映画『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』


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 J.D.ヴァンスによる回想記『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(2017)を初めて読んだときの記憶は、楽しいひと時と言えるものではない。ラストベルト(アメリカのさびついた工業地帯を指す言葉)と呼ばれるオハイオ州の田舎町で暮らしていたJ.D.の人生に、何度も胸が締めつけられたからだ。
 時代の変化に伴う鉄鋼業の衰退と歩調を合わせるように増えつづける失業者。そうした社会の不安定化が生みだす、貧困、家庭崩壊、薬物依存といった問題。長年、世界のリーダーとして大手を振ってきたアメリカの輝きは、多くの人々が流してきた報われない汗と血のうえに成りたっていた。本書はそのことを、精魂込めて作られたであろう分厚い研究書よりも、的確に炙りだしている。

 そんなJ.D.の著書を映画化したのが『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』だ。本作のクレジットに目をやると、アメリカの映画界で長く活躍する者たちを迎えているのがわかる。監督のロン・ハワードに、脚本のヴァネッサ・テイラー。役者陣もエイミー・アダムスやグレン・クローズといった優れた俳優がいる。さらに音楽ではデイヴも大好きなハンス・ジマーが参加。映画ファンならおなじみの顔ばかりで、それぞれ実力も確かだ。とりわけヴァネッサ・テイラーは、筆者のお気に入りの映画『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)でも脚本を務めている。これらの要素のおかげで、筆者の期待値は高まる一方だった。

 その期待を胸に、本作を観た。物語は、新たな道を歩もうとするJ.D.ヴァンス(ガブリエル・バッソ)が、故郷で生活する家族に呼びもどされたことをきっかけに、これまでの愛と苦悩に満ちた人生を振りかえるというもの。
 結論から言えば、鑑賞開始から30分ほどは強い関心を保っていた。しかしそれは徐々に戸惑いへと変化していき、最終的には興奮の残りカスすら蒸発してしまった。

 もちろん、悪くないと思えるところもある。特にJ.D.がエリート弁護士たちとレストランで食事をするシーンは良かった。特別高いレベルの教育を受けたことがなく、裕福な家庭環境でもなかったJ.D.は、食事のマナーに疎い。スプーンの使い分けも、恋人であるウシャ(フリーダ・ピントー)のサポートがなければ満足にできない。
 それでもJ.D.は、自分の将来のためにと、エリート弁護士たちと会話を重ねていく。生いたちや出身地のこともテンポ良く語るなど、場の空気に馴染んでいるように見える。
 しかし、エリート弁護士のひとりがJ.D.の家族を〈レッドネック〉と呼んだことで、場の空気は一変する。レッドネックは、アメリカ南部に住む貧しい白人や、無学の白人労働者を指す蔑称だ。そんな言葉を家族に投げつけられ、J.D.は怒りを抑えられなかった。〈それは侮辱です〉と反射的に反論し、それを聞いたエリート弁護士たちの顔には戸惑いの表情が浮かぶ。

 このレストランのシーンは、苛烈な経済格差がもたらす越えづらい壁を明確に描きだす。富裕層にとって、教養、地位、人脈、富といった恵みは難なく手に入るものだろう。だが、裕福でない家庭環境で育った者にとって、それらはどれだけ頑張っても手にしづらい高級品なのだ。世の中には報われない努力もある。その現実から本作は目を背けていない。
 OECD(経済協力開発機構)による2014年の報告書『特集 : 格差と成長』も示すように、経済的に貧しい者ほど、教育の機会から遠ざかってしまう傾向にある。そうした社会的背景を滲ませるレストランのシーンは、現代が抱える問題を端的に、かつ鮮やかに突く。

 それだけに、作品全体を観たときに現れる雑さがどうしても目についてしまう。
 レストランのシーン以外にも、本作は社会的背景を滲ませたと思われる場面がいくつかある。たとえば、J.D.の母・ぺヴ(エイミー・アダムス)が薬物依存に陥ったのは、家庭不和の環境で育った影響だと示唆される。他にも、素行の悪い近所の子供とJ.D.がつるむ回想シーンを頻繁に入れることで、J.D.も1歩間違えば新たな道に進む機会を得られなかった可能性を示す。
 だが、なぜこのような問題が生じてしまうのか? については、掘りさげることを放棄している。秀逸なセリフ選びや短い会話などで、問題の根深さを抉りだす上手さも皆無。不思議なことに、レストランのシーン以外では、アメリカに横たわる後ろめたい現実を突く鋭利な批評眼が機能していない。

 『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』は、アメリカン・ドリームが叶わなかったとしても、信仰を失ってはならないと訴える牧師のスピーチで始まる。そこからさまざまな社会的背景らしきもので深みを出そうと試みるも、それが実現しないまま凡庸なメロドラマに着地する、すべての面で中途半端な作品だ。
 物語の起伏を作るネタとして、登場人物の哀れな境遇を描き、社会問題の表層に積もる塵をまぶしただけではないか。そう思われても仕方ない貧困ポルノレベルの描写が目立つ。



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