見出し画像

三か月ぶりの映画館でスペースキャット顔になる―『デッド・ドント・ダイ』

 映画のことはよく知らない。よく知らないが大好きだ。映画館という空間も大好きだ。
 これは映画レビューというより備忘録的メモであり、主に映画館で観た映画についてのとりとめのない日記である。

映画情報

監督:ジム・ジャームッシュ
製作:2019年/スウェーデン・アメリカ合作
出演:ビル・マーレイ、アダム・ドライバー、ティルダ・スウィントン、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、イギー・ポップ、セレーナ・ゴメス等
ジャンル:ゾンビコメディ
あらすじ:アメリカの田舎町「センターヴィル」で起こるゾンビ騒ぎ。町に三人しかいない警官が、日本刀を所有し仏陀像を拝む謎の女性葬儀屋とともにゾンビに挑むが……。

ジム・ジャームッシュ監督について

 本作の監督、ジム・ジャームッシュ。
 自分が観たのは『パターソン』『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の二作のみ。
 鬼才、との形容をかぶせられる監督だが、『パターソン』も『ストレンジャー・ザン・パラダイス』も、どちらもゆるゆるとした日常を描く作品であった。好きだしセンスあるしお洒落である一方、淡々としていてメリハリが見出せない部分もある。
 ということは、ゾンビ映画といってもジェットコースター的娯楽作品ではないだろう、という予測。

すべてを許そうと決めた三か月ぶりの映画館

 ユナイテッドの椅子に座ったとき、久々のクッションの感触とまだなにも映されていない白い大スクリーンが嬉しくて嬉しくて、いまから観る映画がどんなにつまらなくてもすべて許そうと思った。
 というか、映画については(本でも漫画でも観劇でも)あまり批判的な態度にはならない。なぜって好きだからだ。好きだからこそ不味い点はきちんと批判する、という態度を否定するわけではない。ただ、自分は好きなものはおおむね受け入れて許してしまう性質なだけである。

 ……という前置きと「スペースキャット顔」という言葉が入った記事のタイトルからして『デッド・ドント・ダイ』が(個人的に)大絶賛な作品ではないということを察していただきたい。国語のテストか。
 でも、ゆるゆるとしてじんわりおかしいコメディでした。

ゾンビ映画への思い入れがさほどない人間が観るゾンビ映画

 自分がこれまで観たゾンビ映画というと上記三作品くらい。『新感染』と『アイアムアヒーロー』はエンタメ娯楽映画としても質が高く大好きです。『アナと世界の終わり』は青春ミュージカル親子ものゾンビパニックというジャンル足しっぱなし映画であり、そこはかとなくB級な印象はあるが、青春物として好きです。あとはウォーキングデッドを少しと、バイオハザードを0と2と3と4をプレイしたくらい。
 そんなわけで、ゾンビ映画はそれほど熱中して観るジャンルではない。面白そうだという評判があれば観る程度。

ネタバレあり感想/豪華な俳優陣によるシュールコメディ

 ということで、さしてゾンビに思い入れがない人間が観るジャームッシュのゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』の覚え書き感想です。
※ネタバレありなのでご注意


(配慮の空白)



 最初こそ、主役の警官ふたり(アダム・ドライバーとビル・マーレイ)が、森のなかで毛皮を剥がれた動物の死骸と焚火という儀式のような跡を見つけたり、問答無用でショットガンを撃ってくる謎の世捨て人と対峙したり、時計が壊れる、スマホのバッテリーが突然切れる、夜のはずなのに周囲が明るい、などの微妙に不穏な雰囲気で始まったものの、パトカーで通りを流しながら、ダイナー、雑貨屋、モーテル、葬儀屋など、各施設を見せて、いかにもアメリカ田舎町にありそうな平穏な光景を描写していく。そこに住む人々の生活をこれで説明していくわけである。なるほど。

 どれものんびりした風景だが、最近町に移ってきたらしい、道着姿で日本刀を素振りしつつ仏陀像に礼拝するという、キャラ立ち満点ツッコミどころ満載の葬儀屋の女主人、ゼルダ・ウィンストン(ティルダ・スウィントン)が出てきた辺りで、あっ、これはシリアスなゾンビ映画ではないな、という確信を得る。
 そして、いつまで経っても緊迫した空気にならない。
 真夜中にゾンビが墓地からよみがえり、ダイナーの女主人とウェイトレスを襲ってむさぼり食らってそれらしくなるかと思いきや、翌日現場検証に別行動でやってきた警官三人が、わざわざ三回ともゾンビに喰われた犠牲者を見てああだこうだと語るのを繰り返す。「天丼」している場合か。変死体がふたつもあるんやぞ。
 だがつまりこれはギャグとして観ていいんですね……?(いいらしい)

 アダム・ドライバーの冷静無表情ぶりとビル・マーレイの呆れ困惑嘆息ぶりの対比だけでじんわりおかしくなるし、ティルダ・スウィントン演じる葬儀屋の変てこな行動にもじわじわ違和感が増してくるし、イケメン枠だがやばい奴を演じる系だったはずのケイレブ・ランドリー・ジョーンズが見るからにイケてない映画オタクの雑貨屋の主人をしていたり、イギー・ポップはやけに珈琲にこだわるゾンビだったりして、なんだこれ……なんぞこれ……と次第に軽く宇宙に飛ばされる気持ちになる。

 もちろん、町にゾンビがあふれるお決まりの展開になる。
 なるんだが、アダム・ドライバーは「頭を殺れ!」と叫んで要領よく鉈でゾンビをぶったぎり、農夫はちゃんとショットガンを用意して訪問してくるゾンビをきちんと撃退していき、田舎のホームセンターこと雑貨屋では手回しよく斧やショットガンをそろえて立てこもり、葬儀屋の女主人ティルダ・スウィントンはスタイリッシュに日本刀でざくざく斬りまくって、皆さん手慣れすぎではないのか。常識人な警官ビル・マーレイが終始困惑気味なのも地味に笑えてくる。

 このままパニックでクライマックスに向かうかと思いきや、登場からずっと違和感の塊だったティルダ・スウィントンが、



<重大なネタバレ>



画像1

画像2

画像3

 なんだこれ……。(一緒に宇宙に飛ばされる)
 なん……なに……?どういう……?はい……???

 個人的に「ぽかーん映画」と名付けている種類の映画がありまして。クライマックスが脈絡も伏線もなく唐突だったり、それまでの話運びを台無しにするような最後だったり呆気に取られたり困惑させられたりするような作品のことなのですが、自分的三大「ぽかーん映画」は『貞〇VS伽椰〇』と『アイ〇ノット〇リアルキラー』『クリ〇ゾン・〇ーク』です。それを思い出します。
 ティルダさんのこれも、事前に明確な伏線はなく(もちろんふつうの人間ではないらしい描写はあるが)、そのあとの展開になにも、まったく特になにも影響はない。いや、ビルマーレイの自暴自棄な蛮勇を奮い起こすのには意味があったのか……?

 観終わって困惑のまま映画館を出て、マスクをしたひとたちが行きかう明るい昼間の家路を呆然とたどるうち、じわじわとおかしさがこみ上げてきた。
 ゾンビ映画は風刺ジャンルでもあるというが、デッド・ドント・ダイでのゾンビが「Wi-Fi」「スマホ」などとつぶやきながら徘徊する様を見ると、つながることや物質に固執する現代を皮肉っているのかもしれない……という感想は置いといて、ゾンビコメディとして楽しく、憂鬱を忘れさせてくれる一時をもらえた。

 どうかひとりでも多くのひとに観てほしい。あの宇宙に飛ばされるような困惑の気持ちを共有してほしい。
 いい非日常だったなあ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?