ホロコーストの加害者と、今を生きる私たちの日常が重なる怖さ 映画『関心領域』


映画『関心領域』のポスター

 1945年、とある邸宅でヘス家が幸せそうに暮らしている。夫のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)、妻のヘートヴィヒ・ヘス(ザンドラ・ヒュラー)、そして子供たち。一見、どこにでもいる一家だ。ヘス家の住む邸宅がアウシュビッツ収容所と壁一枚を隔てたところにあるという以外は。

 第76回カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得し、第96回アカデミー賞では国際長編映画賞と音響賞を受賞したジョナサン・グレイザー監督の『関心領域』は、ヘス家の日常を描いただけの映画だ。しかし、そのような映画に筆者は心の底からゾッとしてしまった。
 アウシュヴィッツ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘスをモチーフに作られたという意味で、本作は加害者側からホロコーストを描いた作品と評せる。だが、グレイザーはナチスの残虐行為などのショッキングな映像を見せることはしない。劇中では、たおやかな空気を漂わせる庭園や川辺といったのどかな風景のほうが多い。
 にもかかわらず、本作がホロコーストを扱った過去の作品群と比較しても飛びぬけた恐怖体験をもたらす作品に仕上がったのは、音の使い方が絶妙だからだ。リアリティー番組風にヘス家の日常を映しだす一方で、アウシュヴィッツ強制収容所からは不穏な人間の叫び声や焼却炉の稼働音が聞こえてくる。こうしたコントラストを淡々と描くことによって、グレイザーは強制収容所でおこなわれた凄惨な行為を観客に想像させる。

 その描き方が過去の出来事としてではなく、現在と繋がる形であるのも本作の重要なポイントだ。自然光を基調としたライティングに、古さを感じさせない綺麗なセット。さまざまな面で本作は《今》をアピールしている。そこには、本作の物語は現在の世界と共振するところがあるというグレイザーの批評眼がうかがえる。
 たとえば、いまパレスチナではイスラエルによるジェノサイドがおこなわれている。SNSを覗けば、意図的に見ようとせずともジェノサイドに関する情報が入ってくる。それでも、ほとんどの人はその情報をスルーし、日常を生きている。グレイザーは、ホロコーストという出来事を介して、このような状況が帯びる怖さを描く。

 だからこそ、本作の問いかけは多くの観客にとって心苦しいものとなる。自分もへス家と似たようなものじゃないのか? 無関心や傍観という形で凄惨な行為に加担しているのではないか? イスラエルによるジェノサイドやホロコーストに限らず、こういった悩みを抱かせる瞬間は日々の生活において少なくない。ゆえに観客は、本作の物語を身近なものとして受けとめられる。
 本作以前にも、音を意識した映画はいくつかある。『音の映画 Our Sounds』(2022)は、映像を見せない音声のみのドキュメンタリー映画という手法によって、世界の多様性と向きあうよう観客をいざなう。リズ・アーメッド主演の映画『サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜』(2019)は、音が聞こえない演出を通して、《聞こえる》の意味を追求した。

 だが、これらの作品群と本作は似ても似つかない。観客は映像を見ているし、アウシュヴィッツ強制収容所でおこなわれることも聞こえてくる。恐ろしいのは、見えていても、聞こえていても、何も変わらないということだ。文字通り真っ暗な画面に音楽が流れるプロローグと対比させるように、同様のエピローグで物語を終える構成は、その変わらなさへの哀情に思えなくもない。

 『関心領域』は、観客に考えさせる余白を保ちながら、傍観を良しとしないジョナサン・グレイザーの明確な意志が滲む作品だ。


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