全く勉強しなくて中学の成績がオール2だった僕が、勉強の虫になった理由

私は元々こんな子だった。

勉強が大嫌い。中学の時は五段階評価で成績はオール2。進学できる高校はないと断言されてしまうくらい得点力も低かった。

しかし、周りの理解や支えがあって、最終的には筑波大学大学院を修了する事が出来た。大学院での研究はずっと2年間勉強や研究漬けの日々だったし、有意義な時間であったとすら思うようになった。今では、暇な時間は何かを勉強していないと気持ちが悪いくらい勉強が習慣化されている。

そこで、なぜ勉強を全くしなかった私が、勉強をやるようになったのかお話をさせて頂きたいと思う。先生など、生徒のモチベーションに関心のある方、教育や子育てに関心のある方の役に微力でもお力になれたら幸いだ。


1.危機感を与えてもらえたから

中学2年生の時、私は野球部であったが部活以外の時間はほぼ遊び呆けていた。学校では勉強が理解出来なかったので、とてもしんどかった記憶がある。変わらないといけないと思うものの、何か変わらなかったのだ。しかし、三者面談で「行ける高校はほぼありません」と学校の先生から告げられた時はさすがに背筋が凍る思いがした。「現実を突きつけられる」というのが大きかった。そこから、授業くらいは真面目に受けなければと思うようになったが、まるで成績は伸びなかった。

2.哲学的な言葉に触れる機会があったから

中々、成績は伸びなかったが何とかしたいという思いは徐々に強くなっていく。あるとき、家の中で一つの言葉を見つけた。「努力は必ず報われる」。よく見かける言葉なのだが、やたらと心に響いた。もはや、解決する糸口を見つけられないでいた私は、この言葉を信じる事にしたのである。それでも努力の方向性がズレていたのか、成績はあまり伸びることはなかった。しかし、継続する事も努力だと思い、諦めなかった。自分を奮い立たせてくれる言葉が生活の中にあったから、継続をする事ができたのだ。

3.地獄を見たから

中学3年生の時、電気・ガス・水道が全て止められた時間が起こった。冬の時期のとても寒い時期の事だ。理由は代金を支払えなかったからだ。こんな寒い時期に水の風呂に入らなければいけないのかと絶望した覚えがある。そして、食べ物も粗末な物で、カチカチに固まった米を食べて凌いだ事もあるし、服も買えずに惨めな思いばかりしていた。
そもそも、なぜ代金が支払えなくなってしまったか。それは父が失業して数ヶ月就職出来ない事態が続いていたからだった。父は中卒だったので、中々就職先が見つからないらしかった。その時、求人雑誌も私は人生で初めて父に見せてもらう事になるのだが、どこも「高校卒業以上」と書いてある。この時、私は単純に「学歴がないと生きていけない世界なんだ」と思ってしまった。こんな生きるか死ぬかギリギリのラインで生活をしていたくないと強く強く思ったのだ。
その時、私は公立高校の受験を終えて結果を待っていた時期だった。もちろん、滑り止めとなる私立高校は受験していない。もう、ただ合格できるよう祈るような気持ちだった。
その時に、「合格させてもらえたら、死ぬほど勉強するので高校に行かせて下さい」と何かにすがるように祈っていた。そして願いは叶った。そこから、高校1年生から受験まで、毎日夜中まで勉強するようになったのである。自分が明らかに生まれ変わった瞬間だった。金銭的な苦労が自分の行動を変えてくれた。

4.自分を変えたのはネガティブな理由が多かった。

私が勉強するようになったのはほとんどがネガティブな理由からだったように思う。劣等感や経済苦、そして厳しい現実を知ることが私を変えるきっかけを与えてくれたように思う。しかし、ネガティブな要因だけで変われたわけではない。そこに希望があったからだ。どうしていいか分からなかった自分に手を差し伸べてくれたのは「学ぶチャンスが与えられた」ことと「努力は報われる」という言葉だった。
そして、私は何よりも母に可愛がってもらっていた。母が愛情をたくさん注いでくれたのは日々感じていた。そんな母のためにも変わりたかったのだ。複数の要因が積み重なって、私のマインドは大きく変わった。自分を苦しめてくれた逆境と、負けないように支えてくれた方々に本当に感謝している。

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