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小話(3) 生きること、生活できること

先週の月曜日に娘が緊急入院することになりました。その付き添いで妻も入院し、急遽息子たち2人を世話をすることになった時の話です。

ちなみに娘は、幸い3泊4日で退院し、後遺症もなしでした。今は、病院でおとなしくしたせいか、元気すぎるくらいです笑。


日曜日、娘が発熱と腹痛を訴える。翌日の月曜日、新型コロナの可能性もあったため、それぞれ在宅勤務や幼稚園・学校を休校にし、各自自宅で過ごす。かかりつけの小児科に行き、抗原検査を実施は陰性も、血液検査の結果、地元の大きな病院を紹介された。
地元の大きな病院に妻が連れていき、精密検査をしたところ、その場で妻同伴で緊急入院の判断がされた(PCRは陰性)。

妻と娘が入院したことを二人の息子に伝えた。動揺もすることなく、すんなり受け入れた様子の息子たち。夕方まで、オンラインのミーティングをこなし、その日はHotmottoのお弁当を買いに行った。

その後、3人でお風呂に入り、上がったところで、私は息子たちを心配させないように、
「パパは大学生の時に一人暮らしをしていて、料理や洗濯も一通りできて、一人でも大丈夫だから、心配しないでね。」
と伝えた。

新型コロナではなかったため、翌日から長男は小学校、次男は幼稚園へそれぞれ通い、私は仕事を少し早く切り上げ、次男を幼稚園へ迎えにいき、ご飯を準備したり、洗濯や掃除をしたりする生活を日々を過ごした。


入院初日から2日経過した夜、お風呂を上がった時に次男(5歳)が、ふと2日前に言った私の言葉を思い出してか、
「パパは、一人でも生きていけるんでしょ」と言った。

彼は私の2日前の言葉をリフレインしたのだと思うが、強い違和感を覚え、返事ができなかった。

「ん?違うぞ。入院している娘や妻、今一緒にお風呂に入ったお前たち抜きに俺は生きていけない。俺は一人では決して生きていけない」と思った。

その後、キッチンで今の言葉を振り返りながら、違和感の原因について思いを巡らせた。
一人で生活はできる。だが、愛する者たちがいなければ、きっと生きていけない。

生活ができることと、生きていけることは別なんだ

と思った。

いみじくも、今読んでいる本にこのような言葉が書いてあった。

人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られなければならない。

「暇と退屈の倫理学」國分功一郎


本当にそうだなと思った。生活ができることと、生きていけることは別であり、私のバラの存在に気づかされた。そんな息子のリフレインであった。

娘に早く会い、抱きしめたいと思った。

その願いは、その次の日に叶えられた。


皆さんの生きていくために必要なバラは何ですか?


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