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家族は医師の下請けではない:「糖尿病警察」というおちゃらけに噴飯!医師により家族は分断され、憎み合い、孤独に死ぬ。「家族」の消えた時代。良い医者悪い医者。

「糖尿病警察」と言う言葉があることを知ったのは少し前のことです。患者が「医師の言う食事の制限」を破った時に家族が取り締まることです。糖尿病の「指導医」がオチャラケて書いていました。

30年前、出張で泊まった宿の女将さんが、「旦那さんが糖尿病で亡くなった事を話してくれました。最後の10年は、いくら言っても聞かないで外に出ていてはベロベロになって帰ってきて、最後はフットスライス(壊疽で足を少しずつ切る)になり亡くなったといいます。

あんな死に方するんだったらもっと食べたいというものを食べさせてあげればよかったと悲しそうにいうのでした。

僕はII型糖尿病であることを隠しません。特に食事を用意してもらう時に、残したりする事があったり、ドレッシングをマユネーズに変えてもらったり、キャベツを倍量にしたもらったりすることが多いので、話をすることが多いのです。

その時に女将さんの言葉に思わず涙しました。そして、この病気が家族にとって大きな悲劇を呼ぶものだと気がついたのです。

その後、僕はII型糖尿病であることを誰にでも話します。いろいろな体験を聞き、話す、励まし、励まされもしました。

治療中断は医師にとっては売上減

僕が治療をやめたのは、当時のかかりつけの医師が、患者を知ろうとしていなかった事に気がついたからです。

つまり僕のことも診察して薬を売る病気の入れ物としか見ていないことに気がついたのです。しかしそれも仕方がないことです。一人の患者からあがる売上は微々たるものです。

糖尿病の本を買っている間に「バーンアウト(燃え尽き)」と言う言葉に出会った。先の見えない「治療と合併症の追いかけっこ」に対しての諦めることなのです。僕も陥いりました。

医者は「家族」に恐怖を植え付ける。家庭は監獄になる。

家族は一つにならなければならないのに、自分の傀儡として家族を使おうとしている医師がいるのです。

医師や栄養士の食事指導はあまりに貧弱です。言っていることは禁止項目ばかりです。自分もできないようなことを並べ立て、患者の人生を知ろうともしません。病気の仕組みを「難しいからと」まともに説明もしません。


食事指導が行かないのにはにはそれなりに理由があります。悪いところの指摘ではなく、共に悩みいい方法を探さねばなりません。そして、この患者さんで上手く行ったことを別な患者さんにも伝えるべきなのです。

患者は孤独です。医師こそが患者をつなぐことの出来る場所に居ます。

患者を否定するところから始まる医療

ナラティブメディスンという患者との接する技法があります。患者の話を聞いて患者自身を理解すること、同じ人間なのだと共感し合うことが医療にとって大きなプラスになるという考え方です。当然、患者は医師を理解し、信頼関係が生まれるのです。医師が本当に心配してくれていると感じることが出来るのです。

ところが、日本の「ナラティブメディスン」の解説書によると、患者の知識が間違えている事を自覚させ論破する為のものだということになっています。正直その本を読んで度肝を抜かれました。ちょうど海外の医師が書いた本を読んで感銘っを受けたあとでしたから残念な気持ちになったのです。

医師は権威の源であることを十分自覚するべきだ。

医療行為は「政治的に正しく」なければなりません。これは当たり前です、医師が自分の権威を利用してネットワークビジネスなどに手を染めては犯罪です。うちの母は歯科医院で脳に水銀が溜まっていると言われおかしなサプリメンをと売りつけられようとしました。また、2015年にはI型の患者さんが、医師に殺されました。

この事件は実に多くの教訓を与えてくれます。医師の質の問題、疑似科学に対して向き合う患者の問題、家族の感じた孤独(僕はこれが一番つらい)。

生きるということは苦痛の連続です。しかし、学び、共感しあい、生きていかねばならないのです。

解決策はどこにあるのだろう

家族と言う枠組みはすでに失われました。行政に私達はその役割を委託しました。しかし、マニュアルは生命を扱えないのです。

解決すべき問題は多くあります。レセプトという医療に対しての評価、医師が持っている人間性の問題、患者が権威に頼る問題。

しかし、なんとか見つけられると思っています。医療の現場に家族の優しさがうまれ、家庭の苦しみの中に医療の知識が加わることで変わっていきたいと思っています。

僕は悲観的なオプチミスト(楽天家)なのです。


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素晴らしいお医者さんについての事


萩原先生は僕が最初に出会った糖尿病の専門医です。ご自身もI型の患者で僕にもっと気楽に行きなさいと感じさせてくれました。すぐには気が付きませんでしたが、先生と出会えたおかげで僕は糖尿病と向き合うことができたと思っています。

先生にとって、糖尿病は患者の問題であると同時に自分が向き合っている問題でもあったのです。

萩原先生

(先生が最後に勤務なさっていた病院のページから頂きました。)

本が出来た時先生にお読みいただこつと手を尽くして探しました。結局先生の消息がわかったのですが、その年の3月にお亡くなりになっていました。

もちろん、バーンスタイン博士も大好きです。

素晴らしい先生は、生きることの勇気を与えてくれます。専門的な知識や権威ではなく、その人の内面こそが患者を癒すのです。


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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。