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空気を読めない素人がゲームチェンジャーであるという事

世界中の庶民は、自分たちのリーダーとして、カーキ色のTシャツを来た彼を望んでいる。捕まれば犯罪者として裁判にかけられる事がわかりきっているのにそこに残るというのは無謀である。しかし、そういうリーダーがいなことが現在の僕らが奴隷である証拠なのだ。
ネットでもテレビでも義援金のお願いばかりである。「自分として生きる」ことさえも、義援金で買えると思っているのだ。僕はガス抜きに見える。
今僕らが生きている場所にも戦うべき敵は多い。しかし、それに気が付かないようにメディアは煽る。

亡命すれば安全は保証され、人生に十分な金は集まるであろうに、逃げることはない。その姿は自分として生きることがいかに大事かという事を教えてくれる。

SNSがこの状況を生んだ。果たしてどう転ぶかわからないが、目が離せないものだ。
従来の大国の「傀儡廻のルール=傀儡政権による統治」を大きくかえたことは間違いがないであろう。

自治権を与え、選挙で選ばれた売国奴(献国奴)に富を与える


ある国が他国を侵略した場合は、その国の官僚機構を乗っ取り、弾圧させる。今どき、進駐軍(占領軍)が常駐するなどという支配モデルは維持することは出来ない。
民主化という「合法的な贈賄システム」を根付かせるのだ。
それこそが「民族自決」という一次大戦以降の奴隷制度のスタイルである。

そして官僚機構には自由分な金と、自分たちの言いなりになることを求める。国防から、厨房まで、トイレットペーパーを使う文化まで押し付けるのである。

文化を破壊して、サプライチェーンに組み込む事こそが重要なのである。

アメリカもロシアも中国もやってきたことである。

当初、アメリカは亡命することを勧めていた。つまり、ロシアとは話がついていたのである。
一次大戦の時代ではあるまいし、その地域の住民を皆殺しにしても仕方あるまい。
アメリカ大陸を発見したと言っている方々が偉そうなことを言うのを聞くと呆れ返る。日本だって、北海道を発見したのだからねえ、間宮さんよ。


学校では、教師という官僚機構が、聞き分けのない子供えを「イジメ」させる。


しかし、これは政治に限ったことではない。
親・教師に問題があり、イジメは起こる。
これも、同じ「律」をもつ。

職場では、同様に使われているもの通しで噛み合いをさせて、上司は良い給料をもらう。
そして首を斬ることも「少し良い待遇の奴隷」の仕事である。

ウクライナに義勇兵で行く必要はない。
僕らには、僕らの戦場があるのだ。

オリガルヒは社会のありとあらゆる場所に潜んでいるのだ。


民主主義は、独裁制度を納得させるための素晴らしい制度である。

官僚機構が「給料」という「公的な贈賄」を保証する時に私達は奴隷になる。独裁政権では官僚に十分な給料と将来の保証を与えないから「ヤミ営業」を始める。吉本興業を見ればわかる。

昔、日教組の友人が、「日の丸・君が代」に起立しないと教員の生涯年収が数百万減るから組合でも「起立しても思想信条の弾圧ではない」と決めたと言う。心のなかで反対していればいいということである。なんとも「1984年」的である。
「四本脚よし、二本足悪し」とはよく言ったものである。

ヒトは生活の中で生きる。サラリーマンというのは勝手にしゃがれと言えない。だから、異界転生モノを見て快哉を叫ぶのである。

スペイン動乱と言う戦場

ヘミングウエイやキャパが義勇兵としてスペイン動乱に参加したというのは有名である。写真メディアがあの時代のゲームチェンジャーであったのかもしれない。

大友克洋さんと矢作俊彦さんの「気分はもう戦争」は素晴らしい。大好きである。
自分の戦場を求める人達を描いている。

シニアのテロリスト(深夜のテロリスト)ってゴロが良い。

世の中の仕組み見えてきた老人くらい恐ろしいものはない。
しかし、老人は非力である。家に押し入ったり、闇討ちしても何も解決はしない。戦うべき場所が見つからないのは辛い。

僕の戦場は、どこにあるのだろうか。
命を捨ててもいいと思いながら、捨てるべき戦場を探しているのだ。ここしばらく酒が止んでいる。良いことなのだろうか。
妻が心配しておる。

ちなみにこれ(野獣刑事)もテロリストの映画である。社会の問題であるのに、私達は見て見ぬ振りをする。

北半球は春だと言うのに。


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。