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競争原理からリスキリングを捉えると不幸にしかならない(その1)

岸田首相は、2022年10月の臨時国会の所信表明演説で、個人のリスキリング(学び直し)の支援に5年で1兆円を投じると表明した。

それ以来、「リスキリング」という言葉はバズワードになっている。

今回、いろいろと調べてみたが、リスキリングが必要だという主張の趣旨は、以下のようなものだろう。

かつて機械の登場によって、単純労働者の仕事が奪われた。
ロボットの登場によって、現場の仕事はさらに奪われるだろう。
それどころか、オフィスワーカーの仕事もAIによって奪われる。
だから、人間は、もっと付加価値のある仕事をしなければならない。

機械に負けた。ロボットに負ける。AIに負ける。だからもっと頑張らなくては勝てない。という論調なのだ。

近代社会をドライブしてきたのは「競争原理」である。勝てば幸せ、負ければ不幸というルールで、勝ち組に入ることを目指す意識でやってきたのだ。

本を書いたり、発信したりしている人の多くは、競争原理を内在化し、そこで「勝ち組」に入っているという意識で生きている人だろう。

自分は「勝ち組」に入っていると思っていて、どうやったら「勝ち組」に入れるのかのハウツーを教えるという仕事が、巷に溢れている。「負け組」になる恐れから、そのようなハウツーに飛びつく人も多いだろう。

競争原理に基づき、様々なテクノロジーが発展した結果、ロボットやAIが進化してきた。その存在を競争原理のメガネで眺めれば、足元から迫ってきて、自分たちを打ち負かしていく脅威として捉えられるだろう。

AIやロボットに仕事を奪われるイメージ

仕事をロボットやAIに奪われた人たちは、新しく生まれる成長産業に転職する必要があるから、そこで仕事をすることができるように新しい仕事を覚える(=リスキリング)する必要があるのだという。

それは、あたかも、「AI将棋が強くなってきて、人間が打ち負かされるようになってきたから、将棋はAIに置き換わって、人間は、新しいゲームのスキルを覚えなくてはならない」というようなものだ。

実際には、AIと対戦することで、人間同士の対戦では出てこなかった新しい手や戦略が生まれ、将棋界が活性化しているという。AIと人間の相互作用によって、新たな展開が生まれているのだ。

競争原理の幸福原理は勝ち組になることだ。それは、負け組を見下すことによって成立する。自分もいつか負け組になるのではないかという恐れにドライブされて、勝ち組になるように、勝ち組から滑り落ちないように努力する。

その意識が、AIやロボットを、思い通りにこき使う存在として見なしたり、人間を脅かしてくる存在として脅威を感じたりしているのだ。

自分が見下しているポジション(=負け組)に自分が置かれると、自分の中の序列意識が、ブーメランのように返ってきて、自分自身に突き刺さり、自己否定して不幸になる。すべて、自分の意識が作り出している物語だ。

その物語の中で、怖れにドライブされて「リスキリング」を叫んでも、不幸にしかならないのではないか。

私は、「リスキリング」を否定しているわけでもないし、「競争原理」を否定しているわけではない。どんな原理であっても、特定の原理が社会の中心に据えられ、適用範囲を超えて全体を覆うようになると、弊害が大きくなっていくということだと思う。

私は、アフターコロナからは、競争意識によって全体が一様にドライブされる社会が終わっていき、参加型社会が始まっていくと思っているので、これらに対して、違った見方をしている。

そのことについては、次の投稿で書きたい。

(その2)へ続く

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