縄文時代の人達も現代人と同じなんだな。

縄文時代における黒曜石の産地は限定的であるにも関わらず、日本全国から出土している事は広く知られる。よく考えてみると、車も電車もない時代に、わざわざ産地から黒曜石が全国に流通していた。
教科書にはそんな事がサラッと書いてある。けど、よく考えてみると凄い事でしょう。とんでもない距離の移動が起きている。
そこで、次のような疑問が湧いてきた。


・わざわざ遠くに存在する黒曜石を獲得しに行く縄文人。縄文人にとってどのようなものだったのか
・縄文人は何を考えて黒曜石を欲しがっていたのか


そんな事を知りたいと好奇心が湧いてきた。そんな話をしてみたいと思う。

1.黒曜石とは何か

そもそも論だが、黒曜石とはなんだろうか。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/黒曜石

黒曜石はガラス質であり、美しい輝きを放つ石である。鋭い切れ味を持つので、武器や道具として利用されてきた。天然の黒いガラスと考えればいいだろう。
金属器を使えない民族にとってはとても貴重なものであったわけだが、全国のどこからでも採れるわけではない。産地は限定的だ。代表的なのは長野県の和田峠や北海道の十勝岳などがある。


2.縄文時代からブランドが存在した?

産地の限られた黒曜石が全国の至るところで発見されたという事は、縄文時代にも交易があったという事を示す。わざわざ、産地まで物々交換をしに行っていたのか。それとも、交換に交換を重ねて至るところに散っていったのか興味深い。
とても切れ味があるものだし、切れないカッター使って物を切ったりするのはしんどいだろうし、良い品物を求めていくのは今も昔も同じなんだなと思う。
ただ、次のような疑問が湧いてきた。

長野県産の黒曜石が北海道でも発見されているのだ。なぜ、北海道も黒曜石が採れるのに、わざわざ長野県のものなんか手に入れる必要があるのだろう。

しかし、常識的に考えて、宝石とかでも等級は存在する。純度が高くて神々しく輝く宝石は価値もそれだけ高い。
黒曜石も同じなのだ。とても質が良いものに関しては価値が高い。どうやら、長野県産の黒曜石は価値が高かったみたいだ。長野県産の黒曜石は黒くないが、とても美しい色をしている。明らかに他の産地とは違う見栄えをしている。透明だ。

https://intojapanwaraku.com/travel/13731/?amp=1

今風にいえば長野県のブランドが存在していたのかもしれない。
そして、そういうものをわざわざ手に入れていたとはとても豊かな時代だとも感じる。荒れていて生きるのがやっとであれば、このような交易は起こらないだろう。


3.美しさに価値を見出して黒曜石を手に入れていたとするなら…(話のまとめ)


ここで感じるのは、やはり昔であっても今の人と同じような感覚は存在するのだと思う。美しいものや貴重な物を手に入れたいという欲求は何も変わらない。
縄文時代などの原始時代は今と社会が違いすぎるので、縄文時代の人たちは感覚が今の人とはまるで違うと思いがちだが、そんな事はないのではないか。

もちろん、科学的な検証は必要だが、昔の生活や行動を考える時には今の我々の感覚を頼りに考察を考えるのは十分有効だと思う。
そして、本質的な人間の欲求は変化しない。昔を考えるときには現代の感覚が通じることもあるし、今を考える時も歴史が役に立つ事は多々ある。
何よりも歴史は教科書問題とかイデオロギーに関わらないのであれば、堅苦しく考えずに、こんな感じで自由に想像を巡らせた方が楽しいし、実用的で役立つのではないか。
そんな事を、この黒曜石の流通を通して感じた次第だ。

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