「よいものをつくりたいじゃないか」と思った2023年
2023年も残りわずか。今年は12月28日の最終営業日とともに自宅で休みを迎えて落ち着いた年末を過ごしています。
昨日、学生時代からの友人と会うために東京駅の近くへ行ったのですが、人々が集まる光景は変わらないはずなのにそこに流れる空気や景色の色合いに“年末”とはこれかと感じ入る瞬間がありました。
それは多くの人が家族やパートナーと共にスーツケースをガラガラと転がしながら地方へ帰省しようとする姿かもしれないし、休みに入った人々の朗らかな表情かもしれない。はたまた、12月の澄みきった晴れの空から街へ降り注ぐ日差しの色かもしれない。
上京してから過去2年、年末の街に脇目も振らず仕事をしていた僕はいつもの忙しない街とちょっぴり違った顔を垣間見たのでした。
さて、2023年。今年は個人としても変化の多い年で、夏に1ヶ月ほど適応障害になって仕事を休んでいたこともあり2ヶ月分くらいの記憶がほぼ欠落しています。正確にいえば一応記憶はあるのですが、思い出されるのは、そこだけいくらページを捲っても文字が書かれず白紙が続く本のような情景なのです。
そんなこともあり時間軸が“ぐにゃり”と歪んで見える2023年。駒澤大学が学生駅伝三冠を達成し箱根駅伝を名実共に賑わせてきた大八木監督(当時)が退任を発表した1月3日も、辛さから逃げるように7月14日の夜観にいった宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』も、あれはまだ今年なのか……と不思議な面持ちです。
ぐにゃりと歪んで見えるからこそ、1年を振り返り自分がどう変化したのか。棚卸しをするために、どんなことを思ったのか振り返っていきます。
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自分が立ち続ける場所を考えた夏
記憶にぽっかりと穴が空いた今年の夏。何もかも辛くて、どうしたらいいのか分からず、ギリギリ残された判断力で向かったのは心療内科。
「適応障害ですね」
医師が放ったその4文字は一瞬の間を置いて自分の身体へ入ってきた。辛いと思ったから足を運んだのに、いざ本当にその言葉を受けるとどうしたらいいのか分からない。人々が行き交い、雑音にまみれた都会のなか、ただぼんやりと帰路についた。
詳しくは書かないけれど社会人になってからの2年半、自分はずっと課せられた役割に自身の像がフィットするよう走り続けた。本当は苦手だ、と思ってもその本音を言えずに周囲の言葉に合わせるように進み、そのなかで結果を出そうとした。
そうして強くなる人も世の中にはいる。けれども、自分はそうなる前にポキっと心が折れてしまった。強くはなれなかった。
20代後半を迎え、2年後には30歳になる。「これから自分の行く末はどこにしたいのだろう」と立ち止まって考えた。今だから言えるが、真剣に転職も考えた。
そんなとき、自宅に並ぶいくつかの本を再読して当時の自分の琴線に触れたのが塩谷舞さんのエッセイ『ここじゃない世界に行きたかった』。詳しくはこのnoteに書いているが、本を開くと塩谷さんが適応障害になったときのエピソードが目に入り、自分の見た光景と重なった。
すべての仕事を自分の感性に合わせることはできないかもしれないが、自分が立ち続けられる場所を選びたい。エッセイを読み進めながら、確かに思ったのだった。
「よいものをつくりたい」のだと噛み締めた今年
復帰後、自分は文章を書く(あるいは編集の)仕事が中心になった。Runtrip Magazineの編集・取材・執筆、ラントリップのメールマガジン全般の担当などなど。
地方での取材、大学駅伝の選手たちへのインタビュー、記事執筆など、やりながら「ここに辿り着きたかったんだ」と思う場面がいくつもあった。オードリー・若林さんが星野源さんと対話した番組『LIGHTHOUSE』で「オールナイトニッポンのジングルを収録するためにスタジオへ向かった日、今ワクワクしてると感じた」と振り返っていたが、そんな気持ちが自分にはわかる気がした。
秋からRuntrip Magazineにジョインしたライターの方と話したときに「木幡さんは稀有な存在だと思いますよ」とフィードバックを受けた。その方曰く「PVを追い求めるメディアが多いなかで、良質な文章を届けたいと想いを秘めている人は貴重な存在だ」という。
正直なところ、自分が視線を向けてきたのは素敵な文章を書く方や良質な記事を届けたいと熱意を燃やす編集者の方ばかりだったので、まさか自分が貴重な存在だと思いもしなかった。それどころか、自分は他の大きなメディアや新聞、出版社に勤めた経験がなく、「ライターや編集者と名乗っていいのだろうか」と思うほど、物書きに軸足を置くことへの恐れ多さを持っている。
一方で、自分が仕事で文章と向き合うとき「絶対にいい文章を届けたい」と思っている。それは自分が書くときだけでなく、ほかのライターが執筆した文章を編集したときでも。
あらゆるコンテンツに溢れる2023年、動画に比べたら文章など地味な存在かもしれないが、「静かに佇む文字だからこそ伝えられる手触りと暖かみがあるのではないか」と思う。ランニングの文脈で、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』が多くのランナーから共感を得るように、文章だからこそ伝わる温度感は確かにあると思う。
「稀有だと思う」と伝えてくれたその方には、嬉しさを感じたのち「よいものをつくりたいじゃないですか」と返答した。
そろそろ胸を張ってもいいのかもしれない
特に2023年のラスト3ヶ月は色々な記事をRuntrip Magazineから出すことができた。
その一部としては、Runtrip Storeで制作するオリジナルアイテム『Runtripオリジナルジャケット』の制作に携わるスタッフへのインタビュー。
靴下の生産量が日本一を誇る靴下のまちから誕生したランニングソックスブランド『OLENO』へのインタビュー記事の取材・執筆。
日本を代表するマラソンランナー・大迫傑選手の会見を取材したコラム記事の執筆。
編集を担当した記事でいえば、テレビ朝日の『激レアさん』にも取り上げられ、65歳以上女性のカテゴリーでマラソン世界記録を持つ弓削田眞里子さんへのインタビュー記事。
また、初マラソンへチャレンジしたメンバーたちの姿を追ったこちらの記事も編集するなかで「この言葉をランナーへ届けたい」と想いが湧き上がった文章だった。
こうして振り返ってみてはじめて、今年は思っていた以上に様々な文章を書いて、記事を出したのだと少し驚く。
“「ライターや編集者と名乗っていいのだろうか」と思う”と前述したが、そろそろ胸を張って『編集者』だと言えるようになっていきたい。
それは、自分のためというよりも(もちろんそれもあるけれど)、チームに関わってもらうライターの方々に「この人へ自分の書く文章を預けたい」と信頼を寄せてもらうために。
わずかながら自分がこれまで本業以外で執筆したときに、どの編集者の方にも「この人に自分の文章を預けてよかった」と感じる経験をしてきたからこそ、切実にそう思う。
良い記事をランニングを楽しむ人々へ届けていくために。もっと突っ込んだことを書けば、本当にどうしてしまったんだと日々思えてくる絶望に溢れたこの世の中でほんのひとときでも“灯台”となれるような文章を届けるために。
次の1年に向けて、年末、静かに思いを巡らせている。
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