希望を掴むための選択が引きおこす悲劇 映画『ビニールハウス』


映画『ビニールハウス』のポスター

 ビニールハウスで暮らしているムンジョン(キム・ソヒョン)は、少年院に入所中の息子と再び一緒に暮らすことを夢見ながら、訪問介護士の仕事をこなしている。そんなムンジョンの介護を受けているのは、盲目の老人テガン(ヤン・ジェソン)と、テガンの妻で認知症を患うファオク(シン・ヨンスク)だ。
 ある日、風呂場で暴れるファオクとムンジョンが揉みあった。その際、ファオクが頭を床に打ちつけてしまい、息絶えた。この出来事は、夢を叶えるため仕事を続けたいムンジョンにとって、都合の良いものではなかった。そこでムンジョンは、同じく認知症である自らの母親をファオクの身代わりに据え、難局を乗りきろうとする。しかし、その選択は新たな悲劇の始まりになってしまう。

 ここまで書いてきたのは、イ・ソルヒ監督にとって初の長編映画となる『ビニールハウス』のあらすじだ。韓国の社会問題を背景に、理性をかなぐり捨てて希望へ突き進もうとした女性の顛末を描く本作は、楽しかったねと談笑しながら映画館を後にするのは難しい作品だ。数多くの社会問題と、それに対するイ・ソルヒの秀逸な批評眼が頭にこびりついて離れないのだから。
 たとえば、劇中で登場するビニールハウスは、貧困にあえぐ低所得者層や移民労働者が住むところとして、韓国で社会問題になっている。韓国の映画/ドラマを観ていると、厳しい生活の人が半地下や屋上の簡易住居(オクタッパン)に住む描写が目に入ることは珍しくないが、そこにも住めない人の居住先がビニールハウスだ。階級の視点で言えば、労働者階級よりも下のアンダークラスといったところか。それゆえ本作における貧困の描写は、これまで韓国の映画/ドラマで描かれてきたものと比べて、よりハードと言っていい。

 そのようなイ・ソルヒの問題意識に触れ、これは見逃せないと強く感じたのが社会的性役割という意味でのジェンダー視点だ。イ・ソルヒいわく、本作の脚本は、自身の母親から受けた影響が濃いという。母親は奉仕活動に熱心で、常に誰かの世話をしていたそうだ。しかし、そんな母親が認知症の祖母を介護しているときは、どこか辛そうに見えた。その姿が本作の物語に少なからず反映されているという。
 イ・ソルヒの言葉をふまえて、ムンジョンの姿を見ると、そこには女性として生きることの困難が表れているように感じられる。人は生まれて、必ず死ぬ。死を迎えるにあたって、親など身近な誰かを介護する機会は多くの人に訪れるものであり、環境によっては避けられない出来事だ。だが、いまの世情はそんな出来事が足かせになりがちだと、本作は明確に示している。福祉をはじめとした公的支援は手薄で、かといって公的支援を必要としないほどの経済的余裕を持つのも難しい。そのような現状では、結婚せずに子供を産まないという選択をしても、誰も責めることはできない。こういった視座をイ・ソルヒは隠さず、物語を描ききっている。

 物語を描くための手法も、本作の興味深い点だ。あえて登場人物たちと一定の距離を置いたカメラワークは、客観的に内省できるイ・ソルヒの知性を滲ませるだけでなく、観客の視点によって作品の余白が補われるという、いわば親密な共犯関係を築くための役割も果たしている。どこかぶつ切りの印象をあたえる編集は、散文詩のアンソロジーを読んだときの読後感と似た感覚をもたらしてくれるという意味で詩的と評せるが、これもやはり作品の余白に繋がっている。
 描きたいテーマや、そのテーマについての視点と意見は明確でありながら、観客の視座によって姿を変える側面も残そうとしたイ・ソルヒの挑戦的創作は、見事に成功している。この成功によって、観客は映画館から出た後も本作で描かれた問題や描写について考えつづけることになる。それはおそらく、歪な社会構造を良い方向に変えるためにも、現実から目を背けてほしくないと願うイ・ソルヒからすれば、狙いどおりなのだろう。本作が出品された第27回釜山国際映画祭で、CGV賞、WATCHA賞、オーロラメディア賞の3冠を達成した才気は伊達じゃないということだ。

 本作の問題意識は、同じく介護がテーマのひとつであるミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』(2012)と共振するところがある。しかし、尊厳死に関する議論を呼びおこしながら、夫婦愛の深さを描いた『愛、アムール』とは違い、本作はあたりまえとされる繋がりに疑問を呈する。家族だからといって、必ずしも喜んで世話をできるわけではない。喜んでしているように見えても、それは社会から要請される不条理を飲みこみながらかもしれない。そういった抑圧をイ・ソルヒは炙りだす。
 そういう意味で『ビニールハウス』は、ムンジョンのような立場にない人も共鳴ができる、懐が深い映画と言えるだろう。明らかに筋が通っていない上司の指示を実行する部下など、不条理が喉に詰まって窒息寸前の立場にある人は少なくない。特定のテーマを深掘りしながら、違う視点で観ても共感可能な物語を生みだせるイ・ソルヒは、紛れもなく次代の韓国映画を担える逸材だ。



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