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「円周率」と「複雑なこの世界」のお話

先の記事に「円周率」の事を書いたら、コメントいただいた。
とても嬉しかったので、昔書いた覚えのある円周率の話を探してみた。今僕が考えていることとの関わりもあり、少し書いておきたい。

円周率ってなんの役に立つの?

「パーソン・オブ・インタレスト」というTVシリーズがあったのだが、ご多分に漏れず1〜2シーズンが一番面白い。この手のお話は風呂敷が大きくなればなるほど破れやすくなるのだ(笑)。こちらのサイトより頂きました。

「シーズン2 第11話 完全なる方程式 2 Pi R」の中のシークエンス。
フィンチ(天才開発者で、人々に災厄をもたらす可能性のあるシステムを開発した)が天才的な頭脳をもった高校生(過去の自分)と向き合う話。高校の授業の中で彼が円周率についてこんなふうに語っているのだ。

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πとは、ギリシャ文字で円周率というものを表していて、3.1415926535...という数字には終わりがない。
しかも、同じパターンは二度とない。つまりこの小数点以下の配列の中に、すべての数字の配列が含まれる。君たちの誕生日、ロッカーの鍵の番号、社会保障番号も、すべてこの中に存在する。
もしもこの小数点以下を文字に置き換えたとしたら、おそらく今までに存在したすべての単語が、あらゆる組み合わせとなって潜んでいる。
君たちが生まれて初めて発した言葉、最近片思いしてる人の名前、人生の始まりから終わりまで、我々人間が言うこと、すること、この世界の無限にある可能性が、この円ひとつに、含まれてるんだ。
その情報を何に使うか、どう役立てるかは君たち次第だよ。

こんな授業を受けることが出来るというのは素晴らしい。
知識というのは、どう使うかが問題だと言うこと、自分の問題を解決するための力なのだと語っているのだ有限な生命が、無限の可能性を見つけたのだ。
泣ける。

円周率を何桁目まで覚えるかという愚かな議論、「おおよそ3」と言うわかりやすい誤り、いずれも間違えではない。このシークエンスを見てから何桁目まで言えるようになるか頑張ってみたが、3.14までしか覚えられない。流石に、僕である。
考えてみれば、普通の人が覚えられる程度まで言えればそれ以降は何でもわかるまいと思うのであるが。


細胞のレベルから生命を見ると


生命の代謝系のことを勉強していたら、生命というのが2つとして同じものがない思った。個体のレベルから見て「世界で唯一つの…」などという歌曲もあるが、逆に言えば皆同じでと考えているからである。だからアンタは一つだけの花だよなどと言う。

生命は、DNAという設計図に従って作られていると医学は考える。だから「同じ種に属するボディ」に「精神という運転手が乗っている」ボディの性能は同一だから、駄目なのは運転手の能力だということになる。病気になるのは自己責任なのだ(笑)。

しかし、一人一人の身体というのがまったく異なったものであるとしたらどうであろうか。DNAは細胞の外部に対する反応のプロトコルであって、「種」としての外見は「サンゴ礁」が同じ日照や温度の中で同じ様な「表現型を持つ」と考えると多くの解決の難しい難問(進化の仮説)が解ける。

「種としての外観」リンネという学者が体系立てて提唱した。疑い深い目立ちたがり屋のダーウインが「進化」とい概念を自然界に持ち込んでアミニズム(汎神論)にとどめを刺した。科学というフェイクに騙された方々の数は知れない。住み分けすことで形態は変わるということを観察から見つけた学者は多い。しかし、「非科学的」とレッテルを貼られた。科学という権威は学会以外の論を否定することで成り立つ。その意味では宗教の異端審問と全く同じである。僕の大好きな新科学者は今西錦司さん、ドーキンスも好きであるが、生物を遺伝子の乗り物というのは気に入らない。マイクロバイオームの乗り物という方が遠くまで見渡せる。


身体というコロニーに住んでいる細胞自身が常に変わっていっている。一つの細胞には8億から80億の「タンパク・脂質が立体構造」を持ち漂っているのだ。そして、常に細胞の内側に外部の物質を取り込みながら、外に吐き出している。
教科書では細胞間でのメッセージのやり取りをする物質を「ホルモン」と呼んで大騒ぎをするが実際には細胞は「お喋り」で噂話が大好き。少し前にはサイトカインと呼ばれるメッセージ物質に脚光が当てられた。しかし、それ以上に「通常の物質」も細胞に対しては大きな影響を与える。
自己免疫疾患などという症状は、細胞が不要のSOSを出したために『無慈悲な壊し屋(免疫系)』が暴走しているのだ。

そのコロニーに存在する細胞生命の内側の状態は、あらゆる瞬間で「同じ状態が繰り返されることはない」。なおかつ80兆個とその数百倍の生命のコロニーである。それで1個体分である。このような生命のコロニーが世界にどれだけあるのだ。

「医学」っていうのは、『「ヒト」は皆同じDNAで出来ているから、同じ様に薬は効くのだ、治療は存在するのだ。』と考えている。僕は大きな袋小路に入り込んでしまっていると思う。
かつて糖尿病の治療「血糖値を降下させる」のはインスリンだけと言われていたが、血糖値(検査値)は様々な細胞たちのお喋りの言葉なのだ。
そして、その姿は2つとして同じ物はない。

まさに一人一人が別な生命と考えたほうが良いのだ。
では、誰にでも効果のある「医療」などというものが想定できるであろうか?
まったく違う細胞の無限のお喋りなどを聞いて何になるのだろうか?
検査値をよく効く薬でコントロールしても、意味がないのだ。次に何が起こるかは分かるはずがない。

そして自分にピッタリの食事はそれぞれに異なるのだ。
細胞(マイクロバイオーム)同士は互いに話をしながらディールする。
生命は繰り返されることなく、終わることのないダンスを踊る。
たとえ僕というコロニーが失われても、ダンスするマイクロバイオームにとっては大した意味はない。
一つのダンスホールから次のホールへと移るようなものである。



厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。