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公園の野球少年たち

ある日の夕方、散歩がてら本を片手に近所の公園へ行った。

すべり台やブランコ、鉄棒といった遊具とちょっとした広場があるその公園には、学校から帰ってきた子どもたちがたくさん遊んでいる。

僕は広場の片隅にあるベンチに腰を下ろし、本を読み始める。目の前では男の子がふたり、野球をしていた。片方がピッチャーをやって、片方がバッター。守備をしてくれる野手はいないので、打たれるとピッチャーをやっていた子が延々ボールを追いかけていく。

攻守交代すると、どうやらバッターになった子は打つのが上手くないらしい。さっきバッターをやっていた子に比べるとあまり打ち方が上手ではない。ピッチャーの子も手加減している。

そんな子の姿を見ていて、自分の小学生時代を思い出した。

僕が野球のルールを理解したのは小学5年生のことだった。それまでは野球というスポーツがあることは知っていても、縁遠いインドア少年だった。近所のお兄ちゃんと無理やり野球をすることになったときも、ピッチャーとバッターが対決するということは辛うじて分かったが、バットにボールが当たったとて次にどうすればいいか分からなかった。「走るんだよ!」と言われても、どっちに走ればいいかすら知らなかった。

そんな野球の「や」の字も知らない僕が野球をするようになったきっかけは『クラス替え』だった。僕の通っていた小学校では3年生、5年生でクラス替えがあった。5年生に上がると、絵に描いたようなやんちゃな子たちばかりが同じクラスになり、最初は仕方なく一緒に遊ぶようになった。

本当は興味のなかった野球も一緒にやった。はじめのうちはフライだとアウトになることすら知らず、一塁ランナーの時、打ったからと二塁に進んでダブルプレーということもあった。それなのにフライを捕球した瞬間に進塁していい「タッチアップ」というルールがあるなど、野球は難しい…と憤慨した。

けれども、どういうわけか次第にルールを覚えていくと面白みを感じた。祖父や父親が元々野球が好きだったこともあり休日はキャッチボールをしたり、地元のプロ野球チームである東北楽天の試合を観るようになった。

興味の無かった頃はテレビ中継を観ても「つまらない。チャンネル変えようよ。」としか思わなかったのに、気づけば「野球大好き少年」に変貌していた。

自分は凝り性というか、オタク気質なのだ。好きになったものはとことん調べたり極めようとしてしまう。小学6年生の時は東北楽天の結果を全試合追っていたし、シーズン終了後は秋季キャンプを観にいきたいと親にせがんだ。

陸上競技や駅伝もそうだ。

祖父は駅伝・マラソンシーズンになるとよくテレビ中継を観ていた。小学生の頃はよくこんな走ってるだけの映像をずっと観ていられるなと思った(箱根駅伝に至っては6時間弱である)が、自分が駅伝を走ったのをきっかけにどハマり。今になってみれば自分が一番観ている。

毎年、正月に母親が起きてくるなり「またマラソンやってるのね。」と言うと「駅伝だよ。」と訂正している。

最近でいうと鬼滅の刃もそうだ。周りが話しているのを聞いてたうちは「へえ、話題なのね。」くらいにしか思わなかったけど、ある時amazon primeで1話観たら止められずに26話まで一気に観てしまった。

自分はなんてチョロいのか。

振り返ってみると、案外とハマるものなんて自分の中ではなく外にあるのかもしれない。意固地になって見ようとしていないだけで、実は自分にもこれからハマるものがあるのかも…と思う。

公園で見かけた野球少年たちの姿から、だいぶ話が遠ざかってしまったけど、楽しそうにボールを打って駆け回ってる子どもたちの姿に自分の昔を思い出した。

良い当たりの打球が公園の奥の方に飛んでいく。ピッチャーの子もバッターの子も勢いよく走る。ああ、打てると気持ちいいよな。

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