感受性豊かな人ほど、出し先を確保しよう〜コミュニティの価値とは〜
どうも、まさまさです。
感受性豊かな人といいますか…いろいろ感じやすくって考えちゃって大変な人っているでしょ?そういう人は、その感じたものを出す場所を持った方がいいよ!そして、それはコミュニティの一側面の価値になりえるな…ということを感じましたので書いていきます。(2019.7.24)
午前中、友達とステキなパン屋さんでお話することになっておりました。
まちのパーラー
いつもすごく話が盛り上がり、尽きず、気づけばお別れの時間になってしまう。だからこそ、最初に言おうと思っていた一言がある。
「何時までいけるの?」
お尻の時間を知っとかないと話したいトピックを消化できないのだ。
でも、その一言を言う前に、なぜか、話が始まり気づけば2時間近くすでに経っていた。
感受性が豊かな人が陥る状況
僕はおしゃべりだ。
友達は、いつも「ふむふむ」と聴いてくれて、僕に新たな視点を与えてくる人だ。
しかし、今日はなんだかめっちゃ喋るではないか…。
僕の頭の中はこんな感じだった。
友達は、日々感じてきたものをこうしてバックに詰め込み、整理することなく、たくさんたくさん詰め込んだまま持ち運んでいたようだ。
めっちゃ喋るという行為は、このバックの中身を出す行為だと思った。
そりゃ仕事をしているとさ、嫌なこともあるし、うまくいかないこともあるし、不安だってあるしさ。
楽しいことも、嬉しいこともある。
感受性豊かな人は、何かしら感じていくのだ。
それを何かしらの形で出さないと貯まるのだ。
バックの中身を見してもらうと、汚いもので早く捨て去ればいいものもでてくるし、キラリと光るものが見つかるときもあった。
これとこれを組み合わせれば、いいものできそうだよね!っていうこともあった。
整理をすると、面白い。
他の例えでいうならば、びっしり書かれたノートをたくさん持ち歩いている感じだ。
おそらく、そのたくさんの具体を抽象化させ、大切なところだけを抜き出せば、10冊のノートは1冊にまとまるかも知れない。
その具体を抽象化させる作業を、感情でもやった方がよいと思うんだ。
コミュニティの価値の一側面
人は、4つか5つ自分の所属するコミュニティがあると、足場が安定し、自分の能力を発揮して挑戦できると言われている…とどこかで聴いたことがある。
仕事場の悩みを仕事場の人に打ち明けることは難しいかもしれないし、家族間での悩みを家族に話、解決を図るのもハードルが高いかもしれないよね。
そうして、打ち明けるというか出しどころがなくて、カバンがパンパンになっていったんだろう…。
利害関係が強くない所属先。
仕事ができなくたって受け入れられる場所。
母親なんだけど、ただ1人の女性として居てもいい場所。
先生なんだけど、◯◯先生って呼ばれない場所。
そんな場所で、外に出す(しゃべる)ことで、荷物をおろし、整理し、大事な物だけを選び、また進んでいく。
コミュニティという場所は、そんな場所だ。
家でも職場でもない場所。
サードプレイスとかいうけどさ…。
その場所にも、価値があるな…と再認識した。
すべてを一つの場所で、1人の人で、賄うのは難しい。
それは、パートナーシップの話だって、きっと一緒なのだ。
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