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格差の方程式:断捨離すべきは誰か?人生を断舎離され、社会から断舎離させる僕たち

テレビで断捨離の話題が出るたびに憂鬱になる。孤独に死ぬ人生の終わりを感じるからだ。しかし、もっと憂鬱になるのは断捨離などということは考えもしない連中がいるのだ。

大企業の株主や豪邸に住んでいる連中は断捨離などしない。

そいつらの溜め込んでいる「金」は誰が出している?

本当ならば、働いた皆で分け合うべき金だ。ところが、優秀な方々は自分が居なければそもそも売上が出来ないのだからといい、自由に給料を決める。

経営者に覚えがいい連中は幹部や管理側(スタッフ)と言われる立場に立って、奴隷(ライン)の時給を決める。奴らにとって奴隷の方々は、嫌なら辞めてもらっても構わないのだ。

かつては、労働者のスキルが製品に反映していた時代があった(と言うよりも職人がものを作っていたのだ)。しかし,現代の工場は、機械が動かしてくれる。マニュアル通りに機械をいじれば均一な製品ができる。つまり、熟練労働者は必要ないのだ。無論、居たほうがいいが、熟練労働は文句言うから、できるだけ役付きにして管理側に回すことになる。営業職もフロント業務も同じ様に文句を言うやつは首にするか、「うつや統合失調症」に追い込んで薬漬けにしてしまうのだ。なんと素晴らしき時代だろう。

この格差は憲法、各種法律でで保証されている。私的財産の保護、著作権・特許権、職業選択の自由、労働三権(注)、法律は実に巧みに格差を正当化している。法は貧乏人を分断する、金持ちの味方なのだ。

金持ちこそが、断捨離(財産を捨てる)すべきなのだ。

億万長者は社会に貢献するように金を使っているという。これほどひどい欺瞞はない。

そんなことをするならば、時給で働く社員にまともな生活の出来る時給を払え。下請けに社員が自殺するほどの低価格を強制するな。安いからと言って国内から海外に生産を移して国内のヒトの生活を破壊して何が社会貢献だ。

一時期メセナと言う活動が流行った。文化支援と言って企業の社会貢献だそうだ。ニートが町にあふれ、私たちの年金は不足するという。社会の中でどこにカネを使うべきか分かっているだろうか。

断捨離すべきは

一旦、共に働く人々を自殺するほどにまで追い詰めて金をかき集めておいて、まるで自分が「徳のある億万長者」のようにその金を恵む。

これほど人を馬鹿にしたものもない。

しかし問題は、もう少し先だ。ほんとうの意味で断舎離しようとすると、取り巻きが黙っていない。大金持ちの富に群がる連中が食いっぱぐれるのだ。

オペラハットという映画では、取り巻きが「財産を使い失業者にチャンスをやろうとする主人公」を精神異常だと言って裁判となる。自分からカネを捨てるなどということは異常なのだ。

断捨離って自分が不幸なのだということを感じない強がりのようだ。シンプルな生き方などと言うが、時給で使い捨てられているとしか見えない。

その逆がゴミ屋敷だ(笑)。どちらも、見ていると辛い。

労働者の権利は保証されたが、人間としての尊厳は踏みにじられる

雇用者は一定の条件のもとで自由に社員を解雇できる。

不当解雇と訴えたとしても、会社の所有者には痛くも痒くもない。直接の関係者に懲罰を与えてそれでおしまいである。おまけに、訴えた本人のその後の人生が問題である。

僕は組合の委員長で争議を指導(?)したが、総務部長さんに、「アンタ会社がなくなるんだから次の就職のこと考えたほうがいいよ」と言われた。組合の委員長などしていた人間を雇うところはないと言う意味である。

なんで、メディアはこの格差を報じないか、そりゃメディアの方々は管理側なのだ。外部スタッフを絞り、上(スポンサー)に都合のいいことを流す。メディアに正義を求めるのは実り有ることではない。自分たちも格差の上の側にいるのだ。そして、視聴率が上がらなければ外部フタッフは皆「断捨離」だ。

人生を断舎離され、社会から断舎離される僕たち

一生家賃を払い、ローンを組んで、高級ブランドを無理して買う、時給で働く僕たち。死ねば家賃を払わなくてもいいから幸いだ。ブランドの服も流行遅れで誰も着ない。捨てる他ないのだ。

子供は一緒にすまないから、受け取ることもないし、残しても意味がない。

恋人の思い出の品を捨てるのは文学のネタであるが、あれって一変形なんだろうなあ。

おたまじゃくしがしっぽを失い蛙になるのって、関係がありそうである。メタモルフォーゼは生命の『律』であるのだ。

断捨離についてはもっと考えたい。

認知症って年老いてもう必要がなくなった記憶の断捨離のようだ。

どうせアチラには持っていけない。

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(注)労働三権が格差を保証していると言ってもピンとこないであろう

労働争議の時に随分勉強した。それも首になる側からの労働者の権利である。イギリスの産業革命の時代から、この問題はあったのだ。一人一人が自分の生活が出来ないと暴れだすと厄介なのだ。工場を破壊して経営者に危害を加える。自分の生活が破壊されるのだ、何でもする。

だから、違法行為を合法にして、行使のハードルを上げて、縛ったのである。テロを抑えるには、最適の経済効率である。奴隷にも権利があるように錯覚する。✗✗労連などという全国組織の委員長の立派な服を見ればいい。僕が鉄工所工場工員だったときの毎月の組合費からその背広は買われているのだ。ナッパ服着て油まみれになって、15万円の手取りから払った貴重な金で組合員が買うことの出来ないような立派な服を着ていい車にのる。格差の方程式はあらゆる所に見出すことが出来る。

奴隷の代表は経営者と対等に、『搾取』する(笑)。

しかし、この「搾取」という言葉も面白い。おそらく今の時代は、「搾取」ではなく「使用料」の時代だ。

「家賃、ローン(金利)、リース、特許、著作権、株主への配当」いずれも、「使用料」なのだ。支配ではなく、サービスの提供が巨大な富を生み、格差を生み、忖度を強制するのだ。誰が見ても文句を言えない権利が格差を固定している。

ちなみに、「時給で働く人々」を(パワハラモラハラセクハラで)苦しめている、管理職人たちも、同じなのだ。少し前に管理職組合という物が話題になった。クビになった上級社員が会社で銃を乱射すのを防ぐためである。守るべき資産を持つ連中ほどオオゴトである。プール付きの家から安アパートに移りカードも使えなくなる。まさに悪夢である。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。