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ザ関西ヤンキー 02

外角いっぱいに、ブレーキの効いた変化球が投げ込まれた。一球前の直球と速度差は時速三十キロ以上はある。ふり抜く瞬間、眼前でふわっと球は舞い上がる。その軌道に同調して、身体の重心が浮つき、上体で振りにいこうと狂おしく打者を誘惑する。

視神経からもたらされた直ぐに振れという指令に、何百万回と素振りを繰り返し身につけた後天的感覚で反抗する。我慢しろ、我慢しろ。身体中の筋肉繊維の一本一本を絞り上げて、バットの始動を遅らせる。

筋肉が呼応した瞬間、それは、タメになり壁になり間になる。足裏の筋肉が、地面を噛む。右足親指の内側先端から、力が爆発的に上方へ伝わる。球の真芯ではなく、やや下部に左掌をぶつけるように、バットを押し込む。

学生時代、学業を完全に捨て、メガトン級の愚か者になる引き換えに、近眼から己を守った人間のみ、この動体視力を獲得できる。左打者の生駒は、速球に比べ、反発力の小さなカーブを、しかも身体から一番遠い位置で捕らえて、バットに乗せて、左中間へもっていく。

仮にそこにフェンスがあるならば、世界中何処の球場だろうが、楽々とスタンドインは間違いない。一塁側にきもち体重を移しながら、伸びきった右肘から右人差し指の、第二関節の指の腹まで、エネルギーを過不足なく伝える。

右打者には決して表現できない、長距離砲左打者ならではの美が生まれる。問答無用の馬力と、頭に描いた身体の動きを誤差なく肉体で再現できるバランス感覚、その二つが同居する奇跡のような肉体だけが、不規則に変化する時速百数十キロの球を一〇〇メートル以上飛ばすことを可能にする。

生駒の打球は、冗談のように安っぽいペンキ塗りで「本塁打」と描かれた円形の板の端っこをかすめた。バッセンの華である本塁打印が、経営者による手描きなのだ。

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