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現実は映画よりもドラマティックに

三度目のワクチン接種、モデルナ×3の副反応がしっかり目に出てしまい、仕事復帰後のリハーサルは局地的にリハビリの様相。
今週は何をやっても疲労感がうまく抜けてくれなくて、家のソファーは僕にとっての充電器みたいなもの。
飛び込んだのちに、しばらく横たわり、早くお風呂に入ってご飯を食べてベッドで寝ればいいのに、と頭でわかってはいるけれど、身体は言うことを聞かず。ぼんやりと家でテレビを眺めているうちに、時間が過ぎていく。

ただでさえウイルスに翻弄されていたところに、
地球の遠く離れた地で銃声が鳴り響いている。さらなる局面へ一触即発。
交渉の席で向かい合って話す場面にも、一切の洒落が通用しなそうな張り詰めた空気が画面越しにでも伝わってくる。

事実は小説よりも奇なり、だし、
現実は映画よりもドラマティックだ。

この後、世界ってどうなるんだろう。
リアルタイムのリアル過ぎる映像に息を呑む。
人間が忘れる生き物であることと、学習する生き物であること、の境目に股を広げて立っていて、ズゴゴゴと地面が揺らいでいる。そんな風に感じている。
悲劇を繰り返してはいけない、と心にズシンと重くのしかかってくる一方で、

それでも、数分後にチャンネルを変えればお笑いの番組で、腹を抱えて笑ってしまう自分が居て、そんな自分を上手く説明出来ないし、理解もできないけれど、納得は出来てしまう。大会近いもんな。

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冷たい空気のほうが、音が遠くまで透き通って届いていく感覚がある。
事前の対談の流れもあって、イベントの頭から外で音を聴いた時に、
高いビルに囲まれた3月の日比谷の街中で、ある程度音量の制限はあるはずなのに、心地よく音が鳴り響くのを感じていた。
(代償として、寒過ぎてギターを弾く指の感覚とかほぼ無いんですけどね)

無邪気に音楽を鳴らせることにとても幸せを感じる。
こうした時期に集まってくれる観客や(ましてやあんな寒空の中)、
イベントを開催し、誘ってくれる仲間がいることにとても救われている。
尊い、という言葉が大袈裟ではなく似合うし、この瞬間を守りたいと切に思う。

もしものことが起きた時、結局のところ、家族であったり、友人、仲間であったり、大切な人や物、自分にとっては音楽やライブもそう、
手の届く範囲を、どうしたらしっかりと守れるか、みたいなことを考える。
守る、ということが具体的にどんな手段や方法であるかを含めて。

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丁寧に生きていくしかないなと思うし、強くならなきゃなと思う。
強さって何だ?
そんなことを考えながら、一つ一つのステージを、自分のできることを精一杯やらなきゃな、という気持ち。
そうすることによって、ようやく想像力でどこか世界と繋がれる部分がある。
僕は僕のドラマを、
僕らは僕らのドラマを、
悲劇で終わらせるつもりはないし、解けぬように喜劇で結びたい。

BIGMAMAが一年で一番頑張る日。
今年も母の日、ライブハウスでお待ちしております。
第一部:チケットはこちらから
第二部:チケットはこちらから

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それぞれにペアを変えてまわる新しいタイプのインストアライブツアー(要練習)

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その中でも大阪だけは、より攻めた内容で(攻めるとは?)

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その他もなんやかんや、やれることはやるスタンス。


<セルフライブレポやセットリストの解説などはこちら>



褒められても、貶されても、どのみち良く伸びるタイプです。