見出し画像

2020年干し柿を作る:「延長された自己」としての「家庭」

実家の裏には柿の木がある。去年は一つも実らなかった。今年は豊作だ。少し型が小さいが、干し柿には丁度いい。今日はいい天気だったので、柿を取ることなった。

画像2

人というのは、数十メートルの根を持ち、その根は絡み合い、互いに影響を与えあっている。家族というシェルターが守り、檻として貪欲を戒めていた。しかし、この数十年で、見事に破壊された。もう戻れないことは分かっている。
そして記憶しておきたい。僕が厨房に立つ母を思い出して自分自身を見つけることの大事さを知った。
生活習慣病や生まれたときから決まっている「格差(身分制度)」政治的な平等さが自己責任としている多くの人を苦しめる社会。
同じ様に苦しんでいる誰かに伝えたい。都会の片隅の小さなアパートの一部屋に住みながら苦しんでいたあの頃の僕を助けたい。諦めることはないのだ。

画像1

5年くらい前から屋根の上から取るほうが多くなった。

昔からある柿の木ではない。以前はこんなに高くなく、屋根の上から取れる柿も多くはなかった。

今ではすっかり屋根の上に枝が伸びて、登って取ったほうが多く取れる。今年は3/4は屋根の上から取ったものだ。

葉っぱで滑ったら、転落する。命がけだ。一昨年までは息子が取ってくれていたが去年からいない。去年は不作で成らなかったし、息子が中学くらいからは任せていたので、上がるのは6-7数年ぶりだ。

画像3

画像4

柿の葉が瓦との間でトラップになっている。長靴を履いてきたが、地下足袋でなければならない事に気がついた。数回転げ落ちそうになった。

画像5

画像6

剪定ばさみで面白いように取れるが、屋根に積もった柿の葉が恐ろしい。何か肉食獣のような動物の糞便らしきものもある。ハクビシンであろうか?(注)

画像8

せんぶで3袋取れた。随分な量になる。

画像7

くたくたになった、何よりも足ががガクついておる。袋ごとヒモで下ろす。

画像10

画像11

下にはバックエンド部隊が待っている。僕はほとんど干し柿を食べない。しかし、美味しい。友人に差し上げたりするとあっという間に無くなる。お歳暮に非常によろしい。美味いと言っても、菓子として食べるとしたらさほど美味いものでもない。

年の暮れに街を車で走っていると取る人もいない柿木が多く目に入る。田舎に残った年寄は施設に入り、東京の子供は干し柿など喜びもしまい。感慨が深い。こっそり取って干したいものだが、取り人なき渋柿の実でも、窃盗である。

画像13

地面から残りの柿を、「柿取りマシン(注)」で取った。腕がガクガク言うので辛い。

画像12

柿の枝を切って整形する。追熟させて(1−2日そのままにして少し成熟させる)、皮を剥いて紐をかけ干し柿にする。硬めの方がいい。「さわし柿(下手に焼酎を塗って密閉する)」は大きいほうがいいが干し柿は小さい方がいい。本場の干し柿は大きくて粉が吹いているが、ウチのものは小さくて縮こまっていて趣がある。

画像25

このお話しに続きます。

画像18

2018年の干し柿、父が一番楽しそうにしていた。

2019年は取れなかったので、皮剥きは出来なかったが、いつも一番になって仕事した。母にさせられていた頃が懐かしいのであろうか。小さい頃のことを思い出しているのだろうか。楽しそうであった。

今年は、父がいない。潰れて干せない柿をいつも取っておいて、ぐちゃぐちゃになると渋さが抜けるので、スプーンで食べていたっけ。

菓子も売っていない時代には大事な味であったろう。

時期になると、毎日成熟していく干し柿を見るのは嬉しいものだ。いつの間にか少しずつ減っていくのである。

画像16

2012年の干し柿である。

便秘になるからと言って母は食べようとしなかったことおいつも思い出す。家に越した頃は、母はガレージで干し柿剥き庭に面したところで干していたが、毎年よくカビが出た。妻は触ろうともしなかったが、子供が大きくなるにつれて、一緒に柿を剥いたりしはじめて、この数年前から、うちの方でするようになっていった。

柿母

柿母2

柿母3

画像20

注)柿取りマシンである。油差しておいた。来年もよろしくである。

_合成

画像17

注)肉食獣のような動物の糞便らしきものもある。ハクビシンであろうか?

画像21

画像22

なせか、瓦がわれている。「安田の焼き瓦」といって、このへんでは有名な瓦だ。100年もつ瓦だそうだ。20年近く前に葺き直したものだ。多分僕より長生きする。

画像23

今年は庭に手を入れなかった。サルスベリが伸び放題である。

画像24


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。