テイラー・スウィフトのメディア戦略と理不尽との戦い方『ミス・アメリカーナ』 初出:wezzy(株式会社サイゾー) 2020年3月22日

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元記事
https://wezz-y.com/archives/74298
魚拓
ページ1 https://archive.md/Ptgay
ページ2 https://archive.md/aNsJv

 世界的ポップ・スターのテイラー・スウィフトを題材にしたドキュメンタリー映画『ミス・アメリカーナ』。テイラーが自らの人生を積極的に語り、ツアーの様子や制作現場の裏側をテンポ良く見せていく。2020年1月23日にサンダンス映画祭で初公開され、8日後の1月31日にNetflixを介して世界中に配信された。

 監督はラナ・ウィルソンが務めている。中絶問題を扱った『After Tiller』(2013)、日の自殺問題に迫った『The Departure(邦題 : いのちの深呼吸)』(2017)など、優れたドキュメンタリー作品を手がける手腕には定評がある。『ミス・アメリカーナ』は3つめの監督作だ。

ありのままのテイラーではないけれど

 テイラーに限らず、ほとんどのポップ・スターは厳密なメディアコントロールによって、イメージという名の要塞を築きあげる。こう思われると困るから、こういう発言はしちゃいけない。ファンを失わないように、物議を醸す行動は慎もう。このような制約が蔓延るエンタメ業界の頂点に、テイラーは立っている。

 そんなエンタメ業界の頂点にいるテイラーのドキュメンタリー映画と聞いて、矛盾を感じなかったと言えば嘘になる。ドキュメンタリーといっても、テイラーを美化するだけの作品に過ぎないのではないか? 捻くれた性格が過ぎる筆者は、そう思わずにはいられなかった。

 実際、ラナ・ウィルソンもテイラーのありのままを伝えてはいない。

 レコーディング中にブリトーを貪る姿や、すっぴんで作曲をするなど素の一端は垣間見れる。だが、プライベートの領域は半透明なベールで巧妙にぼかされている。

 例えば、交際中とされている俳優ジョー・アルウィンのことはほとんど触れられないし、テイラーの母・アンドレアが乳がんになったエピソードにも深入りはしない。

 大観衆を魅了するポップ・スターのガードが完全に下がることは、最後までない。

 とはいえ、それが『ミス・アメリカーナ』の致命的欠陥になっているかと訊かれたら、筆者はNoと答えるだろう。幼い頃から良い子になろうと努力してきたテイラーが成長するまでの記録としては、見ごたえのある作品だからだ。

「良い人と思われるために、正しいことをする」

 『ミス・アメリカーナ』は、テイラーがピアノを弾いている様子から始まる。ピンクのスウェットにオーバーオールを合わせたテイラーはリラックスしているのだろう。表情はとても穏やかに見える。

 このシーンが終わると、テイラーは13歳のときに書いた日記の話を語りだす。日記帳のタイトルは、『私の人生 私のキャリア 私の夢 私の現実(My Life, My Career, My Dream, My Reality.)』。10代前半から将来について考え、理想とする姿になるため努力してきたことがうかがえるシーンだ。

 次にテイラーは、子どもの頃から大切にしてきた倫理観を語る。それはとてもシンプルなものだ。良い人と思われるために、正しいことをする。テイラー自身の言葉を借りれば、「良い子(good girl)」をずっと目指してきた。この倫理観はテイラーの人柄を表すだけでなく、『ミス・アメリカーナ』が示す物語の軸にもなっている。

 倫理観の話が終わると、映画は幼少期のテイラーを登場させる。両親からアコースティック・ギターをプレゼントされ喜ぶ様子、12歳でステージに上がり歌うテイラー、レーベルに音源を聴かせにいくときの車内。

 これらの映像に合わせ、テイラーも言葉を紡いでいく。すごいと褒められ、良い曲だねと言われるのが生きがいだったと語るそれは、驚くほど素朴だ。その素朴さに触れれば、ほとんどの視聴者は理解できるだろう。テイラーは音楽が好きなだけの女性なのだと。そうした側面を強調するように、音楽以外の話題でバッシングを受けることに涙するシーンもある。

カニエ・ウェストの執拗な攻撃

 バッシングに関して、特にフィーチャーされているのがラッパーのカニエ・ウェストだ。

 2009年のMTVヴィデオ・ミュージック・アワードで、テイラーは“You Belong With Me”で最優秀女性アーティストヴィデオ賞に輝いた。授賞式の会場にいたテイラーは壇上に登り、感謝のスピーチを始めた。

 しかし、そこへ乱入したのがカニエだ。スピーチ中のテイラーからマイクを奪い、ビヨンセが受賞するべきだとのたまった。会場にいたビヨンセは困惑の表情を浮かべ、観客はブーイングでカニエの愚行に応えた。ちなみにビヨンセは、この年の最優秀ヴィデオ賞を受賞した際、テイラーを壇上に呼んでスピーチさせる心遣いを見せている。

 この出来事はテイラーの心に深い傷を残した。ゆえに劇中でも当時の映像を引用してまで、大々的にフィーチャーするのだろう。

 カニエのテイラーに対する攻撃は、怨念に近いナニカを感じるほどすさまじい。2016年に発表した“Famous”で、〈I feel like me and Taylor might still have sex / Why? I made that bitch famous(俺はテイラーとまだセックスをしている気分だ / なぜって? あのビッチを有名にしたから〉という一節を残すなど、2009年に自ら起こした愚行をわざわざ蒸しかえしている。自身のツイッターで謝罪したりと、たびたび非を認めてきたにもかかわらず。

 さらに同曲のMVでも、テイラーをかたどった裸体の人形を登場させ、顰蹙を買った。これらの言動は、控えめに言ってもクソで、あまりに惨めだ。

 ラジオDJのデヴィッド・ミューラーと裁判で争ったことも、『ミス・アメリカーナ』の軸となっている。

 2017年にテイラーは、デヴィッドにセクハラ被害を受けたとして、訴訟を起こした。『TIME』誌がテイラーにおこなったインタヴューによれば、写真撮影でデヴィッドがドレスの中に手を入れ、お尻を掴んだそうだ。この訴えは認められ、同年8月に勝訴した。

 ところがその後、デヴィッドはセクハラ訴訟のせいでラジオ局をクビになったとして、テイラー側に300万ドルの損害賠償を求めた。それに対しテイラーは、セクハラの被害者として反訴した。この裁判でも勝訴を得たが、劇中でテイラーは喜べなかったと語る。証拠が揃っていても疑いの眼差しを向けられ、デヴィッド側の弁護士は嘘を並べたて、テイラーの人間性を踏みにじる。そのことにショックを受けたのだ。

沈黙を破ったテイラー

 当時話題となった多くのスキャンダルに関するテイラーの心境を知ることができるだけでも、『ミス・アメリカーナ』は興味深い作品と言える。だが、一番のハイライトを挙げるなら、2018年のアメリカ中間選挙に関する出来事だ。

 この選挙でテイラーは、地元テネシー州の民主党候補を支持すると明言した。それまでは慈善活動に参加することはあっても、政治的発言は周到に避けてきた。インタヴューで訊かれてもクレバーにはぐらかし、良い子を貫いた。

 こうした姿勢は、憧れと公言するカントリー・バンドのディキシー・チックスを見てきたせいもあるはずだ。2003年、ディキシー・チックスのナタリー・メインズは、当時のアメリカ大統領だったブッシュによるイラク戦争を批判した。ナタリーの発言は論争を巻きおこし、ブッシュに親和的なラジオ局の中には、ディキシー・チックスの曲を放送しないと決めたところもあった。その影響もあり、ディキシー・チックスのキャリアは停滞を余儀なくされた。

 それでも、テイラーは沈黙を破り、主張することを選んだ。テイラーが民主党候補を支援すると明言した理由は、共和党現職のマーシャ・ブラックバーンだ。マーシャは男女平等賃金だけでなく、家庭内暴力やストーカーから女性を保護する法律の再認可にも反対している。そのことが許せなかったと、劇中でテイラーは語る。

 しかし、明言するまでの道は容易くなかった。テイラーのマネジメントチームの中には、明言すべきじゃないという立場の者もいたからだ。その者とテイラーが議論する様子も『ミス・アメリカーナ』では映しだされる。

 興味深いのは、映像を見るかぎり、反対している者は全員男性という点だ。アンドレアは母親としてテイラーの姿勢を支持し、広報担当のツリー・ペインも積極的にテイラーを支援する。男性と女性では、同じ世界で生きていても見ている景色は違うと痛感せざるをえない瞬間だ。

テイラーは健全な恐怖心を持っている

 『ミス・アメリカーナ』は、さまざまなトラブルに見舞われた「良い子のテイラー」が、苦難を乗り越えて「黙らないテイラー」になるまでの物語を描いた映画だ。こうした内容に嘘臭さを感じるというなら、それこそ観た人の自由としか言いようがない。

 しかし筆者は、テイラーを冷めた目で見たり、バカにすることはできない。戦略的行動やイメージ作りが悪いと思わないからだ。SNSを少し覗けば、発信者のメッセージだけでなく、メッセージによってどういった効果が生じるかを意識した写真や言葉で溢れている。街を歩けば、楽しい瞬間をインスタグラムに残すため、写真の角度を考えてから自撮りする者に出逢うことも少なくない。

 多くの人がそのようなコントロールを欠かさない現在において、自らの影響力に自覚的なテイラーが戦略を立て、行動を起こすのはまったく不自然じゃない。むしろ、多くの人と似た思考という意味では、親近感すら抱かせる。

 大事なのは、どのように影響力を行使し、どのような意図で戦略やイメージを練っているかだ。テイラーの場合、男女平等の実現、性暴力の撲滅、反差別のために影響力を用いて、それを最大化するために戦略やイメージを組み立てる。その一環として、“You Need To Calm Down”のMVではセクシャル・マイノリティー支持の姿勢を明確にし、“The Man”のMVでは男性優位社会を痛烈に批判した。このように現実の諸問題を背負う姿勢は、もっと評価されてもいいのではないか。

 もちろん、影響力を行使した結果、誰かを踏みつけてしまうこともあるだろう。その怖さはテイラーも十分承知している。だからこそ、民主党候補を支援したい旨をSNSに投稿するときも、異様な緊張感を全身に滲ませるのだ。投稿後も体中がむずむずするような仕草を見せたりと、テイラーは健全な恐怖心を持っている。これらの様子もラナは映しだす。

 そんな姿に励まされ、自分も理不尽に立ち向かおうとする者が現れるなら、テイラーの戦い方は決して無意味ではないはずだ。

 『ミス・アメリカーナ』が公開されたことで、世界は変わるなんて甘言を言うつもりはない。だが、世界が変わるために必要なファイティングポーズをもたらしてくれる作品だとは断言できる。

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