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日本語ラップはいつから始まったのか

今では普通に日本でもリリースされている日本語ラップ。
「いつ、だれが日本で始めたの?」という記事です。

というのも、この本を久々に読み返していて、

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こんなページがありまして、改めて面白いなぁと思いました。

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今回は時系列がちょっと重要になってきます。

まずは、本場アメリカでラップが世間に出始めた背景。
きっかけとなったのが普通のソウル系ポップスだったこの曲。

1979年6月4日 Chic - Good Times(US:1 UK:5)
後の名プロデューサー、ナイル・ロジャースも在籍。
チャート順位でもわかるように一般的なヒットです。
まずはこの曲の繰り返しのリズム部分を聴いてください。


3か月後、このトラックを使った(パクった?)次の曲が初めてラップで商業的な成功を収めます。

1979年9月16日 The Sugarhill Gang - Rapper’sDelight(US:36 UK:3)

こういうラップの本でも1番目に紹介される曲です。
ラップの教科書1ページ目という感じの存在。

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で、今回気になる曲を時系列で並べていたらこの曲に驚きました。
シュガーヒル・ギャングの1年以内にこれがリリースされています。
1980年12月21日 ザ・ドリフターズ - ドリフの早口言葉

コーナー自体は既にあったから、ここから日本語ラップは始まった?
ドリフの皆さんは音楽に詳しいから、意図的ですかね?
これは「ラップ史」の本にも載っていませんでした。

志村けんさんもブラック・ミュージックに詳しいのは有名です。
原曲はこちら→ Wilson Pickett - Don't Knock My Love, Pt. 1

次のブロンディーの曲は「初めて白人がラップを取り入れた楽曲」という自分の認識でしたが、それよりもドリフが早いことになりますね。

1981年1月12日 Blondie - Rapture(US:1 UK:5)
1:55からラップが始まります。 



日本でラップとしてリリースされた明確な楽曲は次の曲でしょうか。

1981年2月21日スネークマンショー - 咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3
ブロンディーから1ヶ月以内にこのラップですよ!
これ、「ラップ史」の本によるとこういう事だったようです。

シュガーヒル・ギャングの「Rapper's Delight」という曲がありましたね? アメリカで1979年にリリースされて大ヒットしているときに、それをニューヨークで聴いた(日本のラジオ番組「スネークマンショー」を主催する)桑原茂一さんが「番組でもこんな曲をやろう!」と。

言ってみれば、ここが「日本に輸入された」瞬間かもしれません。
しかも、この中にも「早口言葉」があるんですよね。
それが小林克也、伊武雅刀によるこの曲。
上記ブロンディーのトラックも意識していると思います。

レコード、CD共に所持しています。

スネークマンショー01


そのスネークマンショーと密接な関係だったYMOはダイレクトに
こんな曲を作りました。 トラックは超カッコイイし、英語詩だし今聴いてもかなりかっこいいラップ曲です。

1981年3月21日 YMO - Rap Phenomena(ラップ現象)


そして、ラップに入れるのは異論あるかもしれませんが、個人的に凄いと思うのが次の曲。

1981年12月5日 山田邦子 - 邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)
リズムがChicのそれっぽいです。 音楽に合わせているのはサビだけで基本は喋り、ネタですが楽曲の構成はヒップホップですよね。
モノマネが入る点はスネークマンショーと同じ。
「裏があってもおもてなし」「右手をご覧ください、一番高いのが中指でございます」という歌詞がwww
ちなみにタイトル画像の「バス」はここからです(分かりづらい)


そして先ほどのスネークマンショーの小林克也は自身のバンド、ザ・ナンバーワン・バンドでもラップ曲をリリースします。
英語日本語のミックスで韻を踏んでいる歌詞も凄いですね。
「来(き)んさい、来んさい~Inside Outside」など。

1982年6月   ザ・ナンバーワン・バンド - うわさのカム・トゥ・ハワイ

この時点でまだ1982年。
みなさん時代の臭覚が凄いです。

だって、ラップの名曲クラシックのこの曲でも1982年ですよ。
1982年7月1日 GtandmasterFlash and The Furious Five - The Massage(US:62 UK:8)


そして、こちらもラップというか「演説」ですがスネークマンショーの伊武雅刀が秋元康の歌詞でこの曲をリリースします。
1983年8月25日 伊武雅刀 - 子供達を責めないで
「私は子供に生まれなくてよかったと胸をなでおろしています」

をはじめ今だったら完全に問題になる歌詞ですね(^^;


その後、やっと「普通の(?)」音楽でラップが出てきます。
ウィキペディアではここから日本語ラップの歴史が始まってます)
1984年6月21日 佐野元春 - Complication Shakedown
1年間のニューヨーク生活から戻ってきてのリリース。
いかにも「持ち帰ってきました」という感じです。
楽器勢がステップ踏んだり、立ちながらのパーカッションもいい感じ。


そして、ついに来ました! 同じく1984年リリースのこの曲。
1984年11月25日 吉幾三 - 俺ら東京さ行ぐだ
これもしっかりラップを意識して作ったようです。
よく「元祖日本語ラップ」とも言われますね。 スネークマンショーに比べ日本全国お茶の間まで届いたという意味では異論はありません。
「信号ねぇ、見たこたねぇ、俺らの村には電気がねぇ」


以上、今回は80年代前半の日本語ラップを振り返ってみました。
結論、「日本語ラップはドリフが始めた」 のかなぁ(^^;


改めて、並べてみましょう。
お笑い、コメディ系多いのが特徴的ですね。
やはり歌詞に言葉のセンスが現れるからかな。
ちなみにYMOは現役時手代に「トリオ・ザ・テクノ」で漫才もやっているし、吉幾三はコントやトークも最高ですから。
(というか、演歌歌手のMCトークって超超レベル高いですよ!)

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冒頭の「ラップ史」本に合わせたプレイリストも作りました。


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