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食事に埋め込まれた「コード」(2)「マクガバン報告」、「食事調査」と言うエビデンス

1960年前後、アメリカでは生活習慣病(名前は違っていた)が医療費の高騰を招いていた。それを解決するためにマクガバン上院議員が世界中の様々な食事コードと健康の関係を調べた報告書だ。

当時アメリカでは、ファーストフード店が生まれて30年経っていた。すでに、「食事の商品化」が進み、肥満ー>様々な疾患が進んでいた。この報告書の中で「和食バンザイ」とか「オリーブオイルはたくさん飲んでもいい」とかが生まれた。

ハンバーガー

しかし、今ではイタリアも日本も十分先進国の仲間入りだ(笑)。

この時期(今でもだが)の食事調査は形式的なものでしか無かった、統計上の数字で「炭水化物比率」が多いとかオリーブオイルの消費が多いというような形式しか見ていなかった。

結局、アメリカでは三大栄養素の「脂質」の比率を下げて「炭水化物」の比率を上げる指導がなされる。10年経って、効果がないことがわかる。

今では、炭水化物(ブドウ糖)は脂質に代謝される傾向が強い(そういう代謝系を持った人が多い)ので肥満が増えたと考えられる。

肥満と心疾患等の「因果関係」に関しては僕は否定的だ。というよりも「肥満」と言うわかりやすい検査値一つが「心疾患」に直接の原因となっているかは疑問だ。「相関関係」はあるかもしれない。つまり、肥満を引き起こす環境は、同時にある種の災厄を引き起こしやすいということだ。だから脂肪を吸引しても胃袋縛って痩せても意味はない。洋服のサイズダウンは出来るかもしれないが。

食事を作るプロセスには何も注意を払っていない

1960年代のアメリカでは既に「食事の商品化」が進んでいた。家と言う仕組みが消えた。3世代同居という食事を作るノウハウの伝承も消えた。

人はみなお店での食事を食べていたのだ。当然、コスト重視の食事は、炭水化物が多くなる。そして本当に重要な食事の中の「生命」が失われるのだ。

当時は、日本もイタリアも、家で食事を作っていた。ジャンクフードのチェンが輸入されるにはもう20年かかったのだ。グローバリズムは、利益を得るために世界を変える。

最近のレポートで、イタリアの地中海型の食事でも多くの疾患が見られるという物があった。当たり前である。1960年代と2020年代の時代の差を考えない比較など意味がない。

僕は毎日素材から食事を作る。

食材の中には細胞が詰まっている。細胞は脂質の膜で覆われた「水」が入っている。その水には数千万から数億のタンパク質(酵素)や脂質などの代謝物が入っている。その水を僕は生命だと思う。

医学や栄養学は「欠乏症」から必須栄養素を探しだした。しかし、食品の中には欠乏症がない「多謝物」がほとんどだ。今私達を苦しめている多くの災厄は特定の栄養素(医学が分析出来る代謝物)と1対1の対応関係にはない。

70兆個の細胞と数百倍の数のマイクロバイオームが共生している「身体というコロニー」を簡単に解析できると思うほうがおかしい。

確かにオメガ3-6-9のオイルは植物しか作れないだろう。しかし、それら必須脂肪酸を利用して「菌類ー昆虫ー小動物や魚-家畜」と食物連鎖は様々な代謝物を作り私たちの食卓に運んできてくれる。素材を大事にした調理をするならば、何も特別にわざわざスプーンで飲むことはない。

だって、江戸時代に、「(えごま油)、アマニ油、オリーブオイル」はなかったし、それだけをトマトジュースに垂らして飲むなどという不思議な摂取方法はなかった(これは真面目にモーニングショーで医者がやっていた)。

商品化された食品は「乾燥・濃縮・抽出工程」を経てつくられる。そしてそれらの工程は、食材から生命を追い出してしまう。

プロセスを見つめた食事作り

医師の食事指導を考えてみよう。『炭水化物をあとに食べろ、バラランスよく、魚中心、和食がいい、食の欧米化が悪い、ウオーキングしろ、足りない栄養素はサプリメントで補え』抽象的で捉えようがない。

しかし、「三食素材から材料の持っている生命を大事に炭水化物をできるだけ避けて食事を作れ」ということは絶対に言わない。

効果があれば「言いつけを守っている」と言われ、効果が無ければ『努力が足りない」と言われる。まるで禅問答だ。どちらにしても「医者の知識」が正しくて、駄目な時は患者の自己責任だ。いづれも、抽象的で簡単で何かを買うことで解決できると言っている。検査値が悪くなったら薬飲めばいいというのだ。

なぜ医師や栄養学者はそこ(作るプロセス)に目を向けないのだろうか?

これは、調査が不可能だからだ。

例えば僕が作った煮しめと、お店で売られている煮しめは比較できるだろうか?

僕の煮しめを10年間食べたグループとそうでないグループがどちらのほうが疾患が多いか比較できるだろうか?

出来るわけがない。食事調査というのは形式的なものでしか無い。同じ様に人間が出来ているという誤った思い込みで調査している。生命は工場からつくられて出てきている気化器品ではないのだ。

医学は「食事調査」と言うエビデンスが必要だ。しかし、そんな調査では見つけられないのだ。だから生活習慣病はますます私達を恐怖させる。

けどね、お医者さんたちよ、あんた方も今のままだと辛い死に方をするんだよ。確率的にはね。先輩の医師の死に方を見て見ればわかるだろ。食事の価値に気がつくとイイね。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。