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2枚の絵を描いて

4月16日 1時間

鉛筆デッサン

今日より作業スタート。1時間でこれくらいの絵が描けるようになっているのは自分にとって自信になる話。坂口恭平氏やゴキンジョのヒロ氏を見ているとすごい絵を同じ1時間で描きあげている。ふたりとも絵をお金にも変えているのだからこれまたとんでもない。他と自分を比べて落ち込んでも、逆に調子に乗っても意味がないので見るのは自分であること。

僕の場合お金はウェブデザイナーと通訳とで稼げているので気にすることはない。ただこの先もこういう生き方を続けていくために絵をお金の入口のひとつにしたい。いや、今だってそうなっていると言って良いのかもしれない。僕の絵はいくらかの金になっているのだ。しかしお金に駄目にされては意味がない。自分が楽しいから、得意だから、やれるからやるのだ。お金が必要だからやるわけではない。

仮に仕事がなくなって飯を食うことができなくなったら、前はコールセンターに行こうと思っていたが、ホームレスになるのもひとつの手かもと思ったりし、ホームレスや路上生活者の本を読んだり動画を見てみると、だいたいは社会から外れた悲惨なホームレスをステレオタイプに書いたものが多かったが中には賢いホームレスもいて、多摩川沿いのホームレスだと家を建てたり、水や電気を引く技術を持っていて、空き缶や廃品や鉄くずを売って金を稼いだりなんかして気楽に生きている人もいるようだった。自立の仕方がすごいよなって。今だとネットを使ってもっとうまくやっている人もいそうだし。日本の社会では人の表情が乏しいなんてよく言われるけど、楽しそうな顔をしている社会人を探すのとホームレスから探すのとどちらが簡単だろうかしらん。

4月17日 2時間

昔読んだレジェンド・アーティストの格言を集めた本の中にゴッホの「スケッチも絵具をつかってやること」みたいのがあって、絵具でやるなら絵具でやれよと、鉛筆で下書きするんじゃなくて、絵具でどんどんやっていけと、そう解釈をしてるけど、今回はその格言を思い出してスタート。慎重になると勢いがなくなるからな。この絵は下手になったっていいんだ。下手とか上手とかそういうのがやりたいんじゃないから。自分の絵を描くこと。自分の絵とは? 他者の作品や他者自体に影響をうけることがあるし、それが自分を成していくわけだけど、誰かの目を気にして媚びたり格好つけたりせずに描く。

* * *

ふと気になって、似顔絵と肖像画の違いについて。

Q: 似顔絵と肖像画は似て非なるもの?

ChatGPT: はい、似顔絵と肖像画は似ているようで実は異なる芸術形式です。それぞれの目的、表現スタイル、意図に違いがあります。

似顔絵
似顔絵は、人物の特徴を誇張して描くアート形式です。主に、顔の特徴や表情を大げさにしたり、コミカルなタッチで描いたりすることで、その人物のキャラクターを強調します。似顔絵はエンターテイメントやユーモアの要素が強く、カジュアルなコンテキストで楽しむことが多いです。

肖像画
一方、肖像画はよりリアリスティックで格式のあるアプローチを取ります。人物を忠実に再現し、その人物の性格や内面、地位などを表現することを目指します。肖像画は、美術館や公的な場、家族の記念品として飾られることが一般的で、芸術的価値や歴史的記録としての側面が強調されます。

目的の違い
似顔絵は主に娯楽目的で、人物の面白い側面や印象的な特徴を強調するために使われます。対照的に、肖像画はその人物の本質や重要な特徴を真剣に捉えることを目的としており、しばしばその人の生涯や達成を称えるために作成されます。

これらの違いにより、似顔絵と肖像画はそれぞれ異なる視聴者や文脈で評価され、楽しまれます。

4月18日 2時間

額装もしたいと思ったが、この絵の価格は5,000バーツなのでそこまでするのは難しい。納品は5月8日。額装の時間を考えなくて良くなったのでバンコクには前日の7日に入るとしてもまだ十分な時間が残っている。

4月19日 1時間

だいぶいい感じになってきた。開始前にぼんやりと頭に描いていたものに近づいてきたと思う。もう少し手を入れて終わり時かも知れない。やめ時ってのがあるんだ。

手を加えたい箇所のメモ
・眼球
・メガネフレームと光
・もみあげ
・髪の形
・耳、鼻、口、目、眉などのパーツをはっきとさせる
などこういうメモなどを取り出すと良い絵にならない気がする。勢いを欠くのでやめよう、メモなど参考にせずに明日もう一度絵と向き合うのがいい。

4月20日 1時間

終わり。良い時間でした。今回の依頼に応えられる絵が用意できたので、これはこれで置いておく。

次のアイデアがあるのでもう1枚。1枚は西尾さんに選んでもらって、残りは西尾さんファンの誰かに買ってもらおう。値段は同じ5,000バーツ。腕を上げて値段も上げる。

4月23日 1時間

2枚目の鉛筆画。

chatGPTの説明に習うなら1枚目は肖像画。2枚目は似顔絵となるかな。

5月2日 1時間

ここのところ忙しくしていて、前の絵から結構間が空いてしまった。

5月3日 1時間

焦らずやろう。

5月4日 2時間

この前の日本滞在では親の面倒もあるが、毎日買い物に出てよく歩いた。タイに戻ってくると今年の暑さは例年以上ということもあるが運動量が極端に落ちて心配になり、部屋のある8階の登り降りを階段でやってみるとiphoneのフィットネスアプリは簡単に合格ラインを突破した。

余談だが、日本人から見ると南国の人たちはグダグダしているように映ると思うが、これだけ年中暑い所で生活をするとは、そういうことなのだと身を持って思う。別にグダグダしているわけではなく、生きるペースが違うだけ。特に日本は電車が1分遅れれば騒ぎになるような神経質な(と言ってよいでしょう?)国なので、日本とタイとは同じアジア同士だし似ているように映る部分もあるし、似ているように思いたいところもあるが、全く異なる国になる。にもかかわらず、日本からタイで仕事をしたいとやって来て、タイの仕事のやり方が雑だとかなってないとかを語気を荒げて言うのは止めにして欲しい。さらに面倒なのはその人達はタイ語ができるわけでなく、かといって英語ができるわけでもないので、通訳をやっている僕にそういう愚痴や悪口を言って「後藤さんも私の言ってること分かるでしょう?」と言われても、僕は日本で育っているし、言っていることが分からなくはないけど同意する気にはとてもならない。さらにさらに面倒なのはそういう話はタイ人の前では言わずに通訳である僕に言う。未熟だよなと思うけど、かと言ってここは日本ではなくタイだからとバッサリ切るのもないよなと思うので黙って聞いると、それを吐き出す場がなくストレスとなっていたってことがありました。こういう時は仕事仲間や同じくタイで長くやっている人なんかに話をするだけで、すっとストレスがなくなっていったので、やっぱり仲間や友達が大事だよなと思うのと同時にでもやっぱり甘えすぎも良くないからなと思ったりしました。まったく、日本のやり方を教えてくれと頼んでるわけでもないのにホウレンソウだなんだとか言って、誰かが誰かより偉いなんてことはないはずなのに、なぜだか偉そうな日本人。このところ目に見えて弱ってきているジャパンパワー。こういう人たちはこの後何を持って偉そうに振る舞うのだろう。

5月5日 3時間

1枚目よりも慎重になってしまっている。「しまっている」と言ったものの、慎重さの良さはあるので、1枚目とは違う2枚目を仕上げるのだ。作業できるのは残り2日。明日タイは祝日。

5月6日 3時間

終わり。僕は運が良い男で、1枚目の絵が良く描けたことも運によるものだと困ってしまうので、2枚目で絵具を使ってサムライ頭の西尾さんを認識できる絵が描けたことで、これくらいの技術は持っているのを自分に証明することができた。

ところで、このような写実的な絵を鉛筆で描くのと絵具で描くのとは全く別の作業である。鉛筆で上手に描けたからと言って、絵具で上手に描けるわけではない。

色は「色相」「彩度」「明度」からなっていて、
色相:青とか赤とかいわゆる色のこと。色合。
彩度:色の鮮やかさ。淡いとか濃いとか、鮮やかとかくすんだとか。
明度:色の明るさのこと。明るい色、暗い色。

鉛筆画は白と黒だけで表現するので、これは明暗のみでコントロールしている絵になる。目や鼻や耳の穴、口元など暗いところは黒や黒に近くして、逆におでこや鼻の頭など明るくなるところは白や白に近くして、それ以外は黒と白の間の色を使って表現する。全ての色は黒と白の間だけにあって、ここに色相と彩度はない。

絵具を使って絵を描くと、明るさに色相と彩度が加わり難易度がぐんと高くなる。アジア人であれば大体は眼球が真っ黒で、それ以外の場所は鼻の穴でも手前の方は真黒にはならないし、夕日が差し込んでいれば顔は夕日に染まるし、凹凸により顔の表面は肌色1色の明暗だけで表現できるものでないし、その色の隣に明るい色がある場合と暗い色がある場合ではその色の見え方が変わるし、とかで鉛筆でやっているときとは全く違う作業になるんです。実に奥が深い。

5月7日 仕上げ

納品前日。朝大雨。昨日の朝も少し降ったけど、今日の雨は本格的。いよいよ雨季入りか、という人もあり。シーラチャーでの初めての雨季。

仕上げにニス塗り。ニスはスプレーでなく液体、マットでなく光沢派です。液体はスプレーよりも表面に厚みがつくれて光沢により重厚感ができて僕の思うひとつの「絵画作品」の印象に合うので。写真でも紙の印刷でもスマホの保護フィルムでも光沢タイプとマットタイプがあるのは面白いよなと思う。当たり前だが、光沢が好きな人もいるし、マットが好きな人もいるから2種類つくって(印刷用紙だと2種類以上に豊富に紙の種類があるし)みんな良いと感じるものが違うよね、好みのものを選んでください、ということ。だから自分の作品を好んでくれる人もいたっておかしくないわけだ。

終わりに

今回の絵では期限を決めて、良いものをつくるためにどうするかを考えて実行して来たわけだけど、こういう作業は好きで、いい時間を過ごせました。

SNSですごい絵描きたちの絵を簡単に見られるようになって、見れば自分と比べてしまって、冒頭でも書いたけど他人と比べていいことなんてないし、なるべくSNSとは距離を取るのが自分にとっては心地よいと分かったり、

絵を何かにするには続けていく必要があって、そりゃ毎日絵をやれた方がいいに決まってるけど、毎日やってれば毎日続けていることになるし、月に1度やっててもそれは月に1度続けいることになるから、やめないなら変に追い込むこともないって分かったし、

金に困ってるわけでもないし、って別に高級車が買えるとかって話じゃないよ。運良くって言っていいと思うけどブランドものみたいな物が欲しいって価値観を持たずにいられるってことね。自分の生活に色を添えてやれるだけの金はあるってだけ。だけってそれで十分でしょう。それに満足できずにお金お金ってなってる人らの方が貧しいんだから。

人生100年時代って、そんなに長く生きたいとも思わないけど、早く死にたいとも思わんし、この先もまだ何かをやっていくのに十分な時間はありそうだからやっていこう、と前向きな気持ちです。

さて、今日は日曜日で仕事はしないって決めて、気分も天気もいいし、この記事を公開してSNSに流してからクーラーを効かせた部屋で絵を描くことにします。

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