![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/64056816/rectangle_large_type_2_1ed3ee07cc4b5bfd9b8e2cfe739438be.jpg?width=800)
「自分は誰かにとって他人である」という当たり前の事実をマネタイズすること:自己啓発、占い、資本主義
國分さんとの対談本は『言語が消滅する前に』というタイトル。ゲラで通して読んで、なかなかに挑発的なものになったと思う。収録した時期よりも、現在は強いことを言いにくくなった。どんどんそうなっている。たぶんそれで、というのもつまらない話だが、今読むと挑発的に見える。
言葉の力が失われつつある。僕はよくツイートで、言語の「隠喩」機能が弱体化しているのではないか、という懸念を示している。書かれたものの文字通りの意味ではなく、皮肉な意味であったり象徴的な意味であったりが、読み取られにくくなっている。何でも一対一対応にすればスッキリするというのが強まっている。言語がただの「情報」になっていく。というのは、理系的なものの全面化である——と言うと理系の人は不快に思うかもしれないが、プログラミング言語は文字ひとつ欠けても作動しないわけで、まさに一対一対応的な、いささかの「ハンドルの遊び」もないものの代表である。もちろん数学の厳密な言明がそうであるわけだ。
——以上をマクラにして、自己啓発本というものについて考えてみたい。自己啓発本における言葉の力とは何なのか。それは他人という存在の問題である。
ここから先は
1,598字
¥ 200
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?