窓際のセンチメンタル
学生時代が恋しくなる思い出のひとつに、"席替え"がある。
あのドキドキは他の何にも代えがたい。どこの席になるんだろう。誰の隣になるんだろう。あの子の隣になる確率は。学期の始まりには間違いなくソワソワしながら学校に向かっていた。
当時の僕は、視力がかなり悪いにも関わらず、メガネboys&girlsの特別ルールが適用され前方に飛ばされることを嫌い、コンタクトレンズに出会うまでの間、視力検査の答えをほぼ丸暗記することによって、目がよく見える人して過ごしていた。
始業式が終わり、クラスで最初のホームルームが始まる。
くじ引きなのか、それとも男女ご対面方式なのか。その方法、昨今のトレンドも気になるところ(教えて現役の人)。担任の先生ごとにその手法は異なり、様々ではあるが、今回の担任の先生は生徒たちにこう呼びかけた。
誰もいない空っぽの教室で、好きに座席を選んでください。あなたはどこの座席に座りますか?
<この場合教壇をステージに見立てて、先生側から見て、左側の上手を廊下側、右側の下手を窓側としましょう>
生徒たちは各々想い想いの自分の理想とする座席を書き込んで先生に提出した。その概要は以下の通りである。
大方の予想通り、圧倒的に窓際大人気。
そう、みんな端っこが大好き。動物の防衛本能もあるでしょう。いつ、どの座席から消しゴムや鉛筆が飛んでくるかもわからないし、教卓から黒板消しが飛んでくるやも知れない。壁に身を委ねることによって、ひとつ、その可能性が削がれるわけで、だいぶ安心なのである(良く眠れます)。
電車の座席や、男性トイレの小さい方でも、端から埋まっていくのもきっとこの理屈。
そして、廊下側でなく窓側の理由。廊下側にも一刻も早く帰れる、という利点があるにも関わらず圧倒的に窓側をご指名なのである。そもそもの景色の良さや、よそのクラスの体育の授業が観れる、というエンタメの要素の加点もあるでしょう。陽の光を浴びた方が植物も良く育つよね。
ただ、その座席に座れるのはいつでもたった1人。
今回も壮絶なサバイバルじゃんけんが繰り広げられた結果(この段階で競合を避け単独指名に成功した人は漏れなく勝ち組だ。きっとこれからも人生うまく立ち回るに違いない。)、
窓側最後尾の一等地を死守することに成功し、ぼんやり外を眺めながらその余韻に浸っていた。
だが、時は経ち、大人になった今、正直、窓際の方がきつい。
大人の世界の席替えは、子供のそれとは多少意味が異なる。ドキドキやワクワクよりも、キリキリと胃をかきむしるようなアプローチ。会社の業務のメインストリームから外され、重要でない場所に追いやられた窓際族の運命やいかに。
子供の頃にあんなに憧れていた窓際は、大人になるとちょっと気まずいのである。
時に奇跡も起きる。
次第に決まっていく席順。教室の中で一度、歓声が沸いた。
先生の趣旨を計り損ねたのか、はたまたそれを凌駕したのか、素直なままに好きな人の席の隣、と書いた1人の生徒。放任主義の新担任は、それぞれの一巡目の座席の氏名が終わった後、そう書いた生徒に自由に席を選ばせたところ、その生徒は颯爽と自分の望む席に座り、隣に向かって微笑んで見せたのだった。
あとがきのようなもの
大人になって改めて思うのが、ドキドキする、ということが、年々、何よりの宝物のように思えるということ。子供の頃は誰かにその機会を用意してもらえたり、自然と待ち受けているそのドキドキチャンスが、ついぞ大人になると、ほぼ自給自足なのである。
どれだけ自分をドキドキする場面に連れていくことが出来るのか、
もしくは誰かをドキドキさせられた時に、その対価のように受け取る以外、
日々をなんとなく受け身で過ごしているだけでは、なかなか巡り合うことができなくなってしまうような。
心はきちんと動かしておかないと。
挑戦のない人生はちょっと退屈だ。
別にどこか遠くに行け、旅に出ろ、とかなるべく趣味を作れ、とかそういうことが言いたいのではなくて、ほんの些細なことでも、どうしたら感動の感度を錆びつかせないまま、いられるんだろう、豊かな人生、時間って、たぶんそんなところにヒントがあるのかもしれないよね。なんて話。
※スーパーのカゴで遊んではいけません
今週もお疲れ様でした。ではまた来週(書けるのか)!
BIGMAMA 金井政人
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