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てつがくCafeおの:振り返りレポート~第一回テーマ「仕事と人生」~

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この度、告知の通り無事に、てつがくCafeおのを開催いたしました。会場は、レンタルスペースBase様です。こじんまりとしたスペースで、皆様の距離が近く、テーマ外の話題についても大いに話が弾みました。

今回のテーマは、「仕事と人生」です。仕事を、生活するためのお金を稼ぐ労働としてだけではなく、家事など日常生活を営む上での労働・作業や、芸術作品なども意味するworkをも視野に入れた、幅広く、そして人生に密接に結びついた意味での「仕事」について、皆様で考えました。


「あなたにとって仕事とは?」

一つ目の問いとして、参加者の皆様の経験に合わせて、自分自身の仕事の経験から、仕事がどのようなものだと言えるかを考えていただきました。詳細は、個人情報の兼ね合いで割愛しますが、様々な立場から「仕事とは」に対して答えを提示していただき、多様な仕事観を興味深く聞かせていただきました。

私が大変興味を抱いたのは、生活のあらゆる活動すべてを仕事ととらえる意見です。趣味の活動、そして休息の時間までをも「仕事」と考える。これだけ聞くと息苦しいものに聞こえてしまうかもしれません。しかしながら、この際「仕事」は非常に充実した楽しいものとしてとらえられているように、私は感じました。

この捉え方の理解は、大きく分けて二つ考えられるように私は感じ、対話もそのように進んでいったように思います。一つ目は、「好きな活動をお金を得るための仕事にする」ということです。要するに「趣味を仕事に」ということですね。二つ目は、非常に興味深いのですが、閉じた空間で何もできないことの対局として仕事をとらえる見方です。私自身は、おおむね自由を享受し、ある程度「社会人」と呼ばれる経験もしてきました。このような経験の下では、少なからず、「仕事」は「お金を稼ぐための労働、しなければならない労苦」としてのイメージを帯びるのではないでしょうか。もちろん、二つ目の考え方においても、大変な労働というのもあるでしょう。それでも、どこか「働く」ということに対して、制限のなさ、縛りのなさの意味での「自由の喜び」というポジティブさを感じずには、私はいられませんでした。

今回のてつがくCafeではあまり深められませんでしたが、反対に「仕事の苦しみ」もあるかと思います。デイヴィッド・グレーバーという人類学者は「ブルシット・ジョブ」(どうでもいいクソ仕事と訳されます。)という概念を整理しました。これは、その仕事に従事する人にとって、その仕事をまったくの無駄であり、無意味な上に有害であるとすら感じられながらも、それが社会にとって有用であるように見せかけるために、周りにふるまわないといけないような仕事のことです。これは、非常に主観的な部分が含まれるものです。私自身の経験でいうと、あるプロジェクト型の仕事の中で、そのプロジェクトを進めるのではなく、ただひたすらにタスク(必要となる作業)だけを洗い出すような作業をしたことがあります。プロジェクト管理は人々の残業を減らし、適切に無駄なく作業を割り振るための大事な仕事、そのように言うことができるかもしれませんが、その現場の中では、まったく宙に浮いた無意味な作業にしか思えませんでした。この時、私にとって、この仕事は「ブルシット」だったのです。(「ブルシット・ジョブ」について詳しく知りたい方は、酒井 隆史『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』、講談社現代新書、2021、をぜひお手に取ってみてください。)このように、まったく無意味に思えるような、誰の役にも立たないと思えるような仕事は、ややもすると、拷問のようにもなりかねません。無意味な仕事に従事し続けることは大変に苦しいことのように思えます。もちろんこれだけが「仕事の苦しみ」ではありません。端的に、長時間労働は体に毒だと私は思います。

さて、このような「ブルシット・ジョブ」に対して、まったく正反対といえるような仕事観も語られていました。「誰かの役に立つことを仕事とする」ということです。これがひとつの起業理念として立つとき、もしかすると素晴らしい事業が生まれるのかもしれません。そのような理念を共有し、起業家でなくても従業員としてともに歩むとすれば、それは素晴らしい仕事になるのかもしれません。そこには満足がきっとあることでしょう。しかしながら、そううまくはいかない現実、というのも対話の中で見えてきたようにも思います。

「幸せな仕事とは?」

しばしの休憩をはさみ、二つ目のテーマとして「幸せな仕事」について考えました。そもそも、「幸せとは何か?」という問いから、大変な緊張を持つ時間からの解放や、思いの通りに事が運び、うまくやったぞというような満足感が、仕事の中での幸せとして挙げられました。このような仕事の中での充実が重なっていくことは、「幸せな仕事」において重要な条件のように、私にも感じられます。

さて、ここでまた翻って、今回のカフェの中であまり触れることがなかった「不幸せな仕事」というものを考えてみます。私たちの社会では、しばしば仕事の中で心身の健康を損ない、人生の低迷期を迎えることがあります。非常にストレスフルな状況下で、心身ともに高い負荷をかけられ、上司から納得できない仕事を命じられる。このような事態を容易に想像することができます。そして、もっと悲惨なことに、それでもその仕事から逃れることができず、やりたいことをも見失い、果ては何に対しても無気力になってしまう…。このようなことも想像がつきます。まさにメランコリー(憂鬱、憂愁)です。(この「メランコリー」については、リンドクカフェ第一期で深めていきたいと思っておりますので、ご興味のある方は下記URLを覗いてみてください。)では、この状況からどのように打破するのでしょうか?これは、今回のテーマではないものの、私には、みずからの身近な喜びに回帰することがキーであるように感じます。例えば、誰かの役に立っているという感覚、経営者の理念と共感の上で働く、あるいは自ずから新しい事業を始める、好きなことを少しずつ仕事にしていくなど、ヒントとして今回のカフェではこのようなことが語られました。

しかしながら、新しく事業を始めたり、好きなことを仕事にしたい、と言ってもその一歩を踏み出す勇気をもつことは難しいものです。予想だにしない荒波であったり、徹頭徹尾うまくいかないといった不安にさいなまれるかもしれません。今回のカフェでは、それでも「決めること」、つまり決断にこそ、「幸せな仕事」のカギがあるのではないか、そのような意見が出ました。まさに、決断こそ自由であり、それを「実存」(人間)のあるべき姿だ、ととらえる実存主義哲学の主張と重なるのではないか、と私には思えました。(「実存主義哲学」に関しては、ネットで調べていただければ詳しい解説や動画もたくさんあると思います。)

私はこれらのカフェの内容に加えて、「仕事における問い」を引き受けられるか否か?を「幸せな仕事」を探るうえで考えたいと思いました。「仕事における問い」とは、例えば、学校のカメラマンでいえば、「どのような写真を撮れば生徒や先生方など関係する人たちが喜んでくれるか?」などの問いであり、その仕事の根幹となるような課題の事です。先ほど述べた「ブルシット・ジョブ」にも関係することなのですが、まさにこのような問いを見つけられるかが、その仕事が「ブルシット」であるか否かに関わってくるのです。(この理論を詳しく知りたい方は、大澤真幸、千葉雅也『ブルシット・ジョブと現代思想 (THINKING「O」018号)』、左右社、2022、をご覧ください。少し難しい哲学の理論も含まれますが、平易な言葉で述べられた非常に面白い本です。大澤氏の論文「〈クソどうでもいい仕事ブルシットジョブ〉と〈記号シーニュ〉」の、3節「〈記号〉へ」の箇所で述べられています。)私はさらに進んで「幸せな仕事」について、その問いを自分自身で引き受けられるか否か、という条件を加えたいと思います。つまり、先ほど述べたような仕事の根幹にかかわる問いが、自分自身にとって重要だと感じられるか?ということです。もし、自分にとってその問いが関心から離れることなくとどまり続け、その問いに対する答えを探求することに情熱を燃やすことができるなら、もし、その問いが自分自身の活力を生み出しさらなる活動に対する熱意を生み出すなら、その問いは紛れもなく、人生にとっての一大事なのではないでしょうか。「幸せな仕事」は、人生にとって最も大事なことに関わるからこそ、「幸せな仕事」なのではないでしょうか。

次回のテーマ(候補)

今回のカフェの純粋な内容の報告ということから少し逸脱しつつ、私自身の考えも述べてきました。手前味噌ではありますが、進行役という立場ながら、非常にエキサイティングで思考をフル回転できる充実したカフェになったことを喜ばしく感じています。そんな今回のカフェでは、次回のテーマについても語り合いました。

まずは、「人間性」について。私たちは、人間性の高さをある意味では理解し、特定の人を思い浮かべるでしょう。しかしながら、なにをもって「人間性の高さ」とするのか?これを当てつがくCafeで深めたいというご意見を伺いました。もう一つに、クスッとしてしまうような面白いテーマ、という意見もいただきました。例えば、「なぜ腰パンをかっこいいと思うのか?」社会に出れば、スーツなどをピシっと着こなすなど、スタイルの良さがかっこよさと見なされますが、どうして学生の間では、反対の状態がよいとされるのか、ということのようです。

テーマについては、引き続き募集していきますので、もしご参加希望の方がいらっしゃいましたら、当記事のコメントとしてテーマ案も残していただけますと幸いです。

最後に

今回、てつがくCafeおのに参加してくださった皆様ありがとうございました。次回以降も、魅力的で面白い哲学イベントを開催していけたらな、と思っております。

また、今回興味を持っていただいたにもかかわらず参加がかなわなかった方ももちろんのこと、身近なテーマについて考えを深めたいという方、いつもより少し異なる対話を楽しみたいという方など、いらっしゃいましたら、こちらの記事にコメントを残していただくか、X、Instagram、メールアドレス(philothaumazein.mt@gmail.com)までお問い合わせください。

主催者、Xアカウント

より多くの人が哲学を通して、満ち足りた人生のひと時を慈しむことができるよう願って。


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