『梨泰院クラス』は古びた社会構造を打ち破る爽快なドラマだ 初出:wezzy(株式会社サイゾー) 2020年4月26日

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元記事
https://wezz-y.com/archives/76348
魚拓
https://archive.md/F8jU7

 ドラマファンなら今年、1度は韓国ドラマ『梨泰院クラス』の名を聞いただろう。2020年1月31日に韓国JTBCで放送が始まり、同年3月21日に最終回を迎えた作品だ。JTBCのドラマとしては、『SKYキャッスル~上流階級の妻たち~』(2018)に続く歴代2位の最高視聴率16.5%を記録した。

 最終回から7日後、ネットフリックスを介して全世界に配信されると、日でも大きな注目を集めた。日本国内の人気作品を示すネットフリックスの「今日の総合TOP10(日本)」にも長くランクインするなど、根強い支持を得ている。

 なぜそこまでの人気を獲得できたのか?その理由を筆者なりに考えてみると、不公平な社会構造に抗う物語の爽快さや、従来の韓国ドラマではあまり見られないヒロイン像など、多くの魅力があることに気づいた。

セロイの復讐劇

 物語の主役はパク・ソジュン演じるセロイだ。ある日、高校生のセロイは、グンウォン(アン・ボヒョン)にいじめられていたクラスメイトを助ける。その際セロイがグンウォンを殴ってしまい、セロイの父親ソンヨル(ソン・ヒョンジュ)と、グンウォンの父親デヒ(ユ・ジェミョン)が学校に呼びだされる。

 デヒは大企業の「長家(チャンガ)」を経営し、ソンヨルは長家で働いていた。そのためデヒは穏便に事件を収めようとする。だが、それと引きかえに土下座を要求されたことに、セロイはどうしても納得できなかった。グンウォンの暴力に対し、頭を下げるのは道理に合わないと思ったからだ。自分が手を上げたせいで罰を受けるのは納得できても、グンウォンが一切罰を受けないのはおかしい。信念を曲げないセロイは、土下座を拒否した。その決断にデヒは怒りを隠さなかったが、ソンヨルは感銘を受ける。

 セロイの想いを尊重し、ソンヨルは退職をデヒに申しでる。それをデヒが認めたことで、セロイは法的な罰を受けずに退学だけで済んだ。

 その後ソンヨルは、セロイにお酒の飲み方を教えるため一緒に飲もうと誘う。そこで信念に忠実な姿を誇りに思うと告げられ、セロイは励まされる。そうしてセロイとソンヨルは人生の新たなページをめくった。

 まずは第一歩として、ソンヨルはセロイと焼肉屋の開店準備を始める。セロイはソンヨルの作業を手伝いながら、幸せな日常を噛みしていた。初恋相手のスア(クォン・ナラ)とも少しずつ仲を深めるなど、新たな喜びにも恵まれた。

 しかしその幸せは続かなかった。ある夜、バイクを走らせていたソンヨルが車に追突され亡くなってしまうのだ。しかも車の運転手はグンウォンだった。

 それを知ったセロイは、グンウォンになぜ父を殺したのか?と問いつめる。何度もグンウォンを殴りつけたあと、近くの大きな石を持ち、振りあげた。ところがそこへスアが駆けつけ、セロイを制止する。スアの説得によってセロイは振りあげた石を捨て、泣き崩れる。

 この事件でセロイは実刑を受け、刑務所に収監されてしまう。一方で、デヒはひき逃げの犯人を別に仕立てあげ、グンウォンの罪を隠蔽した。刑務所のなかでセロイは、すべてを奪ったデヒとグンウォンに復讐するため、壮大な計画を練りあげる。

馴染みの「格差恋愛」ではない

 『梨泰院クラス』はセロイの復讐が果たされるまでを描いた作品だ。貧富の格差や権力者の横暴など、韓国ドラマでは定番の題材をふんだんに盛りこんでいる。

 登場人物で特に目を引いたのはキム・ダミ演じるイソだ。劇中でのイソは、社会に馴染めないソシオパスの女性として描かれている。IQ162で、勉強、運動、楽器演奏など何でもこなせる。SNSで多くのフォロワーを持つインフルエンサーにして、一握りの天才だけが参加できるメンサコリアの会員でもある。

 そんなイソは、とあるきっかけで出逢ったセロイに惚れこみ、セロイが出所後に開店した居酒屋『タンバム』のマネージャーになる。だが、それはイソの母親ジョンミン(キム・ヨジン)が望む道ではなかった。母子家庭で育ったイソは、平凡な男を愛さないよう言われてきた。ジョンミンは平凡な男と結婚し、理想とする幸せを手にできなかったからだ。

 それでもイソはセロイを選び、共に居ようとする。第4話でイソが紡ぐ言葉を借りれば、〈平凡な男ではなく 上等な男に仕立てる 私が〉と決意を固めるのだった。

 ジョンミンが望む成功だけでなく、セロイとの愛も叶えようとする欲張りなイソは、これまでの韓国ドラマで描かれてきたヒロイン像とは大きく異なる。

 たとえば、最高視聴率50.5%を記録した『私の名前はキム・サムスン』(2005)は、裕福でないパティシエのサムスン(キム・ソナ)と、青年実業家ジノン(ヒョンビン)の格差恋愛を描いた。

 この構図は韓国ドラマにおける定番のひとつだ。『君は僕の運命』(2009)や『マイ・プリンセス』(2011)など、多くの人気作において格差恋愛が物語を進めるエンジンになっている。

 見逃せないのは、裕福な男性と裕福でない女性の格差恋愛が目立つことだ。『君は僕の運命』では、母親に捨てられたセビョク(ユナ)は可哀想な女性として描かれ、セビョクと結ばれるホセ(パク・チェジョン)は経済的に恵まれた敏腕サラリーマンだった。『マイ・プリンセス』も、エリート外交官のヘヨン(ソン・スンホン)に対し、恋仲になるソル(キム・テヒ)は大学生だ。

 そんな組みあわせの多さを考えるうえで、韓国における儒教の影響力は無視できない。儒教には“五倫”という5つの価値観で構成された道徳理論があり、そのうちのひとつは“夫婦の別”と呼ばれている。夫と妻に固定的な役割を課すそれは、男性は外で女性は内という価値観が強く、男性優位な家父長制的思想が色濃い。そうした背景があるからこそ、裕福な男性に裕福でない女性が救われるシンデレラ・ストーリーが多く作られ、ヒット作品も生まれた。富や名声といった力を持つのは常に男性側だったのだ。

 しかしイソは、裕福な男性に見初められるのを待っている女性ではない。前科者で学歴も権力もないセロイを立派な社長に仕立て上げようと頑張り、そのためには主張を貫くこともいとわない。セロイも含めたスタッフたちに遠慮なく指示を出し、自ら『タンバム』の内装を手がけたりと、女性が内にいることを求める“夫婦の別”とは真逆の存在だ。

 型破りなイソの積極性に、セロイは信頼を寄せている。ときには自らの考えを覆してまで、イソの言葉に従う。その様子は男性側が優位な従属関係ではなく、対等なパートナーとして接しあう公平さを滲ませる。

 イソとセロイの関係性は、韓国ドラマ史の文脈で見れば斬新と言っていい。最近では『愛の不時着』(2019)もこれと似た斬新さがあったが、実業家のセリ(ソン・イェジン)に対し、ジョンヒョク(ヒョンビン)は北朝鮮の将校という男女逆転の格差恋愛にとどまっていた。それと比べたら、共に裕福ではなく、格差恋愛そのものから逸脱したイソとセロイのほうが先鋭的だ。

 そうした先鋭さが目立つ「タンバム」側と対比させるように、デヒ率いる長家は独裁的体制を前面に出している。少しでもデヒに反抗すれば睨まれ、罰として暴力が飛び交うことも珍しくない。地位が高い人の意見を絶対視する気風は、自らを権威的な人間と評するデヒの価値観が反映された厳しい縦社会だ。先に書いた“五倫”を構成する価値観のひとつで、年少者は年長者に従わねばならないと説く“長幼の序”の考え方が強い。

 それでいて、デヒは仕事がまったくできないグヌォンに取締役の地位をあたえ、後継者として考えたりと、縁故主義に基づく同族経営がおこなわれている。この構造は、能力よりも血が優先されるという意味で不公平だ。

希望を灯す反骨心

 強大な力を持つ長家に「タンバム」の人たちが立ち向かう物語は、サビだらけで歯車も満足に回らない古びた価値観を塗りかえる。利益や権力のために弱い立場の人を踏みにじり、そのことを何とも思わない冷酷さに批判の眼差しを向ける。

 この批判精神を象徴する「タンバム」では、さまざまな人たちが働いている。セロイは父子家庭でイソは母子家庭。コックのヒョ二(イ・ジュヨン)はトランスジェンダーで、ホールスタッフのスングォン(リュ・ギョンス)は元暴力団の前科者。さらにアルバイトのトニー(クリス・ライアン)はギニアと韓国のミックスだ。社会から排除されたり、差別や偏見の目で見られがちな人が多い。

 その目は劇中でもしっかり示される。ヒョニはトランスジェンダーであることをアウティングされ、トニーはクラブに入場しようとして人種差別に遭う。

 これらの事に対し、セロイは毅然とした態度をとる。ヒョ二には〈お前はお前だから他人を納得させなくていい〉(第12話)と優しい言葉をかけ、トニーを差別したクラブの入口には〈人種差別〉〈国の恥さらしだ!〉〈韓国の恥〉〈クソらえ〉(第8話)とスプレーで書きこむ。

 セロイにとって、性自認や人種は障害にならない。心が繋がる仲間であれば誰でも受けいれ、仲間が理不尽に晒されたら怒る。そうした垣根にとらわれない連帯の理想像としてセロイは描かれている。

 『梨泰院クラス』は、苛烈な格差社会やそれがもたらす理不尽を反映しただけのドラマではない。理不尽が蔓延る社会に希望を灯すための反骨心で満ちあふれる、輝かしい道しるべだ。

参考文献

朝日新聞社『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』2007 朝日新聞社
大原志麻『映像文化における日韓ジェンダー比較』(収録 : 静岡大学人文学部アジア研究センター『アジア研究』7号 2012)
姜在彦『朝鮮儒教の二千年』2001 朝日新聞社
芳賀恵 金周英 玄武岩『リメイク作品から見る日韓ドラマの社会性』(収録 : 北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院『国際広報メディア・観光学ジャーナル』 No.18 2014)
古田富建『儒教から読み解く韓流ドラマ』(収録 : 帝塚山学院大学国際理解研究所『国際理解40号』2014)
山下英愛『女たちの韓流――韓国ドラマを読み解く』2013 岩波書店

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