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オリンピックが浮き彫りにする社会

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2021年のオリンピックはとんでもない素晴らしい祭典であった。この社会が格差に分断されている社会だという事を明確にした。物売りはスポーツ選手を使い他社より多くうる。物を売った利益… もっと読む
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「ソイレント・グリーン」な老後

ふと気になって、ソイレントグリーンという映画がいつ頃の未来を描いたのかと思ったら、2022年ではないか。おや、今年である。 確か高校くらいの時に雑誌で読んで、後に深夜映画で見たような気がする。1973年の製作だから僕は中学生であった。 格差が激しく社会を分断した時代に、老人の死体から食べ物を作り貧民に食べさせて、金持ちが富を築いているという映画である。その食べ物は、ソイレント(大豆肉)グリーンと言う健康に良さそうなビスケットだ(笑)。 大金持ちは、ヒトを家具のように扱い

パブリックの研究:国体とオリンピック

一流の選手はオリンピック行くがそうでない選手は国体に行くと言われる。僕には違って見える。 「企業がくれる金」が好きな方々はオリンピック行って、スポーツが好きなヒトは国体に行くのだ。 スポーツの技術に順位をつけてもしょうがない。偏差値と一緒で常に誰かが1番になるが、それは一瞬のことだ。やがてアスリートの残骸となる。その後どう生きるかが大事なことだ。ピンはね側に回るのが成功者と言われるが、「ちゃんこ鍋屋さん」を開いて美味しさを分け与えたほうがいい。少なくとも僕は尊敬する。その

金メダリストが豪邸に住み、別荘を建てるのは当たり前なのか?:格差の方程式

リストラが跋扈し、安い時給で生活もままならぬ。そうして出来た金を企業は宣伝に使う。スポーツ選手の豪邸や別荘はその金から出ていることを忘れないことだ。 彼らは何も生まない。僕らの生活の苦しさの金で豪邸が建つのだ。 優秀だから、世界一だから年収が何億にもなってもいいのか?いくら募金活動にせいを出しても自家用ジェットを買ってお買い物だ。募金活動で「いい人」と言う称号が買える。果ては国会議員にもなるやにしれん。 スポーツは素晴らしい。大事なものだ。それを否定するつもりはない。企

格差のオリンピック:ドローンでどれだけのヒトが殺されているか分かっているのだろうか!

嫌なオリンピックだ。ドローンという軍事技術をあたかも「世界の未来」をリードする技術のごとく描いている。 アメリカが世界から兵力を引き上げるが、国内・公海からドローンを送り込み殺人を続ける。紛争の現場に兵士がいる必要はないのだ。 宣戦布告のないどころか、兵士もいない殺人である。 ドローンの開発にどれだけのカネがかかると思う。平和のための開発ではない。兵士の命よりコスト安く人を殺せる。テロリストだから殺してもいいというのは、勝手な理屈だ。理由なくテロリストになる「ヒト」はい

「いやあ、客の入り悪いねえ。」「あれ、みんなマスクしている病気か?」 コロナはいい仕事してくれた。オリンピックはスポーツ選手のオークション、メダル取れば高く売れる。その金は企業が労働者を苦しめた金だ。自殺やウツで苦しんでいる。五輪貴族は豪遊する。奴隷のダンスを楽しむがよろし。

オリンピック=「スポーツ選手のオークション」である

企業が、自社の製品を売るのに丁度いい看板を買うためにスポーツ選手のオークションをする。当然優勝が一番高く売れる。 誰もがなにか売って生活する。まあ、金持ちが人を売り買いするのは今に始まったことではない。 売るものがない庶民は「時給」で「時間」を売って、どちらにしても皆取り上げられるのだ。結局は「断捨離」という緩やかでわかりにくい破産をして最後は施設で一人孤独に死ぬ。 国体はスポーツのためにものであり、オリンピックは企業のためのものである。いつからこんなふうになったのか知

五輪ボランティアは地方の公務員のようだが、交通費宿泊費は自治体から出るのだろうか?

僕は、ボランティアというのは、志に共感して自分の財産をなげうって、財産がなければ自分の労働を使って参加するものだと思っていたのだが、どうも違うようである。 地方の公務員が動員されているような記載があった。ハッキリとした記載ではないのだが、どういう人がボランティアとして動員されているのかわからない。コロナのワクチンをうちに一回東京に来いとか言う記事もあった。 しかし、こういう馬鹿騒ぎのサイトを見ると腹が立つ。この経費は皆「オリンピック金」だ。本来社会に還元されるべき企業の利

五輪反対をいい出した文化人の醜悪さ

何を今更言っているのだ。こういう連中は不愉快だ。上野千鶴子なんてまさにセレブな文化人である。庶民を殺す側の論理的指導者である。お一人様などとスカしたことを言っているが、タワマンに召使いのように介護職員を呼ぶであろう。不愉快を額に入れたような写真である。お見事朝日新聞。 オリンピックはやればいいのである。誘致決定から、僕は反対してきたが、それはオリンピックが「パブリック」が生んだ「格差の象徴」であるからである。ここまで反対意見がでてきたならば、今度はその意味を忘れないことだ。

格差の方程式:コロナと五輪は良いことをした。格差社会を浮き彫りにした。

その人の能力がの差が豊かさの差だという。公平な教育、不公平な就職、世襲される特権、格差が自己責任となってしまった。今の社会は何も公平ではない。この変化はわずか50年で起こったのだ。 今の世界は平等ではないのだ大学教授もメディアも(かつての身分制度のような権力による)格差はないと言っている。たしかに貧富の差は有るが、それは、その人の能力に従った差なのだという。そりゃそうだ、彼らも格差でうまい汁を吸う。 いくら人の能力の差があると言ってもこりゃあんまりにもやりすぎである。そし

パブリックの研究:河原乞食が豪邸を建て国会議員になる時代

河原乞食とは小沢昭一さんが自分達芸人を指していっていた言葉だ。決してを差別の言葉ではない。『本当に素晴らしいのは毎日働く人なのだ』と庶民を力づけていたのだ。毎日汗水流して働いている人に喜んでもらって、木戸銭いただくことが自分たち(芸人)なのだと知っていたのだ。永六輔さんや小沢誠一さんお話を、小さい頃(20歳くらいまで)床屋さんや夕方のラジオ番組で時折聞いていたものだ。まだ、演芸場や寄席、興行を通じて観客が木戸銭を払っていた時代である。 しかし、1980年代から、大きく様変わ

池江璃花子さんって可愛そうだよね。

こないだのオリンピックのイベント見ていて痛々しかった。 しかし,彼女の人生はどうなてしまうんだろうか政治家になるのだろうか、大学教授になるのだろうか。どちらにしても大変だ。自由に生きれる人生ではない。 役人のコマになるのかなあ。

『愛』で金儲けするな。オリンピック中止を喜ぶ訳。「スポーツ、歌、ダンス、料理、セックス」を僕は愛す。

オリンピック嫌いというと、偏屈と言われる。スポーツが嫌いなのかと言われる。アスリートの美しい姿を見て感動しないのかと責められる。 僕は水泳が大好きだ。スポーツが大好きだから、「スポーツを愛する心」を利用して製品売って儲ける奴らが大嫌いなのだ。スポーツ愛することと、広告主の商品買うことに関係があるのか? オリンピックは利権の塊 オリンピック自身がそもそも胡散臭い。国家という利権の集団が他国の「放送権料=企業が自社の売上から払う」を受け取り、国内のスポーツ団体に分配する。

格差の方程式:シンキロウ(森喜朗)の発言は、「談合型会議」の象徴、僕は公式スポンサーの商品は買わない。自分の会社の商品を売るためにこんな事に金使っているのは消費者を裏切っている。

「俺たちの言うことには文句を言うな」という。黙っっていうこと聞いていれば悪いようにはしない。。シンキロウ(森喜朗)の発言は、女性蔑視ではない。養護する議員や、メンタリティそっくりの小池都知事を見ればいい、性別とは関係ない。これだけ苦しんでいる人々がいるのに自分とその一派で利権総取りである。その金は僕らの払った金だ。そもそも民主主義というのはコミュニティの利益の分配のルールなのだ。 コミュニティというのは共に働いて、利益を分配する仕組みである。「家庭」であろうと、学校であろう

コロナはいいことをした。スポーツで「商品」売る連中が困っておる。格差の方程式

広告は、かけた費用以上の売上があるから成り立つのだ。そして、経費の一部なので、社員の給料を削ることになる。経営者や株主の取り分は減らない。下請けを苦しめれば、赤字などすぐに回復する。 下請けにして見れば仕事がないほうが困る。下請けの時給コキ使われる人たちが血の涙を流す。 オリンピックに金だして他社よりも商品売るなんてことする前に下請けにまともな金額を払え。時給を上げろ。 こういう社会はテロで滅びるほかない。 しかし、それぞれのコメントが面白い。 トヨタにとっては公式