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パブリックの研究:パブリックビューと言う名前は勘違い。「パブリック」などではない「スポンサー企業」の宣伝の場である。

パブリックビューイングってでかい画面で皆でオリンピックを見ることだと思っていたら、市民の共有の場所である公園を、屋台村にして企業の宣伝に使うのではないか。企業はそれ以上の利益があるから金を出す。自分の商品をアピールする場所であるから金を出す。その金は他社の製品より多く売れた利益から出る。

しかし、今回の「コロナ五輪」は素晴らしい。

オリンピックの持っている欺瞞が一気に表面化したのだ。素晴らしいことだ。

パブリックというのは、「誰かが金儲けすることなく、皆で共同に喜びを分かち合う」ということだ。

地域には、「入会権」と言う権利がある。山や川、海という共同で利用するものに関しては特定の所有者を持たせないで、コミュニティで最低のコストで管理するというものである。

近代的な民主主義もその意味では「パブリック」のものであったはずなのである。しかし、選挙という制度が企業に買い取られ、税金を特定の企業に流すプロセスとなり、奴隷を貴族が分け合う制度(ギリシャ時代)に先祖返りした。

社員を心療内科にいかせて、薬盛って自殺させないで働かせ、企業の所有者はお金持ちだ。こういう社会はテロで滅びるほかない。まずコイツラに、うんと苦しんでもらいたい。スズメバチがいい。

随分前から、「役所のweb」に企業広告が載る。あれには違和感がある。役所も収益性を考えていますというアピールであろうが、自治体自らパブリックであることを放棄しているのだ。その広告に使われている金は企業が公共事業を受注した金の一部だということが分かっていないのだろうか?そして、企業にすれば、自治体の仕事を受けていますよとアピールして、一般客を釣る餌である。自治体の運営する地元企業の広報的なwebにしてもお粗末なものが多い(適当に作っている感が満載である)。役に立つことも有るが、役人の勝手な思い込みで作られているものも多い(地元企業に愛を感じていない連中が作っている)。特に商工会議所が市役所に影響力を持っているところはとんでもないページが多い。何せ商工会議所っていうのはパブリックなふりして企業から金とってデカイビル立てる。ご子息ご令嬢(長男以下の親族の就職先である。議員か役所が仕事にも役に立つ)の就職先である。農協問題と同根である。

企業の宣伝に公園が使われるのだからなあ。そしてその警備や会場の整備は役人(自治体の経費)がやる。上手くすり替えられているのだ。

オリンピックという企業の出資イベントが「パブリック」と言う皮をかぶったところで始まる問題である。

買え買えスポンサーの商品買え買え!

何煽っているのだろう。偉そうなデザイナーが作ったのだろうなあ。数千万円も払っておるのだろうや。今回は何の盗作だろうか。いいや、盗作じゃないぞ今センス悪いものオリジナルに決まっている。

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このキャラ怖くねえ?何よりも目が死んでる。どうでもいいようである。時給貰ってただ騒いでいる。可愛そうである。大体からして何を応援する。スポンサー企業の商品を買わせたいのだろうなあ。スポンサー企業が弄りだした広告費は、社員を心療内科にいかせて、薬盛って自殺させないで働かせ、浮かせたた金だ。こういう社会はテロで滅びるほかない。自殺も立派なテロである。他人を殺せない優しい僕らはひっそりと死ぬ。遺書ぐらい残せよな。

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オリンピックって見世物小屋なのだ。

洗練されて、企業がスポンサーとなってしまった。

祭りの空間は私達が自由になれる空間であったのである。私達自身が参加して盛り上げたのだ。

それを役人は勘違している。規制したり許可したり、委託したりして、そもそもの自律的な運営を壊してしまうのだ。役所の揃いのTシャツ着た連中が偉そうに歩き回る。かつては興行師(ヤクザの方々)がやっていた仕事を取り上げて、したい放題である。

このプロセス(ヤクザの方々を反社と呼んで社会から追い出して、役所は安い時給で臨時職員を雇う。予算はどんどん膨らみ、起債したり増税したりである。当然、関連団体に天下りも有るであろう。)は面白いものである。

警察や軍隊はパブリックな暴力装置である。ヤクザさんの持っていた様々な機能を受け継いでいるのだ。この話はまた今度。

今年の新発田祭りは中止である。

こういう見世物小屋てすごく好き。頑張って生きている人たちが見える。かつて僕らの社会は多くのコミュニティが集まって生きていた。家族、職場、地域互いに助け合いながら生きていたのだ。今や、企業が売りつけるものを買って無批判に生きる。企業の都合の良い消費者でしかないのだ。

自分の未来を時給で売って、ローンやクレジットに家賃を払い、テーマーパーク行って、カップ麺や出来合いの弁当食って、会社で辛かったら心療内科行って、やがて断舎離して、年金SATMになって医療費を払い管だらけで頑張らせられて、施設で一人孤独に死ぬのだ。統計的に行って皆そうなる。

そんな人生はまっぴらだ。地域のまつりで楽しんだほうが良い。どこか遠いところにいる著作権者に金払って何が楽しい。彼らは僕らとは共に生きない。

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猿回しは猿に菓子やり、客の投げ銭をさらう。

ちなみにこういう見世物(オリンピック)は僕は嫌い。段違い平行棒はは女性の虐待として禁じられる方向に行っていると聞くが彼女たちにしてみれば、優勝すれば生涯年金がもらえるのだ、下手な金持ちの愛玩妻になるより、自分が殿様になりたいに決まっている。とは言っても、企業の宣伝してギャラもらいのだから電通案件である(笑)。

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「1964年の東京オリンピック」の聖火リレーの映像を見ていて泣きそうになった

1964年から今に至るまでに何が変わったのだろうか。この動画見ていて泣きそうになった。パブリックのものだったのだ。いつから企業に買い取られたのだろうか。

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敗戦という共通の苦痛を父母は持っていた。1964年には決して特定の企業が利益のt前にスポンサードなどしていなかった。

福島からスタートするという筋書きは「企業広報イベントとしてのオリンピック」を象徴している。福島は何も終わっていない。今も苦しんでいる人たちは多くいるし、アンダーコントロールなどされていない。

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皆貧しく、共に平和を歓迎していたのだ。僕はこの格差の起源を探している。きっと処方箋はそこにある。

この記事の頃は、まだイケイケドンドンであった。

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これだけダーティなイメージが付いたら、これからどうなるかなあ。僕の予想では、この馬鹿騒ぎは、このまま進み「一切なかったことになる」という方に一票。誰も長野で「西武グループオリンピック」があったことを覚えていない(笑)。借金だけが残っておる。

確か札幌のときはそんなに企業はブイブイいわせていなかったような気がする。覚えているのは笠原のジャンプかなあ。「しゃがむ姿勢が得意な日本人向きのスポーツ」と絶叫していたアナウンサーの言葉を聞いて和風トイレは素晴らしいのだと思ったものである。バカである。

ある意味、国家の広報イベントであったものが、企業の広告に切り替わったのだろうなあ。

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#パブリックビュー #オリンピック #見世物


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。