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父の帰宅 21

このときの診察でマサは心理カウンセリングを受ける必要があるのだと危機感を持つようになった。アルバイトを再開しカウンセリング代を捻出する目処が立ってから、自分は傷ついていて治療が必要だと自覚し、過去の心の傷、虐待の記憶を自らえぐり始めた。左記は二〇〇二年一月二五日、橋本先生へ提出したレジュメだ。

──小学校のときランドセルを自分の部屋に持っていかずリビングにいつも置いているということで母が「お父さんに怒ってもらう」といって父にそのことをいいました。父は鼻血が出て服が血まみれになるほど僕の顔を殴り続けました。殴られたこと自体についてはそれほど何も思いませんでしたが、いつも夜遅くまで帰ってこない、朝は起きない、会社はずる休みする、そんな父にランドセルをリビングに置いていることくらいでなんで殴られなければならないのかと思うとひどく腹が立ちました。

母に対しても自分が殴らせておいて血まみれになっている顔を悲しそうな表情で拭っていました。親ならば自分で叱ればいいのにと腹が立ちました。このとき僕はこういう親に育てられているのだなと失望しました。僕は記憶する限り母親に三回死ねといわれています。

僕は軽い小児喘息でたまに喘息発作を夜中に起こしていたのですが、寝室が一緒だった父親は「咳は意識して出している、お前はわざと咳をしている、うるさい」といわれました。要するに僕の咳が睡眠の邪魔だったのだと思います。

五年生のとき父が失踪してから警察から父親が殺人事件の参考人としてピックアップされているということで電話がありました。逮捕されたということは聞いてないので違ったのだと思います。

僕が四歳くらいのとき、僕が自動販売機で買ったカレー味のカップラーメンを外で食べたことで母は僕を追い回して叱り続け、テーブルの下に逃げ込んでも殴り続け、僕が泣いて何度謝っても許してくれませんでした。

今考えるとあれは躾といった次元のものではなく完全に常軌を逸していたと思います。母には僕には理解できない美意識があってそれに反している息子が許せなかったのでしょう。

「小学生に向かって血が出るまで殴るのはどう考えても普通じゃないですね」

「はい」

「もし湯浅君が近所で知っている小学生の子どもが血が出るまで殴られているのを見たらどう感じますか」

「怖いです」

「そうですね、客観的にそう思えることを湯浅君は実際にされていたわけです」

「普通じゃないですね」

「湯浅君はものごとを否定的に考えたり、自己嫌悪になったりすることがありますね、前回のレジュメにそう書いてありました」

「あります、昔から常にものごとは否定的に捉えていました。自己嫌悪もかなり酷かったです」

「そういう感情は勝手に出てきているわけではなくて、そういう感情を引き出している事実があると思います。ここに書かれていることもそうだと思います。湯浅君がこのようにレジュメを書いてくれことは非常に治療の役に立ちます。でもこれらのことは氷山の一角に過ぎないと思います、できれば家庭の雰囲気などを描写してくれるとこちらとしてももっと治療しやすくなりますね」

「分かりました、やってみます」

「書こうと思いすぎて、ストレスになり過ぎるようでしたら無理しなくていいですよ」

「わかりました、でも書けると思います」

マサは少し前にわたしにメールをくれている。そしてそのメールには父親の帰宅や幼少期の虐待の話、そして一二月に本気で自殺しようとしたことが記されていた。それを思い留まったのはわたしやレオを含めた友人たちのおかげだったと。

わたしは自殺を考えたそのときにわたしに連絡してほしかった。でも問題が問題だけにわたしも簡単な返事が書けないので何度も下書きをしてマサにメールを書こうとしていたときにマサから電話があった。

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