Lady Gagaが『Chromatica』でハウス・ミュージックを軸にしたのは必然だった


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 ルイス・マヌエル・ガルシアも示すように、ダンス・ミュージックはセクシュアル・マイノリティーのコミュニティーを発祥としている。
 もちろんそのなかにはハウスも含まれる。いまやさまざまな曲で聴けるようになった4つ打ちのビートに合わせ、多くの人たちが差別や偏見から逃れるため、あるいはその2つが蔓延る現実と戦うために踊った。自分と似た境遇の人をフロアで見つけたら、セクシュアリティーに関することだけでなく、仕事や生活といった悩みも語りあう。
 人種や性的指向の垣根を超え、自分という存在に自信が持てる場をハウスは作りだした。

 そんなハウスの影響は至るところで見られる。たとえば、エイズを巡る差別や偏見に抗議する団体ACT UP-Parisのメンバーだったロバン・カンピヨ監督は、映画『BPM ビート・パー・ミニット』(2017)においてハウスを重要な要素に位置づけていた。ミスター・フィンガーズ“What About This Love ? (Kenlou Remix)”(1992)を劇中で使用し、ハウスをバックにクラブでショーン(ナウエル・ペヤーズ・ビスカヤート)が踊るシーンも撮っている。セクシュアル・マイノリティーのコミュニティーにとって、ハウスがどれだけ大事だったかを知る意味でも、『BPM ビート・パー・ミニット』は必見と言える。

 ハウスの話から始めたのは、レディー・ガガの最新作『Chromatica』を愛聴しているからだ。
 近年のガガは従来のド派手なイメージやサウンドとは距離を置いていた。トニー・ベネットとのコラボ・アルバム『Cheek To Cheek』(2014)では1930年代のジャズ・ナンバーを歌い、前作『Joanne』(2016)はカントリーを取りいれた作品に仕上げるなど、アメリカのルーツ・ミュージックと向きあう機会が多かった。トレードマークだったゴージャスなファッションも少なくなり、等身大の姿でいることが増えた。『Joanne』のジャケットで披露した、ピンクのカウボーイハットを被るシンプルなスタイリングはその象徴だ。

 それだけに、『Chromatica』でガガが再びゴージャスさを前面に出してきたのは驚きだった。映画『マッドマックス』(1979)の登場人物みたいな衣装をまとい、それで歩けるのか?と思ってしまう奇特なブーツを履いたガガが際立つジャケット。アッパーなポップ・ソングを並べ、リスナーをどこまでも高ぶらせるアルバムの構成。これらの特徴に触れ、ポップ・スターという名の鎧を被り、大勢の観客たちを扇動するガガが帰ってきた。そう感じた人も少なくないだろう。

 『Chromatica』のサウンドに耳を傾けると、実に多彩であるのがわかる。エルトン・ジョンを迎えた“Sine From Above”では突如ジャングルのビートに変貌する曲展開があり、“Stupid Love”はHi-NRGやユーロ・ビートを想起させるメタリックなシンセ・フレーズが際立つ。
 そのような多彩さのなかでも、特に目を引いたのはハウス要素の多さだ。アリアナ・グランデとのコラボ・ソング“Rain On Me”は、CrydamoureやRouléあたりのカタログに並んでいてもおかしくないメロディアスなフレンチ・ハウスとして楽しめる。ガガのパワフルな歌声が光る“Alice”も、マドンナ“Secret (Junior's Sound Factory Mix)”(1994)といったキックの強いハード・ハウスが脳裏に浮かぶ。

 ブラックピンクが参加した“Sour Candy”も素晴らしい。艶かしいグルーヴで踊らせてくれるこの曲は、アーマンド・ヴァン・ヘルデン“Witch Doktor”やジュニア・ヴァスケス“Get Your Hands Off My Man (Sound Factory Mix)”あたりのハウス・クラシックがちらつくサウンドで、筆者の琴線を揺らしてくれた。強いて言えば、ヴォーグ・ハウスとハード・ハウスのスパイスを調合し、それをビルドアップ→ドロップというEDM的手法にふりかけた曲だろうか。ステレオタイプな女性らしさに対する皮肉を滲ませた歌詞も秀逸だ。

 歌詞といえば、『Chromatica』でのガガはこれまで以上に率直な言葉を歌っている。女性を物扱いする人たちを振り払い、私は自由だと高らかに歌う“Free Woman”を筆頭に、ガガの想いがストレートに伝わってくる曲ばかりだ。性暴力を受けたせいでPTSDを発症した、あるいは男性優位な音楽業界を批判してきたというガガの背景を知っている人ほど、心に響く言葉で溢れている。

 『Chromatica』において、ガガがハウスを軸に選んだのは必然だったのかもれない。冒頭でも書いたように、ハウスはセクシュアル・マイノリティーに解放をもたらし、差別や偏見に抗うための場を生みだしてきた。
 そうしたハウスの歴史を、ガガは自らの闘争と重ねたのではないか? これまでセクシュアル・マイノリティーへの支援を積極的におこなってきたガガのことだ。ハウスがどのような背景から生まれ、発展したのか熟知していても不思議じゃない。



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