見出し画像

幸運な病のレシピ 2021年3月21日(2598)〜2021年3月31日(2610)

そろそろnote始めてから1年になる。食事を記録して行くのは何のためかを考える。随分この一年で見えてきたものがある。小綺麗な料理やカレイな包丁さばきを見せることが目的ではない。

食事に対して意識を変えたいのだ。価値が有ることを共に信じ合いたいのだ。そして、日常の食事こそが重要なのだということを思っている。

栄養学者や医師は「食事とは栄養素を取ること」だという。僕は間違えているおもう、わずか40種類ばかしの栄養素やミネラルを錠剤で食べれば健康に生きれるだろうか?

食事とは食事の中の生命を身体という生命のコロニーに招き入れることなのだ。その意味では、細菌やウイルスによる感染と「律」は同じである。そして毎日の食事が大事なのだ。

僕は自分が食事の価値を信じていることを表現したい。

続けることの証明、そして食事の価値、時間を掛けても素材から伝統的な方法での調理の重要さ、家族を思いやる心それこそが重要なのだ。

画像8

3月22日のインスタより抜粋

食べる食べないは別に、魚は買ってきたその日に捌くように心がけている。
面倒でも、ここまで命を運んできてくれたのだ。ありがたいことである。
魚を殺して食べるわけではない、魚というコロニーに生きているマイクロバイオームを僕の内に活かすのだ。
宗教的であるが、科学的でもある。
そして、「食事のうちの生命」が「生活習慣病(単なる検査値の異常と微細な症状)」と「合併症と言われる致命的な組織臓器の損傷」が突出して進行することを防ぐ。今の年寄が何を恐ろしがっているかを見れば分かる。
徐々に身体全体が衰えながら「小さな爺ちゃん婆ちゃん」になり、それでも、頭はしっかりとして、ピンピンと生きて、ある朝コトリと亡くなっているのだ。
ピンピンコロリとこの世に暇を告げたい。
そんな「小さな爺ちゃん婆ちゃん」に僕はなりたい。

画像1

←2021/3/1〜3/20 毎日素材から料理を作る  → 2021/4/1〜4/10

画像2

#春キャベツを炒めた

【2021年3月31 昼夜】春キャベツを炒めた。今日は目玉焼きをターンオーバーして添えた。
可も不可もないご飯である。夜はイワシ、手羽先のねぎ巻きであった。これはいつも好評だ。
ハズレ無しの定番である。

画像5

#鶏もものソテー

【2021年3月29 夜】鳥の半身を厚手のフライパンで焼いた。新玉ねぎとじゃがいもに人参である。
弱火でじっくりと熱を入れてたりの旨味を野菜に吸わせる。
鶏モモは網焼きにすうることも多いが、フライパンでも美味しい。
それぞれに美味しさは違う。
付け合せの野菜が鍵だ。
昼のおかずと合わせて食べるとよろしい。
一回食べきりの食事はあまりいいことではない。

画像5

#魚を食べる

【2021年3月29 昼】魚の得意なスーパーに行った。しばらく魚を食べていなかったので、魚の得意なスーパーに行った。アサバカレイ、ホタルイカ、シャケカマ、イワシ、いずれも旬だから安い。
ホタルイカは沸騰したお湯に入れて再沸騰後火を止めて5分、洗って草意味を取る、茹でてある市販品に比べて目玉が柔らかい事に驚く。
イワシはすぐに捌いて、2匹焼いて、アサバカレイは唐揚げにした。薄いカレイは揚げたほうが美味い。
酢味噌で最近は食べている。酢と味噌の比率が大事、味噌は友人の手作りだ。いつものようにキャベツ炒めを作って満腹になる戦略である。
美味しい昼ごはんであった。

画像5

#庭いじりの楽しみ

【2021年4月1日】庭木が沢山は雪折した。とても味わいがある。現実に向き合いながら形を変えて生きるというのは素晴らしい。
教育というものについて考えさせられる。いつの頃から今のようなイジメが蔓延して、心の薬が処方されるようになったのだろうか。
心の薬は人を生きながら殺す。社会の構造となっている格差を自己責任にすり替える巧みな卑怯者がいる。
そんなに昔ではない。心の薬で生きなければばならない子どもたちは、大人となってセクハラ・パワハラされ放題だ。もちろんする人間がいるから起こることでは有る。問題は、する側も仕事でしているのだ。もし部下を苦しめられない管理職は下に落とされる。どこに出口があるか見つけたいものだ。
梅の取り木、木蓮の取り木をした。生命は素晴らしい。

画像5

#たくさん具の入った麻婆豆腐みたいなもの

【2021年3月28 夜】麻婆豆腐が食べたくなって、作ることにしたのだが、茄子を入れると良いような気がした。ついでに色々といれた。
人参レンコン、ミニトマト、味は麻婆であるが、豆腐も入っているが、これは別なものである。
料理というものは難しい。

画像5

#春の野菜パスタ

【2021年3月28 昼】パスタと言うよりも、春野菜炒めである。2人分程度のパスタで4回分くらいになる。野菜でお腹いっぱいだ。
娘と妻と、僕、そして今日は夜一杯やりながらつまむ。
もちろん肉もどっさり。レンコンはじっくりと加熱すると肉の味を吸って美味しい。
トマトとナスは最初に炒めて、あげておいて最後に合わせる。
肉は余り崩さない。
生命に溢れた食事は元気のもとである。
パスタは美味しいし嗜好品、適切に愉しめば良いのだ。

画像5

#厚揚げ肉詰め

【2021年3月27 夜】餃子の餡を厚揚げに詰めて煮込んだ。紫蘇の葉でくるんでやると美味しい。根菜は同じフライパンでソテーして煮込むとよろしい。最後までに詰めて、カタクリでとろみを入れて出来上がりである。
少しパンチが足りないので肉を焼いてネギを手羽先でくるんで焼いた。
ネギは頭(青い所)を煮込んで食べる。買ったばかりでないとくさみが強くなる。そもそも青い部分は敵と戦うために刺激が強い。けど美味しいということは何らかの意味がある。医者や栄養士が分析することも再現することも出来ない。そして僕をピンコロ人生へと導いてくれる。しかし、細かく切って煮込むと美味しい。いつもネギが着たときには早目の内にやっつける。今回は少し出遅れて先端は使えなかった。鳥をみりんにつけたのだが、一緒につけたコブを焼いたが食えなかった。そうおいうものなのだろう。

画像5

#格差の高級ピザ

【2021年3月27 昼】少し離れたスーパーに娘と妻が言って昼を買ってきた。僕の分もあった(笑)。
洗練されていないスーパーだったのだが、少し前にリニューアルされた。恐ろしくモダンな外見と広い店内はびっくりである。何と「成城石井」のの系列だという。
美味しかったが、以前入っていたパン屋さんは姿を消したようだ。親子2代のパン屋さんで店が消え、どこに行ったのかなと思っていたら、スーパーに生きる場所を見つけたようだった。とても懐かしく嬉しい味であったが、もうここにはない。恐ろしきグローバリズム。値段も高いから、地方の富裕層がターゲットである。
格差のことを勘違いしてはいけない、田舎には豪邸を建てて外車を並べる農家が有る。
田んぼをアパートやマンションにして家賃が入ってくる。使用料という魔法は僅かな維持費で恐ろしい富が手に入る。
そして相続されていく。
もちろん相続税は過酷だから、払えない農家はもっと金を持つ投資会社に売り渡すことになる。このピザの味は美味しい、心は複雑である。

画像5

#根菜蒸し焼き #トンカツ肉のソテー

2021年3月26 夜】トンカツ肉が古くなってきた。土曜日にトンカツにしようかと思ったが味噌味でソテーしたほうがいいと妻は言う。
表面を焼いて、根菜を敷いて上に乗せて蒸し焼きにする。味は味噌と酒で焦がしてみた。今は地場物のレンコンが安い、つまり美味しい。

画像5

#ブロック肉と春キャベツの棒ラーメン

【2021年3月26 昼】マルタイ棒ラーメンで野菜盛りが最近の定番である。この食べ方も春キャベツが美味しくなる。
スープにキャベツの美味しさが入る。大事なのは漬け込んだお肉の出汁になるここしばらく毎日春キャベツである。
大変美味しいのである。


画像5

#春キャベツのパスタ

【2021年3月25 昼】春キャベツのパスタ。春キャベツは中華鍋でガツンといく、牛肉はじっくり脂出してソースにする。パスタはオリーブオイルで炒めておく。夜は外でいただくので娘の夕食分も一緒に作った。
ただの野菜炒めとパスタを作っただけのようでも有るが、そのとおりである。いつも鍋を2つ使う、一つは肉をじっくりと味を出して、もう一つは中華鍋でキャベツをガツンと炒める。よく中華鍋は火力が強くないと意味がないと言うが、嘘である。この量のキャベツは、普通のフライパンでは出来ない。蒸し上げるために上下を返すのが大事。
春キャベツは生命の味がする。これからしばらくは春キャベツの美味しさをいただくことになる。その季節に一番美味しいものが素晴らしいのだ。
生命を運んできてくれる。

画像5

#統合失調症によく効く餃子作り

【2021年3月24 夜】餃子の夜であった。10年の間に餃子をどう作るかも変わった。家族四人でしりとりをしながら、やがて僕一人がつくる様になり、今日は妻と二人で作った。餃子作りは、統合失調症によく効く。
食事作りは時を記憶する。

画像5

#干しキュウリと春キャベツのホイコーロ

【2021年3月24 昼】野菜は干すと美味しくなるという記事を読んで、やってみた。豚と星キュウリで炒めるつもりだっったけどホイコーロにした。
豚肉を炒めて、十分脂を出して、その脂を逃さない。春キャベツは生でもいいが、ホイコーロが好きだ。初めて豆鼓を使った料理を作ったときは、驚いた。中華料理屋さんみたいだから。
ピーマンが一般的なのだが、今回は干しキュウリを使った。こちらのほうが美味しいかもしれない。夜は餃子にすることにした。


画像5

#マユの庭遊び

【2021年3月24】庭が春のよそおいである。マユを放して春の庭遊びをさせた。楽しげである。一時間遊ばせたら、池用のザコ網で捕獲してお風呂させておしまい。
昨日からシステムに障害が起こり、追い詰められているのだが、こういうときこそクールダウンが必要だ。池の鯉も、若葉たちもそう言っている。
身体を生命のコロニーと考えているのだが、教えてくれたのは、この庭とマユくんだ。食事作りも同じ「律」に従っている。庭いじりはテーマパーク行くより、高級レストランの食事より楽しい。心にもいい。

画像5

#マユのご飯

【2021年3月23日 夜】今朝は作り忘れてドッグフード食べてもらった。ごめんね。妻は仕事なのでマユと二人でご飯した。昼間あげたアジフライも入れてあげた。ごちそうである。
人も犬も細胞のレベルでは大差ない。そして家族である。
小鉢にはレバニラやもつ煮、数日前からのおかずを並べた。
少しずつ多彩なものを食べる。これって当たり前の食事だった。お店でケータリング頼む時は食べきるか残して捨てる。
沢山お多彩な生命に溢れた食事が身体というコロニーに受け入れられる。
そんな食事メソッドがピンコロな人生を遅らせてくれる。遅くに妻は帰ってくると軽く汁を食べて休む。身体の海に溶け込んだ生命は新たに生命となる。輪廻転生である。そしてピンコロの人生が来てくれる。

画像5

#ノドクロのフライ

【2021年3月23日 昼】肩ブロックは切って赤ワインと醤油に砂糖で漬け込んでおく。ソテーにすると柔らかくて美味しくなる。鶏むねは魚焼き器背網焼きにした。これは好評である。根菜は炒めで蒸し上げるようにする。物凄く美味い。ノドクロも昨日妻が7匹100円で買ってきた。フライになった。大根を干して天ぷらにすると美味いと聞いてしてみたらうまかった。干すという工程は調理において大変多く使わえる。干し芋、干し柿、大根(干してから漬ける)、干物魚、生ハムだって干しているのだ。イカを干してから揚げるのは僕の好物。単に乾燥させるということではなく何らかの発酵がかかっていると思う。料理とは面白いものだ。

画像5

#レトルトのパスタ

2021年3月23日 明け方】お腹空いて暴走した。イワシのグラタン覚めても美味しい、レバニラ最高、モツ煮成功、パスタそれなり。まあ、金額以上を求めてはならない。きしめん食っているようなものだ。正月に買ったパルジャー味の使い切った。大根は干して乾かして、かき揚げにすると美味いと聞いた。キュウリも豚肉と炒めると美味いそうなので刻んだ。本当に一日中なんか作っている。仮眠したら、妻のパートのオベント作って、水曜に備えるのだ。ちと忙しいというか、昼間に庭仕事するとこうなる。因果応報という言葉がお似合いである。それでも、今日は朝までに行くべきところまで進んだ。


画像5

#イワシのグラタン

【2021年3月22日 夜】100円で5匹のイワシを買ってきたのでパン粉でグラタンにした。汁と、レバニラに、魚、「おはぎ」があったので食べてしもた。お腹パンパンである。いちごは親戚が爺ちゃんに線香あげに来てくれた。イワシと一緒にイシモチも買ってきた。こちらの100円でどっさりである。いずれも地元の魚だ。昨日まで泳いでいたのではないか?

画像5

#庭いじり

【2021年3月22日】池の蓋をとった。春である。鯉が泳いでいる。雪折した松にメネデルして、水草で包帯を巻いた。もう少ししたら少し摘まむが、どうなりたいかを伸びていく松に聞くことになる。家の戸を開けて、風
を通した。庭が春に向かっている。木蓮の枝が可愛そうなのでメネデルして水草で巻いて様子を見ることにした。

画像5

#レバニラ炒め

【2021年3月21日 夜】油通しを覚えてからレバニラは得意。タマネギやモヤシもまろやかな味になる。ちょっとコツはいるが、うまくいくと嬉しい。油にも味が入ってどんどん美味しくなる。水をよくとっておくと吹きこぼれない。以前はレンジの周りをバシャバシャにしたりしたものだ。

画像5

#墓参り

【2021年3月21日】春が来ると庭仕事が増える。池の蓋をとって、木蓮を切って、もったいないので取木(?)した。お墓参りに行って庭の木を供えてきた。丁度梅を選定しようと思っていたので良い枝が持っていけた。梅もいいものだ。

画像5

#揚げ物

【2021年3月21日 昼】ボタンエビが悪くなりそうだったので天ぷらを作ることにした。頭をとってアクを抜いてカラッと揚げる。ついでにタマネギのかき揚げを作っているうちにそばが食いたくなってきたので、冷凍の餃子などを追加で揚げて蕎麦を茹でた。揚げ物は一直線の料理なので時間が読める。

画像2

←2021/3/1〜3/20 毎日素材から料理を作る  → 2021/4/1〜4/10

画像1

1980年代を分水嶺に、家庭での料理作りはできなくなっていった。社会の変化によるものなのだ。個人の意志ではない。そしてその空間を行政・商売人・権威がうめた。残念ながら私たちの今の苦しみは、この社会の変化のうちにこそある。

過去においても、大きな社会の変化が災厄を生んだ。大航海時代、明治維新、戦争、占領(進駐軍)、ごローンバリズム(今も進行中)それはあらゆる局面で私達を苦しめる。

専門家はあてにはならない。学問で金をもらっている。スポンサーの意向は絶大だ。

懐かしんでも仕方がない、どうすればいいのかを考えねばならない。そして実践しなければならないのだ。

幸運な病のレシピと言うのは、実践の記録であり、見つけたものの共有である。他の人のnoteの中でも多くのきずきがあった。まだ道半ばである。もう少し生きていこう。

ピンピンコロリの人生は金では買えない。

画像9


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。