女性があるべき姿になれなかったのか?〜Sarah Meth「Leak Your Own Blues」


Sarah Meth「Leak Your Own Blues」のジャケット


 ロンドンの北部で育ったシンガーソングライター、サラ・メスの音楽を初めて聴いたのは2020年だった。同年に彼女がリリースしたデビューEP「Dead End World」を通して、サラ・メスの存在を知ったのだ。
 このEPに触れて、瞬く間に彼女の才能に惹かれた。メランコリックな雰囲気を漂わせる歌声の奥底に佇む凛々しさ、フォークやジャズといった多くの要素を細やかに織りまぜた音楽性など、すでにいくつかの魅力を確立している様は驚異的と言っていい。

 言葉選びも大きな魅力だ。特に“What Does It Mean”の歌詞はとても気に入っている。〈What does it mean to be a woman?(女であることの意味とは?)〉という問いかけで始まるこの曲は、女性として生きることを多角的に考察する。短い歌詞でありながら、社会が女性に求めがちな性役割(ジェンダー)への戸惑いを上手く描いている。〈Have I failed to be Everything a woman should be?(私は失敗したのでしょうか 女性があるべき姿になれなかったのか?)〉と締めくくるまでの展開が見せつけるストーリーテリング力も良い。
 “What Does It Mean”を筆頭に、彼女は曲の中で社会と向きあうことが多い。たとえば“Dead End World”は、2010年から保守党が政権を握って以降のイギリスに対する辛辣な言葉で溢れている。貧困、人種差別、権力者の横暴といったテーマを横断しながら、歪な社会構造のまま進む《行き止まりの世界(Dead End World)》を描く内容は、諦念混じりの怒りを滲ませる。

 音楽に時代を反映させるのは、ニーナ・シモンを愛聴する嗜好が関係しているのかもしれない。1960年代の黒人公民権運動に参加したニーナ・シモンは、当時の黒人たちが抱える切実さを歌ったシンガーである。そうした姿勢と共振するアティチュードが彼女の音楽にもちらつく。生活していて生じる個人的情動を歌う一方で、個人的情動の背後にある社会にも目配せできる視野の広さは、今後の飛躍を確信させるには十分すぎるまぶしい輝きを放つ。

 その輝きは、今年5月に発表されたセカンドEP「Leak Your Own Blues」でも健在どころか、増している。アレンジは多彩さが花開き、音楽性の引きだしがより豊富になったとわかる作品だ。リー・ヘイズルウッドあたりが脳裏に浮かぶコード進行は1960年代のUSポップの香りを漂わせ、どこか退廃的で耽美的な匂いがするサウンドスケープはラナ・デル・レイに通じる。また、憂いが濃くなった彼女の歌声はベス・ギボンズ(ポーティスヘッド)を彷彿させる。彼女はフォークというフォーマットを介して、トリップ・ホップやソウルなどさまざまな時代の音楽とチャネリングする。
 なかでも惹かれた収録曲は“Lately Leaving”だ。微睡むようなサイケデリアを創出する音像はジョン・ウィリアムズといった映画音楽を連想させ、レトロでスモーキーな匂いを醸す。ドラマ『ツイン・ピークス』(1990~91、2017)のサントラで採用されてもおかしくいない音だ。
 “Wet Dreams”も素晴らしい。甘美なストリングスが映えるダウナーなドリーム・ポップとも形容できる曲調で、グルーパーなどアンビエント色が強いポップ・ソングに近いサウンドだ。他の曲と比べて実験的な側面が顕著で、表現の幅を広げようと試みる彼女のチャレンジングな姿勢がうかがえる。

 歌詞にも進歩の跡がある。豊富な語彙に基づくフレーズの数々は、複雑な心情を的確に描いている。テンポよく刻まれる言葉は心地よいグルーヴを創出し、メロディーメイカーとしての確かな才覚を示す。
 特筆すべきは“Blue”だろう。愛することの痛みと、その痛みがもたらす団結や共感を歌った内容は、哲学的思索が際立つ。聴けば聴くほど旨味が耳の中に広がり、感情を司る大脳辺縁系が拡張するような感覚に包まれる。音楽を聴くということは、まだ知らない気持ちや光景を知ることであるとあらためて実感できる曲だ。

 サラ・メスはデビューして間もないアーティストであり、ほとんどの音楽ファン、ライター、評論家も今後の成功を確信できていないだろう。しかし筆者は、そうした観測を無視して、彼女の音楽を聴いている。いま、もっとも次の言葉が楽しみな表現者のひとりだからだ。



サポートよろしくお願いいたします。