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急性硬膜外血腫 09

手術から時間が経ち、意識がはっきりし始めた頃からマサは左眼に幻覚が見えていることを認識した。それはぼんやりと見える程度ではなくその幻覚を今からトレースしてくれといわれれば忠実にトレースできた。

はじめはトランプの絵札のジャックが見えた。次はキング、次はドラゴンとどれもはっきりと見えていた。ここまでの事故を起こしたのだから、左眼くらいは仕方ないと思っていた。

主治医の里見先生は左眼の血腫が自然に消えるのを待ったが、その血腫はマサの左眼に残り続けて、マサはいつも物が二重に見えていた。その間マサのリハビリが始まった。

最初はリハビリステーションまで母親に車椅子で押されていく状態だった。まずはゆっくりと歩行することから始まった。平行棒につかまって何とか歩き始めた。

歩けるようになったらリハビリテーションまで自分の足で歩いていって理学療法士の指示どおりバイクに移って落ちきった下半身の筋肉の回復に努めた。はじめは一番低い抵抗で五分ほど漕ぐだけでバテてしまっていた。しかし徐々に抵抗上げ時間を延ばしていった。

リハビリテーションから七月の夏の風景が見える。それを見ると絶対に外の世界に戻ってやると自分にいい聞かせて、マシンの負荷を限界まで上げていった。階段の上がり降りを繰り返し、マシーンを使って足踏みを繰り返し、足の筋肉がつる寸前まで下半身の回復に努めた。

一日でも早くこの病院を出てやるというモチベーションがマサをリハビリに駆り立てた。それでもしんどいときはあったが、ヒサコさんやユウカさんがやってくるとマサの生命力が同時に強くなっていった。この姉妹の存在もマサの回復に大きく影響している。

結局マサの左眼の血腫は消えなかった。MRIでもはっきり確認できた。このまま血腫を放置すれば眼球が動かなくなる恐れがあり、左眼血腫の除去手術が七月二四日に決まった。

ヒサコさんは二三日にシンガポールへ帰国のためのチケットをとっていた。ヒサコさんは悩んだ。純粋にマサと離れることへの寂しさ、このまま看病してやりたいという思い。

しかし自分が看病したところでマサの回復が早くなるわけでもなく、そしてマサ自身が順調に回復していてひどい後遺症も残りそうになかったので、自分がやるべきことがまだシンガポールにあったのでそのまま帰国した。わたしはヒサコさんのこういう選択ができるところが好きだ。

そしてヒサコさんが帰国した翌日、手術が行われた。この数日前に里見先生からマサに手術の説明が行われた。左眼の目蓋を切開すれば術後の痛みは軽減できるが、一生残る傷を顔に作ることになる。だから右耳から左耳まで額の形に沿って切開し、額から目まで皮をめくる形で手術を行うかどちらか選択しなければならいと。そ

して血腫を除去しても目が元のように見えるとは一〇〇%いい切ることができない。視覚障害が残る可能性のあると先生はマサに伝えた。マサは即答した。切ってください、痛みは我慢します。先生を信じていますから。マサにはこのとき手術の恐怖も、視覚障害が残るかもしれないという恐怖も微塵もなかった。

後にマサは額の上にミッキーマウスの額がもうひとつできたといっている。

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