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急性硬膜外血腫 03

わたしはちょうど夏休みに入っていたので帰国していた。わたしとレオが病院にお見舞いに行ったときにはマサは歩けるくらいまで回復していたのでこの診断書をみて愕然とした。

死にかけたとはマサから聞いていたがここまで深刻な状況を文章で見せられると言葉が見付からなかった。

入院中のマサの状況はマサ自身が文章で残している部分もあったが意識障害がひどく覚えていなかったようで、入院当時マサと付き合っていたヒサコさんとこのときのマサの状況について後に話す機会があったのでヒサコさんの言葉も引用した。

ヒサコさんはこのときシンガポールへ留学中で偶然マサが事故を起こした二〇〇一年の七月五日の二日後の七日に一時帰国することになっていた。ヒサコさんが七月七日に帰国することはマサは母親に伝えていて、自分が関空へ迎えに行くということも伝えていた。

マサが事故を起こした時点でヒサコさんのお母さんに息子が事故を起こして迎えに行けないことを連絡した。

ヒサコさんのお母さんがマサが迎えに行けないことを電話連絡した。このときヒサコさんのお母さんは心配させないようにマサが迎えにいけない理由を話していなかった。

一年ぶりに彼女が帰国するのに迎えに来られない理由はどういう理由だとヒサコさんはひどく腹が立ったらしい。そしてマサの母親からシンガポールに電話があった。

マサが事故をしたということをそこで聞かされた。マサの母親は電話を切り際にもう落ち着いたから大丈夫だとヒサコさんにいった。ヒサコさんはその時点でも脚のひとつでも骨折してるだろうから、冗談で文句のひとつでもいってやるつもりでいた。

しかし落ち着いたというマサの母親の言葉が気になっていた。脚の骨折で何が落ち着いたのだ。そして関空についてマサの実家に電話をした。マサのおばあさんが電話に出た。

まだ病院名も何号室かも知らないのでそれを聞くためだ。マサのおばあさんは電話で児島総合病院と伝え、何号室かわからないからちょっと調べてくるといった。

「なにかね、何号室とかじゃなくて、確か英語だったと思います。英語のことはさっぱり分かりませんから。ごめんなさいね、ちょっと待っててもらえますか、メモに控えていますから」

英語? ヒサコさんはそのとき初めて嫌な予感がした。

「ああ、ありました、集中治療室です」

おばあちゃん、間違ってないよ、ICUのことだ。ヒサコさんが関空から実家に帰る予定だったが急遽児島総合病院に直接向かった。そこでマサの母親、マサの次女の裕美、マサの母親の妹のおばさんがICUの待合室にいた。おばさんの次の言葉でマサの状態の深刻さが理解できた。

「マサに会うときは絶対に驚いたりしないでね、あの子を傷つけると思うから。いつも通り接してあげてね。ほんとに今日は長旅で大変だったのに来てくれてありがとうね」

親族以外は面会謝絶だったがマサの姉ということでICUのマサのいるベッドに向かった。

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