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世界の楽しみ方 #4

食べ物には消費期限と賞味期限がある。これは創造の世界にも当てはまると思う。

あなたが感じたこと、思ったことは出さなければなかったことになる。出すという営みが成されればそれは共有財産となる。

この消費期限の世界において、創造と自分のジャッジとの狭間で揺れることが多いだろう。出すことに意味はあるのか、出した時に周りはどう思うかなど。

「共有財産であるならばあなたは何をするのか」

出してしまえば共有財産になる。出さなければ消費期限が切れる。だからこそ、本心と裏腹に迷った時はこんな問いが背中を押してくれるかもしれない。

出す出さないの先であなたはきっと共鳴を求めている。

そして、賞味期限はシンプルで興味関心が尽きる時だと思う。だが、この"味わう"という営みの大切さを私は伝えたい。

「今ここ」を味わう、その答えはまだ定まっていない。定まらないのか定めるだけの経験値が足りないのかはわからない。

そうした中でも、大切なことがあると今は思っている。

それは立ち止まることだ。考えて進み続けてばかりでは観察や分析に偏ってしまう。

生まれ持った感性、積み上げた感性。この両輪を回していくことが創造に他ならない。

最適解を求め、自分をも後頭部からカメラで観察する。見える景色が広ければ安心したり優越感に浸れるかもしれない。

ただ、それだけでは味わうことを忘れてしまう。迷子になる。全てを見渡すだけではなく、見たいものを見ることも必要だ。

立ち止まって味わうことで自分に還ってくる。自分の羅針盤を置くことができる。

ただ、味わうことは必ずしも万能ではないし、味わえない時もある。それをフラットに捉えることも時には大切だ。

味わえないものを味わおうとすることは、新しいものを知ることである。こうして世界が広がることが感性を育むことに他ならない。感じるものがアップデートされていくのである。

味わえないことを味わったら、自分以外に委ねてみることで新たに見えてくるものがある。

人は進化成長を望んでいる。そうした中で立ち止まることは退屈に思うかもしれない。しかし、その2つがあるからこそ美しい。

世界の広がりである芸術(アート)と起きた事象への科学、この対を成す営みによる共創の世界のように、進むことと立ち止まることの反復もまた尊いのだ。

語り手

書き手

あとがき

早川瑛子が心の内を伝える連載の第4弾。自分の世界の創り方、広げ方の側面の1つを語ってくれているような気がしました。まだまだ奥行きがある領域なので彼女のこれからの言葉も楽しみです。

巡り巡ってサポートしてくださったあなたへ何か還せるように生きていきます。よろしくお願いします!