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「かぐや姫物語」の居心地の悪さ。子供を売り物にして利益を得る親。

小さい頃から、かぐや姫て嫌な女だなあと思っていた。よってくる男に無理難題押し付けて、最後は一番偉い人をゲットするんだから。ツバメの糞掴んで腰の骨折った貴族は可愛そうで、誰かにやってもらえよとか思った。

一番儲けたのは何と言ってもお爺さんとお婆さんだよねえ。拾った子供でいい家に住めたのだから良いコッタ。なんか、アイドルのステージママみたいでどうも気に入らなかった。

考えてみれば、あの貴族というっ連中は働いてはいない。荘園から上がってくる米くっているのだ。そういう意味では、あの物語は奴隷から搾取(古い)している貴族が、平民のいい女見つけて、自分のものにする物語である。そう考えると、平民の「お爺さんとお婆さん」が子供拾ってきて貴族(親戚)に成り上がる物語である。

社会の中で「通貨」としての女性を描いているのではないかとは思っていた。「家」が経済の単位であって、今で言う国家の様な機能を果たしていた時代のお話としてみると納得がいく部分もあった。

物語の終わりの月に行くというのは、より強力な他国に差し出されるという事を意味しているような気がした。中国の戦国時代など当たり前に女性を他国に送っていたと思うのだが、見たわけではないからわからない。

「人の生の儚さを表している」とか、宗教的な深読みは好きではない。

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ジブリ版の「かぐや姫」

そんでもって、ジブリ版の「かぐや姫」の話で、現代的な解釈が入っていいるということで、どんなもんかいと思ってみたら女性がその魅力を武器にして上り詰めていくお話になっている。

現代という「格差社会」を描くかと思いきや「かぐや姫」って自分の意志持って、セックスしたい男のとこ行って一発かまして、その後で「一番高く売れるところに行ったんだよね。」と言う感じである。

幼馴染と空飛ぶあたりの描写は、ちょっと見ていられなかった。まあ、子供に見せなければならないから濡れ場はあの程度なのだろうが......

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明らかにかぐや姫の方からのアプローチだ。あれで、女性の主体性を表しているのだろうか?

幼馴染の奥さんは気がついて、「やったーかんざし高く売れる、もう一発やってこい」とか行っていたと思う(画面では描写されていないが僕には見えた)。そして「もうおメエとはセックスしねえ」とかいうのだ。あの幼馴染さんが一番惨めである。いくら一生懸命働いても年収の何十倍もの金ポンともらえるのだ。

けっきょくあの「かぐや姫」、日本で大金持ち捕まえて、それ踏み台にしてアメリカの大富豪のとこ行っちまった的なお話になっている。月に向かうところではもう、日本お男のことなど眼中にないのだ。

あと気に入らないのは、平民の扱いである。身分は低いけど楽しんだよねえ的な表現はクソ気持ち悪い。あのみんなで楽しそうに歌うたいながら労働する姿は何だ!

蟹工船とは言わないが、本当に辛い仕事している人が見たら呆れ果てるだろうよ。毎日ノルマに追われて自殺まで考えながらあ働いている人のこと知っているのだろうか?子どもたちのほぼ全てはそういう運命なのだ。

僅か(1%の)「金持ちの親、土地所有者の親コネ持ちの親の子」だけが、生まれっ時から「人生夏休み」なのだ。親の金で外車買って大学出たら新鋭の新入社員で給料も出世もスピード最高である。

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飢饉になれば爺さん婆さん山に捨て、食うものもなく自分の糞を食べているというのに貴族は汚いなあと平気である。今と大差ない。

平安飢饉

もし宗教的な説話にするならば

おい衰えて、男にぽいと捨てられて、すべての財産は取り巻きが使い、拾われた村に戻るが誰にも相手にされないで、老婆となり、句を読む。

我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ

おや、小町の辞世の句である。

平安飢饉2

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僕はジブリ大嫌い。あの映画は格差の上の側から下見ている。そして下は下で楽しいよね〜と言っている。

分かっているのだろうか、時給で働いて、上は給料を好きに決めて都合悪くなればすぐに首切り、一生家賃を払いながら、年金は生きるに足らないから定年後もパートで働き、テレビじゃ勝ち組とやらが年に何度も外国でレストランにでうまいもん食ってる。

その食っている金は、僕らが一生払う家賃や携帯料金、カップ麺買うお金、TVの広告費は僕らが買う商品から出ている。だから、高級自動車はテレビで広告しない。テレビで公告で始めたらもうそれは高級ではないのだ。

恥ずかしくないかねえ。この格差の社会を作っているのが自分なのだということに気が付かないかねえ。そしてこの格差はなだらかに連続して、下も見ればキリが無く、上を見れば果てしない。細く長い蜘蛛の糸を離さぬように、落ちないように、上の足を引っ張り下の頭を踏み台にする。

そうしてお金持ちになった方々が、なり続けるために描いた美しくない現実である。

僕は到底賛成できない。

同人誌で自分の感じている苦しみを描いていている人のほうが遥かに素晴らしい。

こういう事言うから、家族は一緒に映画見てくれない。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。