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米国屈指のベンチャーキャピタリストが謳うテクノ楽観主義を読み解く

はじめに

Partners Fund中村です。1か月弱前に米国屈指のVCであるAndreessen HorowitzのAndreessen氏が一つの投稿をしました。そのタイトルは「テクノ・オプティミスト・マニフェスト」。記されているのは、この時代においてテクノロジーの進歩を称賛し、人がどうテクノロジーと向き合うべきかという信念。賛否両論あると思います。ですが、一つ言えるのはAndreessen氏は考え抜いてこの信念に辿り着いたということと、それが疑いの余地のない輝かしい多くの業績(とその裏にあった苦悩)に裏打ちされているということ。

文章は長く、教養の厚みが凄すぎて難解なところもあるので、今回解説付きの翻訳文を作成してみました。プロフェッショナルとして、どう思想的なポジションをとるか一つに参考になれば幸いです。

本文:テクノ・オプティミスト・マニフェスト

(前書き、あとがきは割愛。解説は各章の最後に)

私たちは嘘をつかれている。

テクノロジーは私たちの仕事を奪い、賃金を下げ、不平等を拡大し、健康を脅かし、環境を破壊し、社会を劣化させ、子供たちを堕落させ、人間性を損ない、未来を脅かし、すべてを破滅させる寸前に常にあると言われている。

私たちはテクノロジーに対して怒り、恨み、憤慨するように言われている。
悲観的になれと言われている。

プロメテウスの神話は、フランケンシュタイン、オッペンハイマー、ターミネーターなど、さまざまな形に刷新されて、私たちの悪夢に出現する。

私たちは生まれながらの権利を否定するように言われている - 知能、自然を統べる力、より良い世界を築く能力を否定するように言われている。

未来に対して惨めになれと言われている。

[解説]
プロメテウスの神話:
ギリシャ神話。プロメテウスという巨人の男神がゼウスの反対を押し切り天界の火を盗んで人類に与えるが、怒ったゼウスはパンドラの箱を作り人間界に送った結果、病気、憎しみなどあらゆる苦悩が世界に満ちたとされる。人類には過ぎたテクノロジーが世界に苦難をもたらす最古の話のひとつ。

真実

文明はテクノロジーの上に築かれた。

文明はテクノロジーの上に築かれている。

テクノロジーは人間の野心と功業の栄光であり、進歩の先鋒であり、潜在能力の実現である。

何百年もの間、私たちはこのことを正しく賛美してきた...最近までは。

私は朗報を伝えるためにここにいる。

私たちは、はるかに優れた生き方、存在へと前進することができる。

私たちには道具があり、システムがあり、アイデアがある。

私たちには意志がある。

今こそ、もう一度、テクノロジーの旗を掲げる時だ。

テクノ・オプティミストになる時が来たのだ。

テクノロジー

テクノ・オプティミストは、社会の在り方はサメの生き様と同じで、成長するか死ぬかのどちらかだと信じている。

私たちは、成長とは進歩であり、活力、生活の拡張、知識の増加、より高い幸福につながると信じている。

私たちは、Paul Collierの「経済成長は万能薬ではないが、成長の欠如は全てに死をもたらす」という言葉に同意する。

私たちは、良いことはすべて成長の下流にあると信じている。

成長しないことは停滞であり、ゼロサム思考、内部抗争、劣化、崩壊、そして最終的には死につながると考えている。

成長の源泉は3つしかない:人口増加、天然資源の利用、テクノロジーである。

先進国社会では、文化の違いを超えて世界中で過疎化が進んでおり、人類の総人口ですら既に減少し始めているかもしれない。

国家資源の利用には、現実的にも政治的にも、明確な限界がある。

そのため、唯一の永続的な成長源はテクノロジーなのである。

実際、テクノロジー(新しい知識、新しい道具、ギリシア人がtechneと呼んだもの)は常に成長の主要な源であってきたし、おそらく唯一の原因であった。それは、人口増加と天然資源の利用はテクノロジーによって可能になったからである。

私たちは、テクノロジーとは世界に対する「てこ」であり、より少ないものでより多くを生み出す手段であると考えている。

経済学者は技術進歩を生産性の向上として測定する: より少ないインプット、より少ない原材料で、毎年どれだけ多くの生産ができるかということである。テクノロジーの力による生産性の向上は、経済成長、賃金上昇、新産業と新規雇用の創出の主な原動力である。人と資本は常に過去より重要で、価値のある活動につけるよう解放され続ける。生産性の向上は、物価の下落、供給の増加、需要の拡大をもたらし、国民全体の物質的豊かさを向上させる。

私たちは、これが私たちの文明の物質的発展の物語であると信じている。これがあったからこそ、私たちはボロ小屋に住み、貧弱な生活をしのぎ、自然に殺されるのを待っている生き方から解放された。

これがあるからこそ、私たちの子孫は星々に住むことができると信じている。

私たちは、自然が作り出したものであれ、テクノロジーが作り出したものであれ、より多くのテクノロジーで解決できない物質的な問題は存在しないと信じている。

飢餓の問題があったから、「緑の革命」を発明した。

暗闇の問題があったから、電気照明を発明した。

寒さの問題があったから、室内暖房を発明した。

暑さの問題があったから、エアコンを発明した。

孤立の問題があったから、インターネットを発明した。

パンデミックの問題があったから、ワクチンを発明した。

貧困の問題があったから、豊かさを生み出すテクノロジーを発明した。

現実世界の問題を与えられれば、それを解決するテクノロジーを発明することができる。

[解説]
Paul Collier(ポール・コリアー):
イギリスの経済学者。Oxford大学教授。本文に記された言葉は2007年に出版された『The Bottom Billion(邦題:最底辺の10億人)』から引用。
緑の革命:
20世紀半ばに主に発展途上国においてトウモロコシや小麦、稲などの穀類の生産性向上を目指して行われた品種改良などの農業技術革新。緑の革命が本格的に始まったのは、1962年フィリピンの国際イネ研究所の活動からともいわれるらしい。

市場

私たちは、自由市場が技術経済を組織する最も効果的な方法であると確信する。意欲的な買い手と意欲的な売り手が出会い、価格が取り決められ、双方が交換から利益を得るか、あるいは交換が成立しないかである。利益は、需要を満たす供給を生み出すインセンティブとなる。価格は需要と供給に関する情報を内包する。市場は、価格を引き下げることによって新たな富を創造する機会のシグナルとして、「高価格」を起業家に探し求めさせる。

私たちは、市場経済が一種の発見機械であり、知能の一形態、すなわち探索的、進化的、適応的なシステムであると考えている。

Hayekの「知識問題」は、中央集権的な経済システムを圧倒すると信じている。実際の情報はすべて市場の端にあり、買い手に最も近い人々の手にある。買い手からも売り手からも抽象化された中央は、市場について何も知らない。中央集権的な計画は失敗する運命にある。生産と消費のシステムは複雑すぎるのだ。分散的な市場はこの複雑性を人のために役立てる。中央集権は人を餓死させる。

私たちは市場の規律を信じている。市場は自然に規律を守る。買い手が現れなかった場合、売り手は学習して変更するか、市場から退場する。市場規律がない場合、物事は際限なく狂い得る。独占企業やカルテル、市場規律に従わない中央集権的機関のモットーはこうだ: 「我々は気にしない、気にする必要がないからだ」。市場は独占やカルテルを防ぐ。

私たちは自由市場が人々を貧困から救い上げることを信じている。実際、自由市場は膨大な数の人々を貧困から救う最も効果的な方法であり、これまでもそうだった。全体主義的な体制下であっても、民衆の首を絞める抑圧的な規制の首輪を少し緩め、民衆の生産・取引能力を高めることで、所得と生活水準は急速に向上する。抑圧的な首輪をもう少し緩めれば、さらに良くなる。首輪を完全に外した時、人々がどれだけ豊かになれるだろうか。

私たちは、自由市場は本来、優れた集団的成果を達成するための個人主義的な方法だと信じている。

私たちは、自由市場が機能するために人間が完璧である必要はなく、善意を持つ必要すらないと考えている。これは歓迎すべき事実である。なぜなら、人に会ったことがあるだろうか?Adam Smith曰く、「私たちが夕食を期待するのは、肉屋や醸造業者やパン屋の善意からではなく、彼ら自身の私利私欲からである。われわれは、彼らの人情ではなく、自己愛に訴えかけるのであり、私たち自身のニーズを語るのでなく、彼らへの利点を語るのである。」

David Friedmanは、人が他人のために何かをするのは、愛、金、力の3つの理由によるものだと指摘する。愛はスケールしないから、経済は金か力でしか動かせない。力による実験(全体主義)はすでに行われ、失敗に終わっている。お金で動かしていこう。

自由市場の究極的な道徳的意義は、市場がなければ軍隊を起こしたり宗教を始めたりするような人々を、平和的な生産活動の追求に向かわせることだと信じている。

Nicholas Sternの言葉を借りれば、市場とは、人が知らない他人の面倒を見るための手段なのだ。

基礎研究、社会福祉制度、国防など、私たちが投資したいと思う全てのもののために社会の富を蓄積する方法が自由市場であると私たちは信じている。
資本主義の利益と、社会的弱者を保護する社会福祉制度との間に矛盾はないと信じている。むしろ、両者は一致している。市場の生産が経済的な富を生み出し、それが私たちが社会として望む他のすべてへの投資につながるのである。

私たちは、中央集権による計画経済は最悪な人たちを昇進させ、すべての人を引きずり下ろすと信じている。自由市場は最良な人たちを全ての人のために役立てる。

中央計画は破滅のループであり、自由市場は上昇スパイラルである。

経済学者William Nordhausは、テクノロジーの創造者はそのテクノロジーによって生み出される経済価値の2%程度しか獲得できないことを示している。残りの98%は、経済学者が社会的余剰と呼ぶ形で社会に流れ込む。市場システムにおける技術革新は、50:1の割合で本質的に博愛的なのである。新テクノロジーからより多くの価値を得るのは、それを作った一企業なのか、それともそれを使って生活を向上させる何百万、何十億もの人々なのか?QED。

私たちは、David Ricardoの比較優位の概念を信じている。競争優位性とは異なり、比較優位性は、世界で一番何でもできる人でも、機会費用を考慮するとほとんどのものを他の人から買うとする。適切な自由市場下における比較優位は、技術水準に関係なく高い雇用を保証する。

市場は、労働者の限界生産性の関数として賃金を設定すると考える。したがって、生産性を向上させるテクノロジーは、賃金を押し上げるのであって、引き下げるものではない。これはおそらく経済学の中で最も直感に反する考え方だが、真実であり、300年の歴史がそれを証明している。

私たちは、人間の欲求は無限であるというMilton Friedmanの見解を信じている。

市場はまた、人々が生産的に従事できる仕事を生み出すことで、社会の幸福度を高めると信じている。ユニバーサル・ベーシック・インカムは、人々を国家に飼育される動物園の動物に変えてしまうと私たちは信じている。人間は飼育されるため生まれてくるのではない。役に立ち、生産的であり、誇りを持つために生まれてくるのだ。

私たちは、技術革新は人間の仕事の必要性を減らすどころか、人間が生産的にできることの範囲を広げることによって、必要性を増大させると信じている。

人間の欲求は無限であるからこそ、経済需要も無限であり、雇用の拡大が永遠に続くと信じている。

私たちは、市場とは搾取的なものではなく生成的なものであると信じている。ゼロ・サムではなくポジティブ・サムであると信じている。市場の参加者は、互いの仕事と成果の上に更なる仕事と成果を作り上げる。James Carseは、有限のゲームと無限のゲームについてこう述べている:有限のゲームには終わりがあり、ある人が勝ち、別の人が負ける。無限のゲームに終わりはない。プレイヤーたちは協力し合い、ゲームの中で可能なことを発見していくのだ。自由市場は究極の無限ゲームなのだ。

[解説]
Hayek(フリードリヒ・ハイエク):
20世紀前半に活躍したオーストリアの経済学者・政治哲学者。
Hayekの知識問題:
合理的な経済秩序をHayekは知識の問題として捉えた。計画経済の限界は、合理的な経済判断というのは場所や時に左右されるが、そういった現場の情報を中央集権的にすべて吸い上げることが現実的に不可能であるということ。もう一方で市場経済における「価格」は、場所と時間で分散している情報を伝達し、合理性を意図せずもたらす。
この知識問題を詳細に語る"The Use of Knowledge in Society"は私が大学で読んだ論文で一番印象に残っていると言って過言ではない(未だにメモつきのハードコピーが家に残っている)。是非一読してほしい。

David Friedman(デイヴィッド・フリードマン):アメリカの経済学者。シカゴ学派経済学者として有名なMilton Friedman(ミルトン・フリードマン)の息子。
Nicholas Stern(ニコラス・スターン):
イギリスの経済学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。
William Nordhaus(ウィリアム・ノードハウス):
アメリカの経済学者。イェール大学教授。
David Ricardo(デヴィッド・リカード):イギリスの経済学者
比較優位:自由貿易においては、経済主体が自身の最も優位な分野(より機会費用の少ない、自身の利益・収益性を最大化できる財の生産)に特化・集中することで、それぞれの労働生産性が増大され、互いにより高品質の財やサービスと高い利益・収益を享受・獲得できるようになることを説明する概念(WikiPediaの記述がわかりやすかったので、引用)。現実問題として、前提条件がそろってもこの概念に従う場合、短期的な労働者の失業、廃業を生む。
James Carse(ジェームズ・カース):
アメリカの学者。ニューヨーク大学で宗教文学史の教授を務める。著書"Finite and Infinite Games"が有名。

テクノ・キャピタル・マシン

テクノロジーと市場を組み合わせることで、Nick Landが「テクノ・キャピタル・マシン」と呼ぶ、永続的な物質創造、成長、豊かさのエンジンが生まれる。

私たちは、市場とイノベーションのテクノ・キャピタル・マシンは決して終わることなく、スパイラル状に上昇し続けると信じている。比較優位は専門化と貿易を促進する。価格は下落し、購買力が解放され、需要が生まれる。価格の下落は、商品やサービスを購入するすべての人、つまりすべての人に利益をもたらす。人間の欲求やニーズは無限であり、起業家はその欲求やニーズを満たすために新しい商品やサービスを絶えず生み出し、その過程で無制限の数の人や機械を投入する。この上昇スパイラルは、共産主義者やラッダイトからの絶え間ない遠吠えにもかかわらず、何百年も続いてきた。実際、一時的なCOVIDの混乱が起こる前の2019年現在、その結果、地球の歴史上、最も高い賃金と最も高いレベルの物質的生活水準で、最も多くの雇用が創出されている。

テクノ・キャピタル・マシンは、アイデアの領域で自然淘汰を機能させる。最良で最も生産的なアイデアが勝ち残り、更なる組み合わせにより、より優れたアイデアを生み出す。それらのアイデアは、技術的に可能になった商品やサービスとして、現実の世界で具体化する。

Ray Kurzweilは「収益加速の法則」を定義している: テクノロジーの進歩は、それ自体が燃料となり、さらなる進歩の速度を高める傾向がある。
私たちは加速主義を信じている。加速主義とは、テクノロジー開発を意識的かつ意図的に推し進めることであり、「収益加速リの法則」の成就を確実にするものである。テクノキャピタルの上昇スパイラルが永遠に続くようにするためである。

テクノ・キャピタル・マシンは反人間的なものではなく、むしろ最も人間的なものかもしれない。テクノキャピタルは私たちに奉仕するのだ。テクノ・キャピタル・マシンは私たちのために働く。すべての機械は私たちのために働く。

テクノキャピタルの上昇スパイラルの礎となる資源は、知能とエネルギー、つまりアイデアとそれを実現する力であると私たちは信じている。

[解説]
Nick Land(ニック・ランド):
イギリスの哲学者・ブロガー・短編小説家。加速主義に強い影響を与えた(加速主義:資本主義システムの拡大が社会的・政治的変革を促すという考え)
Ray Kurzweil(レイ・カーツワイル):
アメリカの発明家、思想家、未来学者。AIシンギュラリティに関する著書などで知られる。

知能

私たちは、知能こそが進歩の究極の原動力だと信じている。知能はあらゆるものをより良くする。賢い人々や賢い社会は、私たちが測定できる事実上あらゆる指標において、それほど賢くない社会を凌駕する。知性は人類が生まれながらに持っている権利であり、私たちはそれを可能な限り余すところ無くかつ広範に拡大すべきなのです。

知能は上昇スパイラルにあると信じている。第一に、世界中のより多くの賢い人々がテクノ・キャピタル・マシンに採用されるにつれて、第二に、人々が機械と共生関係を結び、企業やネットワークなどの新しいサイバネティック・システムを構築するにつれて、第三に、人工知能が私たちの機械と私たち自身の能力を向上させるにつれて。

私たちは、人間の能力を想像を絶する高みへと拡大させる知能の急伸長が間近であると信じている。

私たちは、人工知能が私たちの錬金術であり、賢者の石であると信じている。私たちは文字通り、砂に考えさせるのだ。

私たちは、人工知能は全ての問題を解決し得る存在として考えるべきだと考えている。そして、私たちには解決すべき問題が山積している。

私たちは、人工知能が命を救うことができると信じています。人がそれを制限しなければです。多くの分野の中でも医学において、人間と機械の知能が新しい治療法に取り組むことで達成できることに比べれば、実際起きていることはまるで石器時代のようなものだ。自動車事故からパンデミック、戦時中の誤射に至るまで、AIで解決できる一般的な死因は数多くある。

私たちは、AIの減速は人命を犠牲にすると考えている。存在を阻止されたAIによって防ぐことができた死は、一種の殺人である。

私たちは、人工知能と同様に「拡張知能」を信じている。知能を持った機械はインテリ知能を持った人間を拡張し、人間ができることを幾何級数的に拡大させる。

拡張された知能は限界生産性を促進し、それが賃金の上昇を促し、それが需要を喚起し、それが新たな供給の創造を上限なく促すと、私たちは信じている。

エネルギー

エネルギーは生命である。私たちはそれを当然だと思っているが、エネルギーがなければ、暗闇、飢餓、苦痛を味わうことになる。エネルギーがあれば、光、安全、暖かさがある。

私たちは、エネルギーは上昇スパイラルにあるべきだと考えている。エネルギーは文明の基礎となるエンジンです。エネルギーが増えれば増えるほど、より多くの人々が生活できるようになり、すべての人々の生活が向上します。私たちは、すべての人々を私たちのエネルギー消費レベルまで引き上げ、私たちのエネルギーを1,000倍にし、他の人たちのエネルギーも同様に1,000倍にすべきである。

現在、数少ない先進国と数多い発展途上国の1人当たりエネルギー使用量の差は非常に大きい。この格差は縮める方法は2つ:エネルギー生産を大幅に拡大し、すべての人々の暮らしを良くするか、エネルギー生産を大幅に削減し、すべての人々の暮らしを悪くするかのどちらかだ。

私たちは、エネルギーを拡大することが自然環境を害することにつながる必要はないと信じている。私たちは今日、事実上無制限のゼロ・エミッション・エネルギーを実現する特効薬、すなわち核分裂を持っている。1973年、Richar Nixon大統領は、2000年までに1,000基の原子力発電所を建設し、米国の完全なエネルギー自給を達成する「Project Independence」を呼びかけた。Nixonは正しかった。当時は原発を建設しなかったが、今ならいつでも建設できる。

原子力委員のThomas Murray(トーマス・マレー)は1953年にこう語っている: 「何年もの間、分裂する原子は兵器に組み込まれ、野蛮人に対するわれわれの主な盾となってきた。今、それに加えて、原子は人類の建設的な仕事をするために神から授けられた道具でもある」。Murrayも正しかった。

私たちは、核融合という第2のエネルギーの特効薬がやってくると信じている。核融合発電所も建設すべきだ。核分裂を事実上違法化したのと同じ悪い考えが、核融合をも違法化しようとしている。そうさせてはならない。

私たちは、テクノ・キャピタル・マシンと自然環境との間に本質的な対立はないと信じている。アメリカの一人当たりの炭素排出量は、原子力発電がなくても、100年前より少なくなっている。

私たちは、テクノロジーこそが環境悪化と危機の解決策であると信じている。技術的に進歩した社会は自然環境を改善し、技術的に停滞した社会は自然環境を破壊する。環境破壊を見たければ、かつての共産主義国を訪れればいい。社会主義のソ連は、資本主義のアメリカよりも自然環境にとってはるかに悪かった。アラル海をググってみてほしい。

私たちは、技術的に停滞した社会は、環境破壊を代償とし、限られたエネルギーしか持たず、技術的に進歩した社会は、人々に無制限にクリーンなエネルギーをもたらすと信じている。

[解説]
Project Independence:
1973年に、OAPECの石油輸出禁止が引き起こした第一次石油危機を受けて、当時のニクソン大統領がエネルギー自給率100%を掲げて推進したイニシアチブ。

豊かさ

私たちは、知能とエネルギーを正のフィードバック・ループの中に置き、両者を無限大にまで高めるべきだと信じている。

私たちは、知能とエネルギーのフィードバック・ループを利用して、私たちが望むもの、必要とするものをすべてを豊富にするべきだと信じている。

私たちは、豊かさの尺度は価格の下落であると考えている。価格が下落するたびに、それを購入する人々の購買力は上昇し、それは所得の上昇と同じである。多くの商品やサービスが値下がりすれば、結果的に、購買力、実質所得、生活の質が上昇爆発する。

私たちは、知能とエネルギーの両方を「計れないほど安い」ものにすれば、最終的にはすべての物理的な商品が鉛筆のように安くなると考えている。鉛筆は実際には技術的に非常に複雑で製造が難しいが、それでもあなたが鉛筆を借りて返し損ねても誰も怒らない。私たちは、すべての物理的な商品について同じことが言えるようにすべきだ。

私たちは、テクノロジーを応用して経済全体で価格を下げ、可能な限り多くの価格を実質的にゼロにし、所得水準と生活の質を成層圏に押し上げるべきだと考えている。

私たちは、Andy Warholが言った言葉を信じている:「この国の素晴らしいところは、アメリカは最も裕福な消費者が最も貧しい消費者と本質的に同じものを買うという伝統を始めたことだ。テレビを見ていてコカ・コーラが目に入った時、大統領でもコーラを飲み、Liz Taylorでもコーラを飲み、あなたもコールを飲むことをあなたは知っている。コーラはコーラであり、いくらお金を積んでも、街角の浮浪者が飲んでいるコーラよりおいしいコーラを手に入れることはできない。どのコーラも同じで、どのコーラもおいしい」。PCブラウザも、スマートフォンも、チャットボットも同じだ。

Buckminster Fullerの言う「エフェメラル化」と呼ぶもの、経済学者が「非物質化」と呼ぶものに、テクノロジーは最終的に世界を導くと私たちは信じている。Fuller曰く、「テクノロジーはより少ないものでより多くのことができるようにし続け、いつか何もなくても何でもできるようになる。」

私たちは、テクノロジーの進歩がすべての人の物質的豊かさにつながると信じている。

テクノロジーがもたらす豊かさからの究極の見返りは、Julian Simonが「究極の資源」と呼んだもの、すなわち人間の大幅な拡大であると私たちは信じている。

私たちは、Simon氏がそう考えたように、人こそが究極の資源であり、人が増えれば増えるほど、創造性が高まり、新しいアイデアが生まれ、テクノロジーの進歩が進むと信じている。

私たちは、物質的な豊かさは、最終的にはより多くの人につながり、その多くの人が更なる豊かさをもたらすと信じている。

豊かな知能、エネルギー、そして物質があれば可能なはずの人口に比べて、私たちの地球は劇的に人口不足に陥っていると私たちは信じている。

私たちは、世界人口は500億人以上まで簡単に拡大し、最終的には他の惑星に定住することで、それをはるかに超えることができると信じている。

このような人々の中から、私たちの想像を超える科学者、技術者、芸術家、そして先見の明を持った人々が生まれると信じている。

テクノロジーの究極の使命は、地球上と星々の両方で生命を進化させることだと私たちは信じている。

[解説]
Andy Warhol(アンディ・ウォーホル):
アメリカの画家・版画家・芸術家。ポップアートで知られる。
Liz Taylor(リズ[エリザベス]・テイラー:イギリス出身のハリウッド女優。
Buckminster Fuller(バックミンスター・フラー):アメリカの建築家、デザイナー、思想家。
Julian Simon(ジュリアン・サイモン):アメリカの経済学者

ユートピアではないが、十分に近い

しかし、私たちはユートピアを空想する者ではない。

私たちは、Thomas Sowellが「制約されたビジョン」と呼ぶものを信奉している。

制約されたビジョンとは、ユートピア、共産主義、専門知識に対する「制約のないビジョン」とは対照的に、人間をありのままに受け入れ、アイデアを実証的に検証し、人々が自ら選択できるように解放することだと考えている。

私たちはユートピアは信じないし、アポカリプスも信じない。

私たちは、変革は端っこでしか起こらないが、非常に大きな範囲の端で多くの変化を起こせば、大きな結果につながると信じている。

ユートピアではないが、私たちはBrad DeLongが言うところの「ユートピアへの歩み寄り」を信じている。楽園から追放された人類にできる最善のことをしながら、物事をより良くしていく、ということだ。

[解説]
Thomas Sowell(トーマス・ソウェル):
アメリカの経済学者。アメリカ黒人保守派の泰斗。
Brad DeLong(ブラッド・デロング):アメリカの経済学者、経済史学者。UCバークレー教授。

テクノロジー超人

私たちは、テクノロジーを進化させることは、私たちにできる最も高潔なことのひとつだと信じている。

私たちは、テクノロジーを進化させることのできる人材へと、意図的かつ体系的に進化していくべきだと信じています。

そのためには、テクノロジーの教育を受けることはもちろん、実践的なスキルを身につけ、チームの中で働き、チームを率いることが必要です。

モノを作りたい、領域を開拓したい、未知の世界を探検したいという人間の自然な欲求は、テクノロジーの開発に生産的に活用できると私たちは信じています。

少なくともここ地球上では物理的なフロンティアは閉ざされているが、テクノロジーのフロンティアは大きく開かれていると私たちは信じている。

私たちは、テクノロジーフロンティアを探求し、開拓すべきと信じている。

私たちは、テクノロジー、そして産業のロマンを信じている。列車、自動車、電灯、高層ビルのエロス。マイクロチップ、ニューラルネットワーク、ロケット、分裂原子のそれ。

私たちは冒険を信じている。勇者の旅に挑み、現状に反抗し、未開の地を開拓し、ドラゴンを倒し、故郷のために戦利品を持ち帰る。

ある時代と場所のマニフェストを言い換えて、こう語ろう:「美は闘争の中にのみ存在する。攻撃的な性格を持たない傑作は存在しない。テクノロジーとは、未知を暴力的に攻撃し、人間の前に屈服させるものでなければならない。」

私たちは、人間はテクノロジーに支配されるのではなく、これまでも、そしてこれからも、テクノロジーの支配者であると信じている。被害者意識は、テクノロジーとの関係を含め、人生のあらゆる領域において呪いであり、不必要で自滅的なものだ。私たちは犠牲者ではなく、征服者なのだ。

私たちは自然を信じるが、自然に打ち勝つことも信じる。私たちは稲妻を恐れてうずくまるような原始人ではない。私たちは頂点に立つ捕食者であり、稲妻は私たちのために働くのだ。

私たちは偉大であることの崇高さを信じている。私たちは、先人の偉大な技術者や実業家たちを賞賛し、彼らに誇れる存在になりたいと願っている。
そして、私たちは人類を信じている。個としても、全体としても。

テクノロジー的価値観

私たちは、野心、攻撃性、粘り強さ、執拗さ、つまり強さを信じています。

私たちは実力と成果を信じます。

私たちは勇気を信じます。

私たちは正当に獲得した誇り、自信、自尊心を信じます。

私たちは、自由な思想、自由な言論、自由な探究を信じます。

私たちは、自由な言説と専門家の権威への挑戦という、実際の科学的方法と啓蒙的価値観を信じます。

Richard Feynmanが言ったように、「科学とは専門家の無知を信じることである 」と私たちは信じています。

そして、「疑問を持たれない答えよりも、答えられない疑問がある方がましだ 」とも。

私たちは、神を演じて全てを判断することではなく、現場の知識、実際の情報を持つ人々が決断を下すことを信じている。

私たちは、多様性を受け入れること、面白さを増すことを信じる。

私たちはリスクと未知へと飛び出すことを信じている。

私たちは主体性を信じ、個人主義を信じる。

私たちは急進的な能力を信じている。

私たちは恨みという感情を絶対的に拒絶する。Carrie Fisherが言ったように、「恨むということは、自分が毒を飲んで相手が死ぬのを待つようなものだ」。私たちは責任を負い、克服する。

私たちが競争を信じるのは、進化を信じるからだ。

進化を信じるのは、人生を信じるからだ。

私たちは真実を信じる。

金持ちは貧乏よりまし、安いのは高いよりまし、豊かなのは乏しいよりましだと信じている。

私たちは、すべての人を金持ちにし、すべてのものを安くし、すべてのものを豊かにすることを信じている。

富、名声、復讐といった外発的動機は、その限りでは問題ないと私たちは信じている。しかし私たちは、内発的な動機づけ、つまり新しいものを作り上げる満足感や、チームの一員であることの仲間意識、より良い自分になる達成感などは、より充実したもので、より長続きするものだと信じている。
私たちは、ギリシャ人が「アレーテを通したエウダイモニア」(卓越性による繁栄)と呼んだものを信じています。

テクノロジーは普遍主義であると信じている。テクノロジーは、人の民族、人種、宗教、国籍、性別、セクシュアリティ、政治的見解、身長、体重、髪の有無など気にしません。テクノロジーは、世界中から集まった才能ある人々によるバーチャルな国連によって築かれます。前向きな姿勢と安いノートパソコンさえあれば、誰でも貢献できる。テクノロジーは究極の開かれた社会なのだ。

私たちは、シリコンバレーの掟である「ペイ・イット・フォワード」(自分が受けた善意を他の誰かに渡す精神)、つまり、一致したインセンティブによる信頼、互いに学び成長することを助け合う寛大な精神を信じます。

私たちは、アメリカとその同盟国は強くあるべきであり、弱くあるべきでないと信じています。自由民主主義国家の国力は、経済力(ファイナンシャル・パワー)、文化力(ソフト・パワー)、軍事力(ハード・パワー)から生まれると信じています。経済力、文化力、軍事力はテクノロジーから生まれる。テクノロジーに強いアメリカは、危険な世界における善の力である。テクノロジーに強い自由民主主義国家は、自由と平和の守り手となる。テクノロジーに弱い自由民主主義国家は、独裁的なライバルに敗れ、すべての人を不幸にする。

私たちは、テクノロジーは人が偉大になることの可能性を高め、後押しすると信じています。

私たちは、自分自身のために、地域社会のために、そして社会のために、潜在能力を発揮し、完全な人間になることを信じています。

[解説]
Richard Feynman(リチャード・ファインマン):
アメリカの物理学者。ジュリアン・S・シュウィンガーや朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を共同受賞
Carrie Fisher(キャリー・フィッシャー):アメリカ出身のハリウッド女優。Star Warsシリーズで有名。

人生の意味

テクノ・オプティミズムは物質哲学であり、政治哲学ではない。

私たちの中には右翼の人もいるが、全てが左翼な訳ではない。

私たちの中には右翼の人もいるが、全てが右翼な訳ではない。

私たちが物質に集中するのには理由がある。私たちがどのようにしたら物質的な豊かさの中で生きられるか、その道を開くためである。

テクノロジーに対する一般的な批評に、機械が私たちに代わって決断を下すことで、私たちの生活から選択肢がなくなってしまうというものがる。これは間違いなく真実であるが、私たちが機械を使うことによって生まれる物質的に豊かな生活を創造する自由によって十二分に相殺されるものである。

自由市場やテクノロジーから生じる物質的な豊かさが、宗教、政治、そして社会的・個人的な生き方の選択の場を開く。

私たちはテクノロジーが解放的であると信じている。人間の可能性を解放する。人間の魂、人間の精神を解放する。自由であること、満たされること、生きていることの意味を拡大する。

私たちは、テクノロジーが人間であることの意味を広げると信じています。

私たちには敵がいる。

私たちの敵は悪い人間ではなく、むしろ悪いアイデアである。

私たちの社会では、60年もの間、「人類にとっての実存的リスク」、「持続可能性」、「ESG」、「持続可能な開発目標」、「社会的責任」、「ステークホルダー資本主義」、「予防原則」、「信頼と安全」、「技術倫理」、「リスク管理」、「脱成長」、「成長の限界」などさまざまな名目の下、テクノロジーや生命に対する戦意喪失キャンペーンが行われてきた。

この戦意喪失キャンペーンは、過去の悪しきアイデアに基づいている。多くは共産主義に由来するゾンビ的アイデアで、当時も今も悲惨なものだが、これらは死ぬことを拒んでいる。

私たちの敵は停滞である。

私たちの敵は、反功利主義、反野心主義、反努力主義、反達成主義、反偉業主義である。

私たちの敵は国家主義、権威主義、集団主義、中央計画、社会主義である。
私たちの敵は、官僚主義、ベトクラシー、ジェロントクラシー、伝統への盲目的な恭順である。

私たちの敵は、腐敗、規制の虜、独占、カルテルである。

私たちの敵は、若いころは活力にあふれ、エネルギッシュで真実を追求することの前向きであったにもかかわらず、今では妥協し、腐食し、崩壊している機関である。そういった機関は機能不全に陥り、無能さが悪化しているにもかかわらず、引き続き人に注目され、資金提供/予算をつけられることを正当化しようと必死になっている。

私たちの敵は象牙の塔であり、物知りな有資格の専門家の世界観、抽象的な理論、贅沢な信念、社会工学に耽溺し、現実世界から切り離され、妄想を抱き、選挙で選ばれることもなく、責任も取らない世界観。他人の人生を神のように弄び、その結果からは完全に目を背ける世界観である。

私たちの敵は言論統制と思想統制であり、George Orwellの『1984年』を指示書として平然と使用する世界である。

私たちの敵は、Thomas Sowellの『制約のないビジョン』、Alexander Kojeveの『普遍同質国家』、Thomas Mooreの『ユートピア』である。

私たちの敵は「予防原則」である。予防原則は、人類が初めて火を使って以来の事実上すべての進歩を妨げてしまう。おそらく私が生きている間に西洋社会で起きた最も破滅的な過ちであるが、民生用原子力の大規模な配備の阻止、このために予防原則は発明された。予防原則は、今日も私たちの世界に不必要な苦しみを与え続けている。予防原則は不道徳極まりないものであり、二度と戻ってこないよう捨て去るべきである。

私たちの敵は、減速、脱成長、人口減少であり、エリートたちの間で流行している、より少ない人口、より少ないエネルギー、より多くの苦しみと死を求める虚無的な願望である。

私たちの敵はFriedrich Nietzscheの『最後の男』だ:

「言っておくが、踊る星を生むためには、自分の中にまだ混沌がなければならない。言っておくが、君たちにはまだ混沌が残っている。

残念だ!人間はもはやどんな星も生み出せない時が来る。残念だ!最も卑しい人間が、もはや自分自身を卑下できなくなる時が来るのだ......

『愛とは何か?創造とは何か?憧れとは何か?星とは何か?』、と最後の男は問いかけ、瞬きをする。

地球は小さくなり、その上で最後の男が飛び跳ねる。最後の男は他の全てを小さくする。彼の種はノミのように不滅である。最後の男が一番長生きする。

それでも人は働く。仕事が娯楽だから。しかし、その娯楽が人を傷つけないように注意する。

人はもはや貧乏にも金持ちにもならない。どちらも面倒だから。

羊飼いもいなければ、群れも一つだけ!誰もが同じことを望み、誰もが同じなのだ。違うと感じる者は、自ら進んで精神病院に入る。

『以前は世界中が狂っていたのだ。』と言うと、瞬きをする。

彼らは賢く、起こったことはすべて知っている。

『われわれは幸福を発見した』と最後の人類は言い、彼らはまばたきをする。」

私たちの敵は...それだ。

私たちはそうならないことを目指す。

私たちは、このようなゾンビのような考えにとらわれている人々に、彼らの恐怖は杞憂であり、未来は明るいと説明する。

私たちは、捕らわれた人々がルサンチマンに苦しんでいると信じている。憤り、恨み、と怒りの魔女の酒が、誤った価値観、自分自身も大切な人々も傷つける価値観を抱かせているのだ。

私たちは、彼らが自らに課した苦痛の迷宮から抜け出す道を見つける手助けをしなければならないと信じている。

私たちは、テクノ・オプティミズムにみなさんをご招待します。

水は温かい。

テクノロジー、豊かさ、そして生命を追求する私たちの味方になってください。

[解説]
予防原則:
1970年代以降に欧州を中心に広まった、環境保護の視点から化学物資・遺伝子組み換え技術など新技術が不可逆的な影響を及ぼし得る場合、科学的因果関係が実証されなくとも、規制されるべきという考え方。環境保護条約や食品保護法に多く用いられる。
ベトクラシー/ビトクラシー:機能不全に陥った政府の形態。拒否権を持つメンバーが多すぎて、決定的な判断ができない状況。
ジェロントクラシー:老人支配
George Orwell(ジョージ・オーウェル):イギリスの作家。『1984年』
は全体主義国家残酷さを描いた有名作品。
Alexander Kojeve(アレクサンドル・コジェーヴ):
ロシア出身のフランスの哲学者。普遍同質国家とは国家の理想型であり、すべて成人に達した人間が完全な構成員であるような国家
Thomas Moore(トマス・モア):イングランドの法律家、思想家、人文主義者。著書『ユートピア』が有名。
Friedrich Nietzsche(フリードリヒ・ニーチェ):ドイツ・プロイセン王国の思想学者。「神は死んだ」の言葉で有名。天国などの空想的な世界を前提とした倫理観を否定し、現実に根差す身体、理性を肯定した。
最後の男:ニーチェの代表作『Also sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはこう語った』に出てくるキャラクター。キリスト教の空想に根差す善悪の概念を否定し、自らの意思を極限まで確立させた、理想的な人間「超人」のアンチテーゼ。リスクを冒さず生活の保証、快適、安楽などを求めるがため、受動的になり、自己実現ができない人のこと。

未来

私たちはどこから来たのか?

私たちの文明は、発見の精神、探検の精神、工業化の精神の上に築かれた。

私たちはどこへ行こうとしているのか?

私たちの子どもたち、その子どもたち、さらにその子どもたちのために、私たちはどのような世界を築こうとしているのだろうか?

恐怖と罪悪感と恨みの世界か?

それとも野心と豊かさと冒険の世界?

私たちは、David Deutschの言葉を信じている:「私たちには楽観的である義務がある。なぜなら、未来は開かれており、あらかじめ決められているものではなく、それゆえにただ受け入れるわけにはいかないからだ。私たちは全員未来に対して責任を持っているのです。したがって、より良い世界のために闘うことは私たちの義務なのです」。

私たちは過去と未来に借りがある。

テクノ・オプティミストになる時だ。

今こそ築き上げる時なのだ。

[解説]
David Deutsch(デイヴィッド・ドイッチュ):
イギリスの物理学者。Oxford大学教授。引用部分は著書『Beginning of Infinity(邦題:無限の始まり)』から。

最後に

いかがでしたでしょうか?私個人としては、9割以上は私の持つ世界観と一致していて、すっと入ってきましたが、それも私が幼少期をアメリカで過ごしたかもしれません。しかし、現代の停滞感漂う日本において、しっかりと尖りきった上で、合理的で、楽観的な思想が大事な気がしてなりません。

本文の中に間違い、行き過ぎた意訳などがありましたら、私個人のミスなので、こっそりとDMでもください。では、次回の投稿で。


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