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オリンピックが浮き彫りにする社会

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2021年のオリンピックはとんでもない素晴らしい祭典であった。この社会が格差に分断されている社会だという事を明確にした。物売りはスポーツ選手を使い他社より多くうる。物を売った利益…
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#オリンピック

パブリックの研究:国体とオリンピック

一流の選手はオリンピック行くがそうでない選手は国体に行くと言われる。僕には違って見える。 「企業がくれる金」が好きな方々はオリンピック行って、スポーツが好きなヒトは国体に行くのだ。 スポーツの技術に順位をつけてもしょうがない。偏差値と一緒で常に誰かが1番になるが、それは一瞬のことだ。やがてアスリートの残骸となる。その後どう生きるかが大事なことだ。ピンはね側に回るのが成功者と言われるが、「ちゃんこ鍋屋さん」を開いて美味しさを分け与えたほうがいい。少なくとも僕は尊敬する。その

金メダリストが豪邸に住み、別荘を建てるのは当たり前なのか?:格差の方程式

リストラが跋扈し、安い時給で生活もままならぬ。そうして出来た金を企業は宣伝に使う。スポーツ選手の豪邸や別荘はその金から出ていることを忘れないことだ。 彼らは何も生まない。僕らの生活の苦しさの金で豪邸が建つのだ。 優秀だから、世界一だから年収が何億にもなってもいいのか?いくら募金活動にせいを出しても自家用ジェットを買ってお買い物だ。募金活動で「いい人」と言う称号が買える。果ては国会議員にもなるやにしれん。 スポーツは素晴らしい。大事なものだ。それを否定するつもりはない。企

「いやあ、客の入り悪いねえ。」「あれ、みんなマスクしている病気か?」 コロナはいい仕事してくれた。オリンピックはスポーツ選手のオークション、メダル取れば高く売れる。その金は企業が労働者を苦しめた金だ。自殺やウツで苦しんでいる。五輪貴族は豪遊する。奴隷のダンスを楽しむがよろし。

オリンピック=「スポーツ選手のオークション」である

企業が、自社の製品を売るのに丁度いい看板を買うためにスポーツ選手のオークションをする。当然優勝が一番高く売れる。 誰もがなにか売って生活する。まあ、金持ちが人を売り買いするのは今に始まったことではない。 売るものがない庶民は「時給」で「時間」を売って、どちらにしても皆取り上げられるのだ。結局は「断捨離」という緩やかでわかりにくい破産をして最後は施設で一人孤独に死ぬ。 国体はスポーツのためにものであり、オリンピックは企業のためのものである。いつからこんなふうになったのか知

五輪ボランティアは地方の公務員のようだが、交通費宿泊費は自治体から出るのだろうか?

僕は、ボランティアというのは、志に共感して自分の財産をなげうって、財産がなければ自分の労働を使って参加するものだと思っていたのだが、どうも違うようである。 地方の公務員が動員されているような記載があった。ハッキリとした記載ではないのだが、どういう人がボランティアとして動員されているのかわからない。コロナのワクチンをうちに一回東京に来いとか言う記事もあった。 しかし、こういう馬鹿騒ぎのサイトを見ると腹が立つ。この経費は皆「オリンピック金」だ。本来社会に還元されるべき企業の利

五輪反対をいい出した文化人の醜悪さ

何を今更言っているのだ。こういう連中は不愉快だ。上野千鶴子なんてまさにセレブな文化人である。庶民を殺す側の論理的指導者である。お一人様などとスカしたことを言っているが、タワマンに召使いのように介護職員を呼ぶであろう。不愉快を額に入れたような写真である。お見事朝日新聞。 オリンピックはやればいいのである。誘致決定から、僕は反対してきたが、それはオリンピックが「パブリック」が生んだ「格差の象徴」であるからである。ここまで反対意見がでてきたならば、今度はその意味を忘れないことだ。

パブリックの研究:河原乞食が豪邸を建て国会議員になる時代

河原乞食とは小沢昭一さんが自分達芸人を指していっていた言葉だ。決してを差別の言葉ではない。『本当に素晴らしいのは毎日働く人なのだ』と庶民を力づけていたのだ。毎日汗水流して働いている人に喜んでもらって、木戸銭いただくことが自分たち(芸人)なのだと知っていたのだ。永六輔さんや小沢誠一さんお話を、小さい頃(20歳くらいまで)床屋さんや夕方のラジオ番組で時折聞いていたものだ。まだ、演芸場や寄席、興行を通じて観客が木戸銭を払っていた時代である。 しかし、1980年代から、大きく様変わ

『愛』で金儲けするな。オリンピック中止を喜ぶ訳。「スポーツ、歌、ダンス、料理、セックス」を僕は愛す。

オリンピック嫌いというと、偏屈と言われる。スポーツが嫌いなのかと言われる。アスリートの美しい姿を見て感動しないのかと責められる。 僕は水泳が大好きだ。スポーツが大好きだから、「スポーツを愛する心」を利用して製品売って儲ける奴らが大嫌いなのだ。スポーツ愛することと、広告主の商品買うことに関係があるのか? オリンピックは利権の塊 オリンピック自身がそもそも胡散臭い。国家という利権の集団が他国の「放送権料=企業が自社の売上から払う」を受け取り、国内のスポーツ団体に分配する。

格差の方程式:シンキロウ(森喜朗)の発言は、「談合型会議」の象徴、僕は公式スポンサーの商品は買わない。自分の会社の商品を売るためにこんな事に金使っているのは消費者を裏切っている。

「俺たちの言うことには文句を言うな」という。黙っっていうこと聞いていれば悪いようにはしない。。シンキロウ(森喜朗)の発言は、女性蔑視ではない。養護する議員や、メンタリティそっくりの小池都知事を見ればいい、性別とは関係ない。これだけ苦しんでいる人々がいるのに自分とその一派で利権総取りである。その金は僕らの払った金だ。そもそも民主主義というのはコミュニティの利益の分配のルールなのだ。 コミュニティというのは共に働いて、利益を分配する仕組みである。「家庭」であろうと、学校であろう

コロナはいいことをした。スポーツで「商品」売る連中が困っておる。格差の方程式

広告は、かけた費用以上の売上があるから成り立つのだ。そして、経費の一部なので、社員の給料を削ることになる。経営者や株主の取り分は減らない。下請けを苦しめれば、赤字などすぐに回復する。 下請けにして見れば仕事がないほうが困る。下請けの時給コキ使われる人たちが血の涙を流す。 オリンピックに金だして他社よりも商品売るなんてことする前に下請けにまともな金額を払え。時給を上げろ。 こういう社会はテロで滅びるほかない。 しかし、それぞれのコメントが面白い。 トヨタにとっては公式

新聞がオリンピックのA級戦犯なのだ。今更中止を論説するな。

これだけ予算超過して、ひどい状況になってもまだ止めようともしない。メディアが批判的に報じないからだ。 デカイ新聞社が皆サポーターになって金だして何を買ったのだ?「自民党のお仲間券」か?今更止めたいとか言うなよな。 メディアは買い取られたのだ。社員の年収が高いから、変なことかけまい。首になったら大変だ。誰でも金がほしい、大学出てちやほやされて、年収は上がり生活のレベルが高くなってしまったらそれが首輪になるのだ。公平な社会を求められて新聞を買っている読者を裏切っている事を自覚

パブリックの研究:パブリックビューと言う名前は勘違い。「パブリック」などではない「スポンサー企業」の宣伝の場である。

パブリックビューイングってでかい画面で皆でオリンピックを見ることだと思っていたら、市民の共有の場所である公園を、屋台村にして企業の宣伝に使うのではないか。企業はそれ以上の利益があるから金を出す。自分の商品をアピールする場所であるから金を出す。その金は他社の製品より多く売れた利益から出る。 しかし、今回の「コロナ五輪」は素晴らしい。オリンピックの持っている欺瞞が一気に表面化したのだ。素晴らしいことだ。 パブリックというのは、「誰かが金儲けすることなく、皆で共同に喜びを分かち

いよいよ、無観客、無選手のオリンピックまであと一年か。シンゾー&デンツウー頑張れ。僕はスポンサーの商品買わない。特権階級が奴隷を戦わせて楽しむのはローマ時代から同じだ。「オリンピック」は格差と分断の社会を映す鏡である。選手踊らせて「ピンを跳ねる」のはアスリートの残骸と役人。

格差と忖度のオリンピック:収益と言うアブク銭は、スポンサーの商品買っている私たちの払うもの。

今回のオリンピック報道で一番驚いたのは「新国立競技場のプラチナチケット635万円の記事」。抽選販売だそうだ。オリンピックに限らず、アマチュアスポーツイベントの嫌なところは選手の取り分が少ないところだ。つまり誰っかピンはねしている。 こんな高額のチケット、「ぽん」と買える連中がいる。おまけに学校の生徒動員してボランティアってどういうつもりだ。学徒動員って昔あったよね。 入場料の払い戻しが難しいなら無選手で開催すればいい(笑)。 今日は国立競技場のイベント見て気持ち悪くなっ