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斎藤知事がたとえ上司になっても死なないためには

今日不信任決議案が可決された斎藤知事。
内部告発をした男性職員は亡くなってしまった。
死なないで済む方法はなかったのか?
真実は闇の中だが、心理学的に仮説を立てながら、何ができたのかを検討してみようと思う。

斎藤知事のパーソナリティ分析

まず、斎藤知事のパーソナリティから分析し仮説を立ててみよう。
巷では斎藤知事はサイコパスと言われているがそうではないように私は思う。
どちらかというとパーソナリティ障害ではないか? と考えている。

「パーソナリティ障害は思考・感情・行動などのパターンが平均から著しく逸脱し、社会生活や職業生活に支障をきたしている状態である。パーソナリティ障害は正常の状態ではありませんが、病気であるとも言えない。一部のパーソナリティ障害では本人が苦痛を感じるより、むしろ社会生活がうまくいかなかったり周囲の人々が悩まされることが多い」と言われている(下山晴彦著 よくわかる臨床心理より)

うつや不安症などのいわゆる精神疾患は、本人が辛いのだがパーソナリティ障害は度々周りが困ってしまうのも重要な点である。

パーソナリティ障害には、3つの群に大別される。
1つ目は奇抜・普通ではない行動を示したり(A群)。
2つ目は派手な・突飛な行動を示したり(B群)。
そして3つ目は不安・恐怖に関連する行動を示す(C群)。
A群、B群、C群ともそれぞれさらに症状ごとに細分化されるが斎藤知事はB群の可能性が高いと考える。

斎藤知事の症状から推察する病名

B群には境界性パーソナリティ障害、演技性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害、反社会性パーソナリティ障害の4つにさらに分類されるが、斎藤知事は自己愛性パーソナリティ障害だと私は考えている。

DSM(アメリカ精神医学会が作成した精神疾患の分類)によると自己愛性パーソナリティ障害は
「誇大性、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で成人期早期までに始まり、種々な状況で明らかになる」とされている。
そして診断の判定には以下の特徴と照らし合わせて判定する。それでは特徴と今までの斎藤知事の行動とを照らしながら斎藤知事が自己愛性パーソナリティ障害か否かを検討してみよう。

  • 自己の重要性に関する誇大な感覚
    知事が20メートル手前で公用車を降りて歩かされただけで怒鳴り散らした
    エレベーターに乗り損ねて県職員を怒鳴りつけた
    自身が出席するイベントにマスコミが来ていないと怒る など

  • 特権意識、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する
    知事の贈答品の「おねだり体質」など

  • 自分の目的達成のために他人を利用する
    プロ野球阪神とオリックスの優勝パレードへの寄付を金融機関に要求し、本来不要な補助金の増額により、ノルマ通りの寄付を集めて評価を高めようとした

  • 限りない成功、権力に囚われている
    「4年間の任期を務めさせていただくことが県民からの負託だ」と話し、辞職を再度否定

  • 尊大で傲慢な態度
    上記のすべて

    このように斎藤知事の行動、発言を見ていくと多くの点で自己愛性パーソナティ障害が疑われる。

原因は自己愛の傷つき

上記のような特徴を持つ自己愛性パーソナリティ障害当事者は自信とプライドとは裏腹に非難されることにはめっぽう弱い。斎藤知事が告発文書の犯人探しを行い、記者会見で、「事実無根の内容がたくさん含まれている。うそ八百含めて、文書を作って流す行為は公務員として失格」と強い言葉で批判したのはそういった、非難されることに弱いパーソナリティの特徴が出たものと推察される。またこのパーソナリティを持つ人の他の特徴として、誰よりも自分が重要であり、他人は自分のための道具としか考えられないといった点が挙げられる。
背景にあるのは自己愛の傷つきである。
自己を愛することができない幼少期を過ごした場合、自己愛が傷つき、そして自己を尊大に見せようと自己愛性パーソナリティ障害となるのである。

有名なアーティストには自己愛性パーソナリティ障害が多い。
代表的なアーティストにサルバドール・ダリやココ・シャネルがいる。
親からの歪んだ愛を受けたダリ。幼少期から両親とは疎遠だったシャネル。
2人とも両親から十分な愛を得られず、傷ついた。
しかし、自己愛の傷つきから彼らは優れた感性と表現力を得たとも言えるのだ。
斎藤知事の幼少期に関して詳しい資料は見つからなかったが、親から歪んだ愛情の注がれ方をされたのか、または両親とは疎遠だったのかもしれない。

自己愛性パーソナリティ障害の上司を持った場合の対処法

さて、それでは斎藤知事のような上司を持った場合どのように対応すれば良いだろうか?
何せ自分のことが最優先で他人を自分のために利用することに躊躇がないのだ。
そんな上司とうまくやっていくには雑用係か太鼓持ちに徹するしかない。

元副知事の亡くなった男性に対する強権的な聴取が最近明らかになったが、斎藤知事のパーソナリティから考えると副知事としては正しい行動と言える。
辞職の際も「知事を支えきれずに申し訳なかった」という弁が示す通り、副知事は斎藤知事の雑用係に徹していたのだ。
だから副知事になれたとも言える。

しかしながら亡くなった内部告発男性は当然そんなことはできなかった。
逆にいうと雑用係になれなかったので内部告発したと言える。

残念ながら太鼓持ちにも雑用係にもなれないなら斎藤知事から逃げるしかなかったのだ。
相手は自分の利益しか考えない自己愛性パーソナリティ障害なのだから。
反省を促すとか一切期待してはいけなかった。
自分に対して非難してきたと思えば、とことんつぶしにくるのが自己愛性パーソナリティ障害なのだから。

まとめ

人は変えようとしてはいけない、ということがよく言われるが、パーソナリティ障害の人が近くにいたら、関わらないのが一番である。最初に述べた通り、本人は全く困っておらず、周囲を困らせてもなんとも思わないのだから。亡くなった男性職員は他人事ではない。明日は我が身である。
今もし、自己愛性パーソナリティ障害の人があなたの近くにいたら逃げること、関わらないことをまずは考えよう。それが死なないための唯一の道なのだから。

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