ミヒャエル・エンデ「モモ」を読んで
"光を見るためには目があり、
音を聞くためには耳があるのとおなじに、
人間には時間を感じとるために心というものがある"
灰色の男たちに奪われた時間を
主人公のモモが取り戻す冒険ファンタジーであると同時に、
心が時間を感じづらくなった現代社会への痛烈なメッセージ
でもあります。
人間にとって本当に大切な時間とは何か、
考えさせられる本でした。
「時間は命だ」、「一秒たりとも無駄にするな」と、
効率的な時間を追求し、時間の費用対効果を最大化させることが
人類にとっての善であり、責務であるかのような価値観を強制する社会。
その結果、世間話のなくなった床屋、
次から次へ消費される焼き直しのエンターテイメント、
ゆっくりと食事もできないファーストフード店
が生まれた。
その中で万人が万人を時間を奪う敵とみなし、
大人は子供との非生産的時間の共有を拒絶し、
親子、友人、常連、などの
あらゆる人間の関係性が失われた。
そこには目を奪われるような美しい時間の花(=人間の幸福)の存在が
感じられなくなった。
一見無駄に見える時間の共有が
親子や友人やあらゆる同胞としての関係を
特別なものにすることを
私たちはもう一度、思い起こす必要があると感じた。
息子とキャッチボールをしよう。
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