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“駅伝”に出会ったあの日から

朝6時、つい先日までどんよりとした雲が広がっていた空はどこまでも青色が広がっている綺麗な空に変わっていた。5時に起きた時には既に近くの森でセミが鳴いている音が聞こえて、空気も梅雨から夏に変わりつつある。

今年は新型コロナウイルスの影響、自分自身も2ヶ月以上体調を崩し、ランニングに熱を傾けることが難しかったが、この頃なんとかかんとか走れるようになってきた。

2月の中旬に東京マラソンを走れないことが決まり、仙台に戻ってきてから東北みやぎ復興マラソンも中止が決まって今年はフルマラソンに臨むことができなくなった。今年こそは初マラソンを……と少しばかり期待をしていたが、どうやら人生初のマラソンは来年以降に持ち越しになりそうなので、今年も引き続きトラック&5km〜10kmでスピードをつけていきたい。とはいっても、この体調で本当にレースに出られるようになるのだろうか……と不安だった。

数少ない「輝ける場」

いっそのこと走ることを止めたら楽だろうか…とも思ったし、レースに出る生活から身を引こうかとも思ったけど、走らない自分に気持ち悪くなってしまうし「まだこの程度で止められない」と身体が疼く。

埼玉にいる友人に高校時代のベストタイム、今のベストタイム、性格、境遇、趣味etc. とにかく似ている人がいる。誕生日も生まれ年こそ違えど、9月27日(僕)と3月27日(彼)で半年違い。あ、3月にやったLast 1K TTではコンマ何秒かで競った。

彼が「僕が走る理由」というnoteに書いた文章では、部活に入って取り組んでいるわけでもないけど自分が走る理由が記されている。彼の置かれた環境が大変なこと、そんな環境でも陸上競技に向き合っているからこその想いが伝わってくる。

そもそも、僕は新聞奨学生というものをしていて、配達、大学を両立しながら競技をしている。周りの人にはよく「なんでそんなに大変なのに陸上を続けているのか分からない」と言われる。確かに、普通に考えたらクレイジーだし、わざわざ辛いことをプラスするなんてありえないはずだ
でも、僕は走る(「僕が走る理由」|だーぴよ)

彼はnoteのなかで“数少ない「輝ける場」だから”と結論づけている。なぜ彼のnoteの話を急にしはじめたのかというと、彼と僕の走る理由は似てる気がする。

10years

そもそも僕が陸上長距離をやることになったのはちょうど10年前のこと。2010年7月24日だった。

当時、中学3年生だった僕は片田舎の中学校に通っていて、陸上部がない学校だったので陸上大会や駅伝大会の季節になると各部活から陸上競技ができそうな人たちが選抜されるという仕組みだった。

長距離をやることになる1ヶ月前、陸上大会に出た僕は400mを走ったら運良く県大会に行けることになった。しかし、今ならシューズで走っても勝てる……と思うほどのタイムだったため県大会では敢なく撃沈。僕はこの1レースだけのために県大会に足を運んだので、同じく県大会出場を決めていたリレーメンバーたちの補佐のような役割に時間を費やした。

県大会最終日「ああ、これで終わったなあ。夏休み、そして受験勉強だ。」と思いながら特設陸上部を担当していた担任と一緒に学校に帰ってくると、突然「木幡、駅伝もやるよな?」と声をかけられた。

一瞬この人は何を言ってるんだ…と思ったが、どこかで面白そうじゃん……と思う自分もいて「うーん…やります。」と答えた。

僕が陸上長距離に取り組むことになるきっかけだった。

人生においてこの出会いがなくてもマラソンをやることはあったかもしれないけど、これがなければ陸上長距離に取り組もうとは思わなかっただろうし、駅伝にこんなにもハマることはなかったと思う。

唯一“夢中”になれる時間だったから

2013年春〜2017年春の4年3ヶ月くらいはまともに走ってなかったが、もう一度走ってみようかなと思えたのはやりたいことのなかった僕にとって「唯一夢中になれる時間」だったからだ。

サクちゃんさんの『世界は「夢組」と「叶え組」でできている』というnoteにも書いてあるけど、僕自身はあまり物事に夢中になれる人ではないと思う。どちらかというと夢中になっている人に共感する側の人だ。

夢中になる能力がある「やりたいことがある人」を「夢組」だとしたら、やりたいことがない人は「叶え組」だ。

だからこそ、走ることは自分が愛を注げる唯一の物事だ。自分が“生きてる”って実感できる瞬間なんだ。

以前走らないランニング会でもプレゼンしていただいた堀さんがnoteに“習慣とは何か”という内容のことを書いていたけど、このnoteに書いてあることから言えば、僕にとって走ることは諦めるとか続けるとかそういう次元ではなく、明らかに習慣なのだ。

2017年にもう一度走り出して、翌年には高校時代に出せなかった16分台を出した。2019年にはOTTで自己ベスト、自分が走るだけではなくRuntripでのインターンも経験した。

僕がランナーじゃなかったら出会えなかったことはどれだけあるのだろう。

自分だけのストーリーを紡ぎたい

中学、高校で陸上をやっていた時は単純に速くなりたいという気持ちしかなかったけど、今僕が走る理由は「自分だけのストーリーを紡ぐ」ことだ。

こういうと大そうなことを言っているように感じてしまうけど、自分自身が走り続けて見えるもの、感じたことを言葉として紡いでいきたい。そして、その先に何があるのかを見てみたい。

2020年、どう走る?

最後に、今年のシーズンをどう走りたいかを記す。

正直なところ今の体調がどこまで続くか未知数だし、社会情勢によっては大会がなくなる可能性もあるので本当に達成できるかは分からない。でも、理想を口にしなければ実現もできない。

今年の目標は2つある。

1. 5000m 15分台
2. 地元宮城のマラソン大会(5km)で1位になる

一つは昨年できなかった5000mの15分台突入。今の自己ベストが16分40秒19なので、40秒の壁は大きいけど、どうせ走るなら頑張って挑戦してみたい。

もう一つは宮城県内のマラソン大会(5km)で1位になること。これまでロードで3位、2位と表彰台に乗った経験はあるが、1位は未経験。先頭集団で走るではなく、先頭でゴールテープを切る経験を味ってみたいな…と思う。

トラックシーズンの終わりまで残り4ヶ月と少し。僕はどこまでいけるだろう。

朝7時、ジョグと流しを終えるとすっかり太陽が上がって、滝のような汗が流れていた。10年前の夏休みを思い出させる朝だった。

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