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父の帰宅 07

このとき初めてマサはPTSDという言葉が浮かんだ。このときPTSDという言葉が浮かぶのは普通の二三歳ではない。普通の二三歳はPTSDという言葉を知らないし、きちんとそれがどういったものか理解していない。後にマサは語る。俺は知識武装していないと生きていけなかったんだ、どれだけ周りにインテリきどりといわれようと俺は知識を集めてロジカルな思考、行動に結び付けないと短絡的な行動をとる人間の遺伝子を受け継いでいるから。マサの知識、マサが身につけたことはこれから回復へとすべてが結びついていく。

PTSDという言葉はマサの中に浮かんではいたがまさか自分がという思いもあった。そしてこれからマサの病院巡業が始まる。まず谷口病院は時間を割いてくれないということで止めた。次は内田病院の精神科。ここは最悪だった、時間を割いてほしいといっている矢先に薬だけが処方された。次は松浦総合病院の神経内科。

ここの先生はきちんと時間を割いてくれたが、家族の問題に関して得意分野でないといわれてしまった。そういわれてしまうてとお手上げだ。しかし一見無駄足に思えた病院巡業だがそれぞれの病院に重要な意味があった。森川神経医院は素早く医療費控除の手続きをしてくれた。谷口病院はパニック障害と闘う意志を与えてくれた。

内田病院は一見最悪だったがパキシルという抗うつ剤を処方した。この薬はマサの身体に合っていた。松浦総合病院はパキシルの量を増やすことをすすめた。これは新薬で比較的依存性が低いと。このパキシルの量を増やしたことによってマサのうつ状態はずいぶん軽減された。

病院巡業の間もマサは近くでフリーでネットを使わせてくる施設があったのでパニック障害者の作るNPO法人や民間団体を探してそこに連絡をとっていた。自分の回復になることはなんでもしていた。

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