研究室のロックをやる
3月7日に、田原研究室を立ち上げ、参加型社会を実現する社会技法の研究を始めました。
20代のときに研究者を目指して博士課程で自己組織化やカオス理論を研究していた僕は、その道を逸れて、人生を通してカオスの実践研究に入りました(笑)。
自分と切り離して、客観的にカオスを研究するのと、自分自身がカオスそのものになって、全身で体験しながら気づきを深めるとでは、全く違うものなのだということを、体験から学びました。
その結果、カオスの海の泳ぎ方を体得し、カオスを通過するプロセスを舵取りすることを得意とするファシリテーターになりました。
これから社会全体がカオスに入っていく(すでに、だいぶ入っているかもしれない)ので、僕が体得してきたものを、社会的な概念体系と接続して分かるように伝えられるようにしたり、メソッド化して使えるようにしたりすることをやっていきたいなと思ったのが、田原研究室を立ち上げた動機です。
研究室を立ち上げるにあたって、ひっかかっているところがありました。それは、僕の人生は、アカデミズムの研究室を出たところから始まったという実感があって、その自分が研究室を作るというのはどういうことなのか?と思ったのです。在野の研究者の存在価値は何か?という問いかもしれません。
大学や企業の研究室というのは、制度の中に組み込まれているので、組織の一部としてやるべきことがあり、そのうえで個人のやりたいことを重ねていくという順番にならざるをえない制約があります。その分、リソースもあるし、大きなプロジェクトをやれるんですけどね。
一方、何の組織にも所属していない「田原研究室」は、研究したいという想いからスタートして、研究のプロセスが進んだ結果、どこかのタイミングで研究内容に応じたアウトプットをして、社会に発信するという形になります。自由な一方で、組織のサポートがないので、お金とか環境とかが貧弱なんですが、インターネットの発展によって、自分たちの力でも、それなりになんとかなる状況になってきました。僕の進む道は、こっちだな。
仕組みやシステムがあるからやるというのは、箱が先にあるから中身を埋めていこうということ。参加させられ型。
参加型というのは、意志と想いによって箱をはみ出していくこと。編集者は雑誌のロックをやり、豆腐屋は豆腐屋のロックをやり、研究者は研究室のロックをやる。
研究室のロックをやる、というのが、田原研究室でやりたいこと。
ここまで考えて、腹が決まった。
15人の仲間と一緒に研究室がスタート!意志と想いがある精鋭ぞろいで心が震えています。一緒に箱をはみ出していこう。
次の社会を予感&直感して、そこに向けた研究をしていこうという想いと意志を持った方をお待ちしています。
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