フロリダ州ペンサコーラ 07
ESLの生徒はだいたいみんな「ヴィレッジ」と呼ばれる大学の生徒専用のアパートに住んでいて、週末になると誰かが勝手な理由をつけて、大抵は真面目な日本人が幹事になってヴィレッジでパーティーを開いた。
学生たちは安酒を浴びるように飲み、爆音で音楽をかけ、最後には決まって服のままプールに飛び込んだ。人種も性別も関係なく、みな民主的に清潔とはとてもいえないプールに飛び込んだ。
マサも週末のパーティーは楽しんでいたが、たまに誰にも理由をいわずに部屋に引き込もってしまうことがあった。部屋の鍵をかけ、電気を消し、電話も不通になっていることがあった。
レオは心配して翌日に何してたんだと本気で怒ることもあった。マサはいつも気分が乗らなかったとだけいった。アトランタへ小旅行を当日にドタキャンしたときは周りから非難の嵐だった。
しかしマサは発作にじっと耐えていた。発作が起きたときすべてが恐怖の対象になる、そんな状況でパーティーや旅行なんかにいけるわけがない。マサはだたひたすら得体の知れない恐怖に耐え続けていた。
ある日の夜マサはひとりプールでアコースティックのギターを弾いてきた。
「マサギター弾けるの?」
「うん、まあ好きで子どもの頃から弾いてるだけだけど」
「高校や、大学でバンドとか組んだりしてた?」
「大学でほんの一瞬だけね。もう信じられないくらいつまんないからすぐやめた。だいたい俺より下手なやつよりバンド組んだら俺にとってはストレスにしかならないし」
「大きく出たね」
「俺がそんなに巧いってわけじゃないんだけど周りがあまりにも下手でばかだった、ミスター・ビッグとかコピーさせられちゃったりして」
「超ありがちだよね」
「そうそう、なぜか今どきボーイとかルナシーとか。もうやめてくれーって感じ。俺はさ一一歳のときからギター始めたんだけど今まで一度も作詞作曲っていうのをやったことがないんだ、これはほんとに。もちろん手癖に任せてとかで適当に思いついて弾くことはあるけど。でも正式に曲っていう形にしたことはないな」
「なんでなの、それは」
「俺はギター弾き始めたときにボン・ジョヴィにはまってたのね。それでこんな連中になりたい、こんなに楽しいことで飯食えたらって五年生のときに思ったんだ」
「ませたガキだね」
「そうなんだけど、弾き始めはワンフレーズだけでもコピーできたらもう、すげー快感だった。バッドネームのリフが弾けたときはほんとに感動だったね。だから俺もボン・ジョヴィみたいになってやるぞって意気込んでいた。それと平行して色んなミュージシャンを聴くようになっていったの。ボン・ジョヴィが格好いいっていうミュージシャンを片っ端から、ストーンズ、エアロ、ビートルズ、ジミヘン、ツェッペリン、それからどんどん派生していった」
「産業ロックだね」
「そうそう、まさに産業ロック。でも聴けば聴くほど違和感が強くなっていったんだ。俺はこいつらに近づけるのかって。ストーンズやビートルズの雰囲気を俺自身がまとえるんだろうかって」
「そりゃ、あんた、ちょっと厳しいでしょう」
「そうなんだよ、俺のロックの定義は圧倒的な技術力と知性なんだよね」
「知性?」
「そう、知性。知性がないとロックは成立しない。だって俺の好きなミュージシャンみんな自分の哲学持っててそれは知性なんだよね、ああ、もう薀蓄うんちくになるから止めるね。で、俺は定義のひとつ目の圧倒的な技術力を持ってないんだよね」
「練習すれば何とかなるって思わないの?」
「思わないね、耳はよくないし、いつまでたっても似たようなフレーズしか思い浮かばないし、譜面すら読めないからね、まあこれは努力すればなんとかなるんだろうけど」
「知性に関してはどうなの?」
「そこなんだけど、少なくとも俺の知性、哲学を発信できる媒体はギターではないと思ったの。それがなんだか分からないし、それにまず発信する必要があるのかというところに行き着いてしまったんだな」
自己表現なんて、若者の専売特許で、その年の頃でギターが弾けるんだったらとにかくアウトプットしたいと思う。それなのに自己表現の必要性の有無を疑うマサの感性が嫌いではなかった。第一印象の軽薄さとは裏腹に、そうとう生きづらい繊細さを持っているのだなと思った。
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