貝殻を売る)」です。これは、メアリー・アニングの人生にインスピレーションを受けて書かれました。そして、彼女が亡くなってから163年後の2010年、王立協会は、科学に影響を与えた10人の英国女性に彼女の名前を含めました。


 メアリー・アニング、我々に古代の生物と世界の姿を見せてくれた、偉大な女性科学者です。彼女の発掘があってこそ、我々は今、古代の生物たちが生きた世界をいきいきと想像することができます。今後は、彼女の業績に思いを馳せながら、子供と一緒に「ダイナソー」と叫んでいきたいと思います。

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