雪の記憶 2021年
僕の住んでいる「しばた」という町は新潟市の北にローカル線で40分ほど行った街である。
数年前に「市役所と図書館の新設」に伴ってどうしても「気に入らないこと」があり、それを伝えたいと思った。
どうして地方は衰えていくのだろうかと考え始めていた。地元で、子どもたちと一緒に暮らすことが出来ないのはなぜなのかということを考え始めたのである。現在書いているグローバリズム論はこの頃からの一つの結論だ。
何とか市民の意見が伝えられないかと、400近くの商店や市民の人と話し合い色々と考えた。結局、行政は何も変えられないし、もっと遠くを見なければならないと感じた。
行政の行おうとすることは、どんなものであれ「民意」なのだ。よく「民意」を無視するなとか言うが「道路工事関係者、ダム工事関係者、公共事業の受注者、無駄な事業」多くの人がそれで食っている。もし取り上げられるとしたらそれこそ必死になって抵抗する。一度政権をとった民主党が自民党に負けたのは「事業仕分け」という中学生の考えそうな事をしたからである。あれって結局は、利権者の綱引きで踊っただけである。政治は近視眼でしか見ない。僕の病(II型糖尿病)は政治という人々のディールを超えて考えるべきだと気が付かせてくれた。
「幸運な病」のスタートが2015年4月なので、その直前のことだった。そもそも原発についての新潟県民投票の流れであった。飛び込み営業は僕の売り物である(笑)。仕事が無けりゃ飛び込むほかない。狩猟採集民である。
新潟に事務所を開いていた頃のお話である。
このバラは、母の大好きなバラだ。小さい枝をポツンと挿し木にしたらここまで大きくなった。なんとも言えない。数年前から、雪が降ってもバラ花が咲いている(と気がついた)。バラを見るたびに母を思い出す。
もう60年も前に僕はこの土地に生まれ、15年位東京で過ごし、また戻ってきて、父母ともう一度家族になり、そして母が亡くなり、父を看取った。
思い出すのは小さい頃の雪の思い出である。地表に立つ建物は変わり、生きている生命も移ろい同じものはない。
しかし、この風景は同じだ。小さい頃から、雪で池が覆われてはこの下に魚がじーっと眠っているのだなあと思う。
雪はすべてを隠してくれるからいい。
このしたには池がある。池の上を囲っておかないと雪が入り込んで水を吸って鯉はみな死んでしまうと小さい頃、庭師さんに聞いた。天然の池は川の水が流れ込むので大丈夫そうだ。
少し不便だけど、僕はこの土地が大好きだ。父と母と同じ様に、ここで死ぬことになる。庭を眺め、毎日食事を作り、毎年梅干しを漬けて、ベーコン焼いて、タケノコ掘って、日々を過ごす。
車が出入りするところは消雪パイプで雪を溶かすのだが、うまく水が流れなくて、一苦労である。けど、楽しいものだ。
2021年1月1日〜2日の間に雪が降った。この2年ほど雪が少なかったが、今年はよく降った。
12月15日ぐらいのことである。初雪が降ったらすぐにカバーすることにしている。
このヒトも雪が大好きだ。
このシリーズの一環です。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。